父はリハビリ、娘はハビリ。

リハビリテーションって、“適した”という意味の、「ハビリス」というラテン語から来てるって知ってました?


“文章を書く”という行為からいったん距離を置く、としたのは30歳のとき。

10年前のことだ。

今、久々に文章を書こうとし始めている。

それでnoteのアカウントを開設した。

どうして距離を置こうとしたのか、どうしてまた始めようとしたのか、は、大した問題ではないので詳述はしない。

ただ、距離を置こうと決めたとき、漠然と

「また書きたくなったら40歳になっても書き始めたらいいさ」

と思ったことを、いま思い出した。

そんなことすっかり忘れていて、いろんなことが絡み合って、自然とまた文章を書こうと動き始めたのがちょうど40歳なのだから不思議なものだ。

とりあえず「毎日noteに一投稿」を自分に課している。

でもそれはまだ『自分が書きたい文章』、じゃない。

もちろん『書きたくない文章』、でもないが。

10年ぶりなのでうまく手が、頭が、動かない。

自分のイメージと実態に乖離がある。

その乖離が許容範囲に縮まるまで、いわばリハビリ的に“日記のようなもの”を記している。

だから「#日記」をつけているこれらの文章は、特に意味や内容があるものではない(これらを書くということ、が自分にとっては意味がある)。

毎日、決まった時間にnoteを開き、決めてないことを書き始める。

現状を描写したり、そこから連想する何かを書いたり。

今日はnoteを開いた途端、「リハビリ」という言葉が浮かんだのでこういうことを書いている。

なんだか、誰かに対しての言い訳みたいだ。


冒頭に戻る。

“適した”という意味を持つ「ハビリス」に、“再び”という意味の「リ」を付けて、「リハビリ」。

つまり、“以前できていたのにできなくなったこと”、これをもう一度できるようにしよう、というのが「リハビリ」だ。

一歳になるうちの娘は、とある事情から“まだできないこと”がいくつかある。

そのため、それぞれの専門の方に診てもらって、いくつかのリハビリを行っている。

その日々で、あるときお世話になっている理学療法士の方が冒頭の話をしてくれた。

「赤ちゃんの場合は、“以前できていたことをもう一度できるようにする”わけではなく、“これから初めてできるようになっていこう”ということなので、『リハビリテーション』とは言わず、『ハビリテーション』と言うんですよ。厳密には」

とのことだった。

これを聞いても、だから何だと思う人も多いと思うが、自分はこういう話が好きだ。

専門家の、”わざわざ指南書や専門文献に載せるほどでもない、が、その筋の者しか気付かない、知り得ないような小さな知識”…とでも言えばいいのか、とにかく、そういうものに触れると、「ほほ~ぅ」と思って、ちょっと昂揚する。

そして、こういう細かいところに注視する人、が好きだ。

たぶん、専門家でもこういうことを気にしない人の方が多いと思う。

が、自分はこういう些細なことを気にする人を信頼する傾向にあるし、これまでの経験則からもそういう人は結構“良き人”が多いと思う。

「ま、だからと言っていちいち『ハビリテーション』って頑なに言ったりはしませんけどね」

それも大事な姿勢だと思う。


父はリハビリ、娘はハビリ。

共に楽しみながら続けていこう。


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