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【本との出会い】小学生~高校生編


「文章を書くことが好きだ」というnoteを書いた。
これは自分にとっての表明であり、羞恥心とも言える枷を外すための必要作業だった。
読むことが好きよりも、書くことが好きを念頭に置いたものであり、過去に準えて僕がどういう人間かを伝えるためのものだった。

書き始めてから、僕は思ったより、自分の過去について覚えていることがわかった。幼少期や思春期頃の記憶なぞ、もう忘れてしまっていると思い込んでいた。
何かひとつのきっかけさえ思い出せば、芋づる式に記憶が呼び起こされていく感覚があった。
その心地よさに身を任せ、文章を綴ろうとすると、僕にとっての重要な分岐点となる場所にはいつも本があることに気づく。


ということで、僕の人生を少しづつ変えた本や作家たちを紹介しながら、自分のルーツを探っていこうと思う。


「手塚治虫」

当時6歳。
小学生になり、最初のクラスというのは人格形成に非常に大きな影響を及ぼすと思う。そのことを踏まえたうえで、僕は非常に恵まれた環境に身を置いていただろう。
当時の担任の先生は幼いながらに”良い先生”だと感じていたし、その先生に怒られた時は、「ああ本当にダメなことをしてしまったんだ」と反省できるような先生だった。生徒からも好かれていて、音楽と阪神タイガースを愛する素敵な先生だった。
そんな大好きだった先生が、自由に読んで、と教室の本棚に置いていたのが手塚治虫の漫画だった。おそらく自前のものだったと思う。今考えれば、小学生の教室に漫画を置くなんて、と言われそうだが、僕が初めて本に熱中する体験をしたのはこの時からだ。

置いてあったのはたしか、「海のトリトン」「ブラックジャック」「火の鳥」だったと思う。
教育的な観点でいえば、大成功だったんじゃないかと思う。手塚治虫作品を読んで悪い影響を受けたような覚えはない。むしろ自分の中に優しさとは何か、正義と悪とは、みたいな概念思想が生まれ、性格を形成するのに一役買っているとまで思う。

とにかく、萩中先生には今でもお礼を言いたい。
僕はこれをきっかけにたくさんの本を読むようになって、それがどんな影響を及ぼしているとしても、確固たる今の僕を作る糧となっています。
ありがとうございます。


「デルトラクエスト」

記念すべき、僕が初めて読んだ活字の小説だ。今はどうかはわからないが、僕が小学生の頃はどこの学校の図書室にも置いてあったんじゃないかと思う。キラキラと輝く神秘的でファンタジックな表紙は、小学生なら一度は手に取ってみたいと思うに違いない。

先生の置いてくれた漫画を読み尽くした僕は、図書室に向かった。はじめは、漫画の「はだしのゲン」を読んだ。それも読み終わった僕は、おそらく他に漫画はないかと探しただろう。そこで出会ったのが「デルトラクエスト」だ。
先に述べたように、一見すると絵本のような表紙を、当時の僕は漫画か何かだと勘違いしたんだろう。
活字の本に対して僕がどういう反応を示したのかは思い出せない。
読みたくはないけど表紙が気になるから試しに読んでみたのか、活字に対してそこまで拒否反応がそもそもなかったのか。
なんとなく後者のような気もするが。

読んだ後のことは鮮明に覚えている。
僕にとっては活字の本は心地のいいものだったのだ。
絵があることと文字しかないことは大きく違うが、僕にとってそれは大きな問題にはならなかった。文字を読み、その光景を頭の中に空想する。
存在するはずのない国の街並み、不気味な森や洞窟、登場人物の体つきや顔まで、僕ははっきりと作り出すことが出来た。
この行為に、得意不得意があるのかはわからない。小説の文体によっても想像のしやすさは異なるし、読めば読むほど鍛えられていく力のような気もする。
ただ、僕はこの時初めて、自分が活字の本を読むのが好きだと気づいたのだった。

ちなみに、「デルトラクエスト」は2007年から2008年にかけてアニメ化されている。僕は小学校低学年の時に原作小説を読んでいて、アニメ化されたのは6年生の時だった。学校ではそこまで話題にはなっていなかったが、僕は一人で発狂するほど喜んだのを覚えている。


「山田悠介」

小学校時代は、「デルトラクエスト」に始まり、「ダレン・シャン」や「デモナータ」「ハリーポッター」「ナルニア国物語」など海外作家によるファンタジー小説を読み漁った。読みやすかったことも要因ではあると思うが、僕はファンタジーの世界に没頭するのが好きだったに違いない。
現実には存在しない生物や場所、おぞましい表現、日本とは異なる会話感覚など、今自分が生きる世界とは全く違う世界に憧れをもっていたのだと思う。

そんな僕が、中学生になってハマったのが「山田悠介」の作品だ。
小学校からの付き合いがあった友人の一人が「リアル鬼ごっこ」を勧めてくれたのがきっかけだった。
ちょうど僕が中学1年生の時、2008年にリアル鬼ごっこは映画化された。それに伴って、原作である小説が一時ブームになっていたのだ。周りでも読んでいる人が多かったのを覚えている。
デスゲーム系の小説はグロテスクな表現が多いが、僕は「デモナータシリーズ」を読んでいたから平気だった。
読みやすい文体、ドキドキハラハラするデスゲームの設定、裏切りと友情。
中学生がハマるわけだ。案の定、僕は山田悠介作品に魅せられてしまった。
その後、「リアル鬼ごっこ」に始まり、2011年の「名のないシシャ」までの計30作品を全て購入、読了した。
後にも先にも、一人の作家だけでこれだけの小説を読んだことはない。
確実に僕の小説ブームのピークだったといえるだろう。

「星新一」

山田悠介作品をきっかけに本格的に小説にハマり始めた僕が、次に手を出したのが星新一のショートショート集だ。僕がもし、今まで小説を読んだことがないし、活字の本には拒絶反応が出てしまう、読もうと思っても途中でだれて辞めてしまう、という人にどんな本を勧めるかと聞かれたら、間違いなく星新一のショートショート集を勧めるだろう。

ショートショートとは、文字通り超短い短編小説だ。これがとにかく短いのだ。中には4ページほどで終わってしまうような作品もある。とにかく短いショートストーリーをまとめたショートショート集が山ほど出版されている。
軽快でポップな登場人物たちが、不純物を一切排除したような洗練されたことばたちに紡がれて、あっという間に物語が始まり、終わる。短さの中に確かに疾走感や余韻が残り、物足りなさなど微塵も感じさせないショートショートの世界は、長編小説とはまた別の感覚を味合わせてくれる。ある意味で星新一作品は”沼”である。一度その世界にハマってしまえば、ずぶずぶとその世界観に侵され、星新一ワールドの住人と化してしまう。

僕が自分で小説を書き始める直接のきっかけになったのは星新一に出会ったからだ。
当時の僕は、ショートショートを読んで、愚かにもこれくらいなら書けると思ったのだ。そして短編小説を書き始めてすぐに気づくのだ。どうやってもこんなに短く物語を完成させられないと。
ショートショートの真に恐ろしいところは、その短さだった。
普通、文字数を減らせば減らすほど、物語が薄くなり、なんの感情移入も、感動も、わくわくするような展開も生まれないのだ。あの短さの中に起承転結、驚くようなオチ、キャラクターのアイデンティティが詰め込まれているのは神の所業ともいえる。

そんなことがあり、ショートショートを書くのは無理だと悟った僕は、盛大な長編大作を生み出すこととなる。


「De;Wur-オブスクーリタースの戦い-(仮)」

さて、今世紀最大の黒歴史を発表した。
これが中二病の時に生み出した長編小説の第一章のタイトルだ。
いやあ、今見ても中二病全盛期ってすごい。書きながら冷汗が止まらなくなるほど恥ずかしい。
あまり詳細は書かないが、「De;Wur」は造語で、登場する組織名の略語であり、「オブスクーリタース」というのはたしかラテン語か何かで「暗黒」的な意味だったと思う。物語上では悪い奴らのいる世界のことを指していた。

まあ、こんな風に今でも結構思い出せてしまうのが恐ろしい。
タイトルの命名からも、ハリーポッターとかロードオブザリング感が否めない。ファンタジー好きだなあ。
誰も知らない僕だけの物語、僕の人生を変えた小説と言っても過言ではない。


「Good Luck」

これは、著アレックス・ロビラの世界中で読まれているベストセラーだ。
そして、僕の人生でおそらく唯一、父から勧められて読んだ本である。
この本は今でも僕のバイブルとなっていて、これまたファンタジー物語ではあるのだが、読者へのメッセージ性がとても強い物語だ。
幸運は、下ごしらえをしている者に訪れるという強いメッセージ。
僕にとっては、人生を生きる上で、とても大切なマインドを教えてくれた本で、小学生の時と、中学生の時、2回読書感想文を書いた。
年齢を重ねるほど、読み返したときの感覚が鋭くなる良書です。小一時間くらいで読み終わるような軽い本なので、ぜひ一度読んでほしい。




そんなこんなで、宿題の読書感想文にすら気合の入っていた僕は、高校に入ると途端に本との距離を置くことになる。全く読んでいなかったわけでもないのだが、(この時も山田悠介作品は追っていた。)あきらかにそれまでの情熱がなくなっていき、あきらかに読書量、読書時間が減った。
その一つの要因として挙げられるのが、周りの友人に小説を読む人がいなかったことだ。読書という趣味は、ありきたりのようで意外に少数派なのだ。

本にはさまざまな種類がある。
小説、エッセイ、自己啓発本、ビジネス書、専門書、、、そして漫画。
大学生にもなれば、自己啓発本やビジネス書を読み始める人が増えてくるが、高校生の頃にたいていの人が読んでいるのは漫画か小説だろう。

漫画というのは凄い。
女子はどうだかわからないが、男子という生き物は漫画が大好きである。
例外はいるにしても、ワンピースを一瞬たりとも読んだことがない人がはたして何人いるだろうか。
それほど漫画の話はしやすい。最新話の話、好きなキャラの話、伏線の考察、ふざけて必殺技を繰り出すことも簡単にできてしまう。
もちろんそれは人気のある一部の作品だとしても、多くの友達とそうやって好きな作品について話せることはとても楽しい。

一方、小説はどうだろうか。
自分が読んでいる本を、同時期に読んでいる人が何人いるだろう。一人いればいいほうじゃないだろうか。
一時期、映画化やドラマ化などが原因で原作小説が流行ることはある。
だが、それは本当にその1作品だけの流行で、基本的に自分の好きな小説の話を誰かと共有できる機会は少ない。
もちろん、できないわけではない。
文学部という部活があるように、小説が好きな人というグループにいれば、好きな小説の話題も、おすすめを紹介しあったりすることもできる。
僕が言いたいのはそういうことではない。

サッカーが好きな人もワンピースを読んでいるし、野球が好きな人もワンピースを読んでいる。外に出るのが嫌いなひきこもり少年もワンピースを読んでいる。
この事実があるのだ。
小説を読んでいるのは小説が好きな人だけなのだ。
人は皆好きなことがたくさんある場合が多い。
僕は、小説が好きだし、映画が好きだし、テニスが好きだし、ゲームも好きだし、音楽を聴くことも好きだ。
みんな、やりたいことはたくさんあって、1日24時間という時間を色んなことに割り振りしている。
特に現代人はYouTube、ネトフリ、各種SNSなどいろんなことに時間を消費する。
その中で、1冊を読むのに時間のかかる小説はなかなか選ばれない。漫画は週刊連載なら1作品2~3分で読み終わるし、単行本でも15分くらいだ。
だからこそ、小説は普段読まない人がいざ読み始めるにはハードルが高く、読まれづらい。

だからこそ僕はしょうがないと思っていた。
周りに好きな小説のことで盛り上がることが出来る友人がいなくても、漫画や部活やパズドラの話で盛り上がればいいのだから。
そうして僕は少しずつ小説との距離を離していった。
当時の僕にもう少しの勇気とコミュニケーション能力があれば、文学少女との儚いラブロマンスがあったかもしれないのに。


そんな僕が再び、本を読み始めることになるのも1冊の本との出会いかからだったが、それは「大学生編」ということにしよう。

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