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a pice of cake

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ショート・ショート的ななにか。
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観葉

観葉

――そうだな。消費税が20%を超えたあたりからだ、生野菜を口にしなくなったのは。

 買い替えるタイミングを失った古い冷凍庫に、週一で買い求める冷凍野菜と果物。草の匂いが嗅ぎたければ公園へ行き、果物は子どもの居る場所に佇み素早く想像力で増幅させる。尤も子どもの数はめっぽう減ったが。

 『ゆたかな暮らし』を求めて税はどんどんと値を釣り上げ、人の眼も吊り上がった後ぷつりと切れ、私の周りには年齢より年

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球

「あ、痛」

 不意に左目の奥につん、とくる痛みが襲った。羽虫が目に飛び込んだような、それと似た違和感が、なぜか体の内側から外側に向けて抜けていく。

 夜中のインターネット、長時間モニターの前に座りすぎたか。それとも夜勤明けの睡眠不足が響いているのか、或いはどちらともか。PCの放つ白い光に背を向けて、暗闇に目を慣らす。湧き上がってくる苛々とした感覚が、まつげの際まで来て涙になるとスッと消えた。な

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花なきもののつける実

 スパコンみたいな大きな装置がぎちぎちゴンゴン音をさせ、やがてしずしずと運び出してくる部品は無花果のように小さく、ピカリと光る。
「小さなものほど手間がかかる」と、今秋、早期退職を選んだ職人は静かに笑った。

 カラクリを覚えるのにどれくらいかかるのだろう。わたしは無花果を作れるだろうか。

 ひとの作るものは無花果。私はここよと名乗る花を咲かすことは滅多とない。職人以外の世界は、残す実のほんとう

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終末テレビ ~carpe diem~

 「地球はもう終わりです」とアナウンサーが叫ぶと、カメラは走り去る彼を映したあと、報道スタジオを彩る水槽を映したまま静止しました。ネットには秩序を失った言葉がひたすら正しく下へ下へとその数を伸ばし、スクロールを止めたPCの向こうでまだ増殖を続けています。

 突然太陽の影から飛び出してきた彗星は、イギリスの国土ほどの大きさがあって、まるでSF映画のように確実に地球へ向かって飛んできていました。
 

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縫いもの

縫いもの

 未明、娘の制服のすそ上げをやり直す。

 私が生まれて初めて針を握ったのは七歳。リカちゃんの洋服が作りたかったから。いや、そうじゃなくて、母の内職の手伝いで、絹糸用に使う極細の針の糸通しをしていて覚えたのだ。
 鮮やかな総ビーズの小物を母は作っていて。ノルマが嵩んでくると、細かい作業に目が霞んで見えなくなる母の代わりに私は糸を通し、色指定のない部分に玉虫色のビーズを挿した。狭い貸家には不似合い

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或る本

或る本

 道路を挟んだ向かいは小さな貸し本屋だった。

 本を手に取ろうにも靴を脱いで、上がり口にふたつと、家人も同居する六畳間に本棚がみっつ。本が主か目の前の老婦が主か、よくわからぬ店だ。一日十円、握り締めすぎて金くさい子どもの手のひらから銅貨を受け取ると、老婦は丸いビスケットの空き缶にジョリンと音を確かめるように落とす。本は少年漫画から鼠色の表紙の本まで。綴じ紐が崩れているのか蜘蛛の巣なのか、家の天井

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ほたる、来い(シ・ラ・ラ・シ)

ほたる、来い(シ・ラ・ラ・シ)

 空に幾すじもの飛行機雲がある日、巨大な五線譜のようでその音の在りかを探していた。まだ五線譜が読めない頃。
 たとえば父であったら風をなぞるように滑らかに歌うのだろうか。
 たとえば大人になったら五線譜の中に音楽は浮かぶのだろうか。
 たとえば、と何度繰り返しても歌は音符に読み返せなかったし、音階は私にとって歌ではない。私は直立し虚空を見上げたまま歌を歌わない子だった。

 先生が歌う。
「ほ、ほ

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ワークショップ

ワークショップ

 娘が5人で一組のワークショップに参加してもいいかと訊いてきた。おおよそ半年かかる。私は初め難色を示したが、結局「後悔することのないよう頑張れ」とエールを送った……のが二日前。

  夜勤明けでぼうっとしながら朝食の支度をしていると、起きてきた娘が「この前のアレなくなったから」と言う。ウチがOKでも他の4人に"ウチの事情"をごり押しして口説いてはならぬと言っていたので、単にメンバーが揃わなかったの

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月が綺麗ですね。

月が綺麗ですね。

 舗装の行き届かない田舎道、あちらこちらと轍で穿たれた跡に夜来の雨で水たまりができる。月は、その水鏡のどれ一つにも欠けることなく姿を映していた。

「天にはひとつ、地にはたくさん、なーんだ」
 ひとり言をつぶやくには明るすぎる夜だから、努めてお道化て言う。
「なんだろう、お風呂? じゃないな、なんだろう」
 思いつきで言った謎かけに、同じくらい軽い答えを返す。水たまりをひょいと跳んだつもりが、足

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