人の心は読めるか?【bookノートA】

出会って瞬時に相手を判断することは問題である。

第六感は瞬時に働き、あとから修正されることも少ないからだ。

第六感の一番の問題は、相手の内なる考えが、表情やしぐさや話し方によってのみ表れる点である。

人間は、相手の態度から本心を読みとると同時に、表に出る態度を利用して、相手をわざと誤解させたり、嘘つきやペテン師になったりする技術も身に付けている。

相手の心を読みとる能力は、親友や親族、同僚、恋人など、自分がよく知る人に対して最も発揮される。

身近な人たちの気持ちは赤の他人よりは理解しているが、その差はそれほど大きくない。

私たちは、その理解度をはるかに高く見積もっており、相手をよく知るにつれて、実際以上に相手をよくわかっていると錯覚するようになる。

私たちは自分の存在に肯定的なイメージを持っているために、自分を正しく把握することが難しい。

人間は自分のことも、他人のことを考えるときと同じ方法で考える。

自分の行動の直接的な原因がわからなくても、自分が納得できる原因を当てはめている。

私たちは、自分の思考や感情や選択を導く、この構築プロセスに気づいていないために、自分のことをよくわかっていると錯覚してしまう。

自分のことがよくわかっているという幻想は、他人より自分の考えの方が優れているという思い込みを生む。

相手を正しく理解するには、自分の判断が間違っているかもしれないこと、あるいは、自分が考える以上に間違っているかもしれないことを自覚しなければならない。

自分とあまりにも違う人に直面すると、第六感が働かなくなることがある。

第六感を働かせないと目の前にいる人間の心をきちんと認識しなくなり、たとえ社交性が高くても、相手のことを、心を持たない動物か物体のように扱ってしまうことがある。

この原因は、性格によるものではなく、相手との距離にある。

相手との距離感が第六感を眠らせてしまう理由は2つある。

1つは身体的な感覚も第六感のトリガー (引き金) となるため、

相手との物理的な距離が遠いこと、

もう1つは、相手を推測しようとするときにも第六感が呼び覚まされるが、

心理的に距離があるとトリガーが発動しにくくなることだ。

脳はある特定の状況に置かれると、3つの段階を経て、ほかの人の脳と自動的にシンクロする機能を持つ。

第1段階は同じことを見たり考えたりして関心を共有する。

第2段階では、同じものを見ると表情や身体もシンクロする。

集団でいると、だれかの行動がほかの人に伝染する。

最後の段階として、視線と身体が一体化すると、心も一体化するのだ。

同じものを見ている2人は、同じように反応したり感じたりする。

また、相手の考えや気持ちや計画を想像するときに、必ずしも目の前に相手がいなくてもよい。

すでに知っていることや、知っていると思うことをもとに推測するところから始めればよい。

相手の心に無関心だと、相手を知性のない存在のように考えてしまう。

つまり、相手の脳の働きが、自分の脳より鈍いと思うようになる。

調査によると、たいていの人は、他人より自由な意思を発揮していると考えていることがわかっている。

人間でないものにも人間と同じ心を見出すトリガーには3種類ある。

それは、対象となるものが人間と似ていること、

心があると考えれば自分が納得できること、

自分の心と密接に結びついていることだ。



他人の心を読む能力は、人間の脳が持つもっとも偉大な道具であり、人間社会をわたっていく上で必須だ。

この能力を扱う上で、よく犯す過ちは2種類存在する。

1つめは、自分以外の他人など、実際には心を持っている存在なのに、心を持っていないと認識すること。

2つめは、ハリケーンやコンピューターなど、実際には心がないものに心があると認識してしまうことである。

これらの間違いは、時と場合によって第六感の発揮にむらがあるために起こるものである。

別室に分かれた夫婦に、自分自身の家庭内活動の貢献度や好ましくない出来事の責任についてパーセンテージで示してもらう実験では、夫婦それぞれが自分自身のことを、どちらにも過大評価した結果が出ている。

このような自己中心的な過大申告は、作業チームやグループだと、その傾向がさらに強まる。

自己中心的な思考は被害妄想をもたらす。

実際は違うのに、周りはいつも自分のことを考えたり話したりしているというように思いこむ。

また、自己中心的な考え方は、周囲の視線を意識させることに加え、

周囲から手厳しく評価されるのではないかという思いまで抱かせるようだ。

実際には、人間は他人の失敗を本人ほど深刻に考えないため、想像以上に大目に見てくれるものである。

2人の人間が同じものを見ていても違う解釈をすることがあるのは、それぞれが、自分の知識や経験や意図によってつくられた独自のレンズを通して物事を見ているからである。

自分のレンズは自分だけのものであるため、自分の見方が歪んでいる場合には、それを見極めるのが難しい。

他人の目を通して世界を見ようというように努力するだけでは不十分だ。

なぜなら、あなたの見方をゆがめているレンズは、あなた自身には見えないからである。

実際にその見方ができる状況に自分を置くことや、

実際に経験した人から直接話を聞くことで、

初めて乗り越えられる問題であると認識すべきである。

人間は細かいことを正確に記憶するのではなく、

情報の「要点」を抽出するのである。

集団の「要点」とは、各個人ではなく、その平均的な姿であるステレオタイプだ。

ステレオタイプが完全に正しかったり間違っていたりすることはない。

ステレオタイプがもたらすイメージは、集団の平均像を的確に捉える場合と、まったく的外れな場合の間に位置している。

それは、情報が少なすぎること、

お互いの違いによって集団を定義すること、

集団の違いが生じている心の原因を直接目で確かめないこと、

という3つの「邪悪な要素」があるからだ。

相手の心を知る究極の手段は、

相手の行動を観察し、

その行動の原因となっている考え方や信念や姿勢を、

じっくりと考えてみることである。

これは、相手の心を読む手段としては非常に優れているが、

相手の心を歪んだ形で映し出す場合もあれば、

透明なガラスのように相手の心をそのまま映し出す場合もあることに留意が必要だ。

人間は確信が持てないとき、どう振る舞えばいいのか周りの人を見て行動する。

例えば、発作で倒れている人がいても、ほかの人も無関心のように見えるのであれば緊急事態でないと判断し、自分が介入していくのはまずいと考える。

他人の心を読むには難しいが、わかろうとする努力をやめるべきでない。

自分自身の視点やステレオタイプにとらわれると、相手を見失ってしまいがちだ。

しかし、その過ちは予測可能なものだ。

ステレオタイプを思い浮かべることは、相手の心を手っとり早く読みとる手段を与えてくれるのだが、同時に相手の心を単純化しすぎるという犠牲も払う。

相手の心は第六感が教えてくれるものより実際は複雑なのだ。

怒りや喜びという真の感情は、とっさに表情に出る。

これは、「微表情」と呼ばれ、5分の1秒足らずのほんの一瞬の感情表現を指すものだ。

顔全体に表れるときもあれば、ごく一部分だけに表れるときもある。

微表情の科学的な信憑性は現時点では高くない。

人間の本当の気持ちはめったに漏れ出るものではなく、

顔に出る表情は本当の気持ちを誤解してしまうきっかけにもなりうる。

デ―ル・カーネギーは、ベストセラーの著書『人を動かす』で、

他人とうまく付き合うには、

相手の気持ちを知る必要があり、

その1つが、相手の心の視点を真摯に想像して、

相手の視点を取得することだと主張している。

これは、自分が相手になったとした場合に、世界がどう見えるかを想像することである。

視点取得のメリットは、自分が相手に対して知っていることや、

相手の視点を取得しなければ見過ごしていたであろう情報を最大限に活用できることである。

一方で、相手の視点を正しく想像したり理解したりする能力に左右されてしまうことが弱点だ。

さらに問題なのは相手の視点が間違っていると思っているときであり、

集団同士が紛争状態にある場合には相手を正しく理解できないことが多い。

第六感の限界を認識した上で、相手の心を知る別の方法を考えてみよう。

それは、相手の視点を「取得」するのではなく、「獲得」することだ。

相手を理解するには、自分が相手の視点を本当に正しく理解できているかどうかを実際に確かめる必要がある。

そのために、相手にどう思っているかを聞いてみるのだ。

自分の視点が自分にとって大事だったり、

自分の視点を他人から聞かれたりしたときは、

むしろ積極的に自分を見せてみる。

自分を隠し立てしない人の方が、

隠し立てする人よりも周りから理解され、

幸せを感じることが多く、

自分の人生に満足しているという調査結果もある。

相手の心を確実に読める方法など存在しない。

お互いを理解する秘訣は、理性を働かせて、相手が自分の心を包み隠さず正直に話せる環境作りをすることだ。

人間の賢い頭脳がもたらしてくれる最善のものは、相手の心には自分の想像が及ばない部分があると認める謙虚な気持ちなのだと認識するべきである。

「人の心は読めるか?」
ニコラス・エプリー 著
早川書房

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