好きに悩め。

最近、風呂上りに毎晩蕁麻疹が出る。

どうしたものか。

寝起きに出ていることもあるが、出ていないこともある。

しかし、風呂上りは毎晩決まって出る。

風呂に入るまでは特になんともないのに、そんなことになるから妙だ。

心身どちらに原因があるのだろうか。

ストレス的なものだとすると、風呂上り、寝るまでにすることと言えば、娘のミルクと今このnoteの文章を書くことくらいだ。

ミルクはずいぶん前から変わらずやっていることだし、文章を書くことは、いま数少ない「一日のうちの楽しみ」の一つだ。

どちらも該当するとは思えない。

そうなると体の方だが、こちらもよくわからない。

まあ、わからないことはそれ以上考えない。

その内変化するだろう。

以前、どこかの精神科医だか心理学者だかが言っていたのだが、

「人間が抱える悩みの半分は、『悩まなくてもその内解決すること』で、もう半分は『悩んだところで絶対解決しないこと』です。だから”悩む”という行為自体が実は意味のないことなんです」

とのこと。

その論旨としては、「ですから悩むことはお止めなさい」というものだったので、それには賛同しかねるが、分析自体には納得した。

「悩む」、という行為は、「人間の嗜み」だとぼくは考えている。

「趣味」と言ってもいい。

みんなそれぞれ好きにやっていることなのだ。

悩みにはまり込んで体や心を壊すのには気を付けなければいけないが、そうでなければ悩むことがおもしろかったり、悩んでる自分が好きだったりするのが人間だ。

悩んだところで意味がない、というのは尤もだと思うが、悩むのを止めるかどうかなんてのは各々の自由だ。

ただ、悩んだところで意味がない、という一つの真理を心に留めておくのは有用だと思う。

悩んだところで大しておもしろくない事案のとき、またあまりに重く先に挙げたように心身を病むような悩みのときは、その真理をそっと引き出しから取り出して悩みをそこに括り付けてまたそっと仕舞えばいい。

時間は有限なのだから、些事に囚われていては他の楽しいことをスルーしてしまう。

ケースバイケース、柔軟に。

そんなわけで蕁麻疹については忘れることにする。

それ以外に、悩んでいることが4つくらいある。いや、8つくらいか。

これらは悩むのがおもしろかったり、悩んでいる自分が好きだったりする案件なのでそれでいい。

好きに悩め。


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