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エッセイ)ゴルゴン中野

中学時代、サッカー部の先輩にゴルゴン中野と呼ばれる男がいた。彼は外国人でもハーフでもないコテコテの日本人だ。ゴルゴンはあだ名…彼のリングネームだ。今から約30年前Jリーグが開幕した。当時は日本中がJリーグに夢中で人気チーム同士のチケットは中々取れずにプラチナチケットなんて呼ばれたりした。今まで大して注目を集めていなかったサッカーにやっとスポットライトが当たった時だった。
そんな背景もあり、ウチのサッカー部は弱小ながら部員が100人弱という大所帯になっていた。100人からレギュラーのAチームに入れるのは、控えを入れても20人に満たない。
残りはBやらCと呼ばれ公式の試合にも出られず練習でもAとは別メニューになる事もしばしばあった。そんな環境下では選手もサボりがちでやる気を失っていた。
そんな中でも頑張ってAチームに上がって行く人間もいるが大抵の人はただ、なんとなく続けている状態だった。自分もゴルゴンもBチームにいた。
ゴルゴンに至っては週に1〜2回しか練習に来ずサッカーもかなり下手だった。しかし、ゴルゴンはみんなから愛され、彼のプレーは観るものを魅了した。練習中、練習試合に関わらず彼は何かプレーをするたびにパフォーマンスを披露していた。時にはハンセンだったり時にはムタだったり…簡単に言えば悪ふざけだ。凡庸なクリアーに雄叫びをボールを競り合っては右手を天にかざした。サッカーに真剣に取り組んでいない自分達から見れば最高に面白かった。彼のおかげで誰にも注目を集める事のないB戦(Bチーム同士の試合)が華やかな舞台になった。
そんな彼は引退試合の半年程前に1人だけチームを去る事になった。原因は言わずもがな。
彼の悪ふざけを監督にこっ酷く怒られたからだ…。もともと大して練習にもきていなかったゴルゴンがいなくなってもチームになんら影響はなく、淡々と日々は過ぎ去っていった。春が来て夏が終わり先輩達は引退していった。
そして、秋から冬に季節が変わる頃、ゴルゴンは再び私の目の前に帰ってきた。
文化祭の舞台で中学生プロレスを披露したのだ。サッカーの時とは違いまさに水を得た魚。
悪ふざけではなく真剣にオーディエンスを煽る姿はカッコ良かった。勿論、会場は大盛り上がりお客は総立ち。大歓声の中、彼の興行は大成功を収めた。そして彼の勇姿はサッカー部の中野ではなく、プロレスラーゴルゴン中野として私の心に刻まれた。
もともと、そんなに彼とのやり取りはなかったので他の先輩達と同じくその後の交流はなかった。

それから9年後、私は出張先のホテルで再び彼の勇姿を目撃する事になった。
たまたま、つけていたTVのローカルニュースで彼の試合を取り上げていたのだ。
ゴルゴンは本物のプロレスラーになっていた。
そう、中学のサッカー部時代、彼は悪ふざけなんてしていなかった。やる気もなくレギュラーになる事も諦めてただ試合をしていた私達とは違い誰よりも本気でパフォーマンスをしていたのだ。覇気のなかった私達へ“好きでやっている事は全力で楽しめ”という口下手な彼なりのエールだったのかも知れない。

この記事を書くに当たり、wikiで調べた所、
先輩は2018年にデビュー20周年記念興行をしていた。そこから先は記載がなかったので今はどうなっているかはわからない。経歴を見る限り移籍をしたり団体を自ら立ち上げたりとかなり紆余曲折があったようだ。詳しくは知らないが名前を出せば知る人ぞ知る存在になっていたのかも知れない。
ただ、ゴルゴン中野ってリングネームは一度も使っておらず、先輩をゴルゴン中野と記憶しているのは彼と共に一時期を過ごした自分と一部のサッカー部OBだけだった。
こんな時代になった今だからこそ、下を向いていたら天に拳を突き上げて『ウィー』って叫ぶ彼の姿が浮かんでくる。自分も辛い事があれば『ウィー』って叫んで乗り越えて行こうと思う。

※先輩は本当に実際するプロレスラーの為
 勝手に名前を出すと著作権の問題とかが
 万が一発生すると困るので名前は変えてあり 
 ます。許可を取れる程、親しい仲でもなかっ
 たんで。笑

終わり

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