「街を語ること」について
ここ最近、街をテーマにした記事をしばしば見かける。「都市」に興味と関心があるわたしにとって、その中には勉強になるものがある一方、偏った見方に固執し、一面的に論じているものも少なくない。後者の場合、誤った、もしくは歪んだイメージの啓発につながりかねないため、注意が必要だ。街と人との切っても切れない結びつき、すなわち「地縁」の重要さに多少なりとも自覚的であれば、街をテーマに語るときは、思慮深く言葉を探し、慎重に価値判断すべきである。
今回は、先日、目にした川崎をテーマにした記事を題材に、それを批判的に読み込むことで、巷に溢れる「なんちゃって都市論」がどれほどいい加減なものなのか、お示ししてみたいと思う。
該当の記事は「ラゾーナ川崎"最凶"フードコートで私が見た光景 首都圏屈指の「怖い街」、歩いてわかった今の姿」という表題のもの。筆者の鬼頭勇大について、わたしは初めてお名前を目にしたが、SNSのプロフィールによると、ビジネスオンラインの副編集長を経て、現在はライター活動をしているという。管見の限り、彼が書いた「街」に関する記事は、これ以外なかった。
この記事は、各地の「フードコート」をめぐり、そこでのことを「記録」するとともに、「魅力や楽しみ方を提唱」するといった目的で書かれたらしい。どうやら連載しているようで、今回はその舞台として川崎の「ラゾーナ」が選ばれたそうだ。それでは本文を読んでみよう。
冒頭、筆者は川崎のイメージについて、以下のように明確に示している。
まず、実際に川崎駅の周辺を歩いてみるとわかるが、駅の東口と西口では、まったくと言っていいほど、その様相は異なっている。
東海道五十三次の宿場町から今日まで、脈絡と続く歓楽街として名を馳せる東口と、明治以降、大企業を中心に多くの工場が建設され、1990年代に入ると、それらが移転したことに伴い、「ラゾーナ川崎」をはじめ大規模再開発が展開された西口とでは、街並みはもとより、行き交う人も変わってくる。なお、筆者のいう「夜の店」について、具体的に何を指すのかわからないが、東口には川崎競馬場のほかに、川崎競輪場もある。また、堀之内と南町という2つのソープ街、風俗店街も徒歩圏内だ。もっとも、西口には公営ギャンブル場も、風俗店街もない。ちなみに、パチンコ屋について、今回調べてみたが、駅から10分圏内を対象にすると、東口には10店舗ある一方、西口にはやはりない。
したがって、端的にいえば、駅周辺を東/西に分けることなく、一緒くたに「川崎駅周辺」として論じること自体、極めて乱暴で、ナンセンスな姿勢と言わなければならない。「夜の店」から「ガラの悪さ」を基準にしているなら尚更だ。
次に、筆者は川崎市にある7つの行政区の名称について、以下のように述べている。
この「「キラキラネーム」的な雰囲気」というのが、一体どのようなものなのか、説明がないので、よくわからないが、仮にこれを言葉の前身である「DQN」と置き換えてみると、筆者のいう「ユニーク」では収まらない、「奇抜」や「奇天烈」といった意味が浮かんでくる。果たして、川崎市の行政区の名称は、どれも「キラキラネーム」なのだろうか。
せっかくなので、一つひとつ見ていこうと思う。最初に、もっともメジャーな川崎区は「区域一帯が多摩川のデルタ(三角州)地帯」であったことに由来しており、「川」は多摩川を、そして「﨑」は砂が溜まり東京湾に向かって出っ張った場所であることを、それぞれ意味している。次に幸区は「明治天皇の行幸」を記念して、この一帯が「御幸村」と名付けられたことがはじまりだ。そして、一般公募(昭和57年)により区名が決定された宮前区は、かつて、この地域が「馬絹村字宮ノ前」と呼ばれていたことに由来し、それが今日まで継承されている。ほかに中原街道の中継地だったことに由来する中原区、また、仁徳天皇の御聖から引用された高津区、その他、多摩川に隣接していたことから多摩区。そして、最後に柿の生産が盛んだった「柿生」村に、麻の生産地域が合併したことで誕生した麻生区がある。
かくのごとく、川崎市を構成する7つの行政区には、それぞれ明確な由来があり、それらはけっして「奇抜」や「奇天烈」、すなわち「キラキラネーム」とはいえないだろう 。他の政令指定都市でしばしばある単純な「中央(中)や東西南北、緑」といった名称は用いておらず、それぞれに「由緒」があるのだ。
はっきり言って「キラキラネーム的な雰囲気」は筆者の「妄想」に過ぎないのである。ちなみに、筆者のいう「他の自治体に同じ名前を持つ区がない」というのは、川崎市のほかに、静岡市(葵区、駿河区、清水区)もあるが、果たして静岡市は「キラキラネーム的な雰囲気」に包まれているのだろうか。
ここまでくると、重箱の隅を楊枝でほじくりたくもなる。やはり次の一文も気になる。
確かに川崎には、戦前、小川町を中心に「川崎映画街」が形成され、それは現在の「チネチッタ」の源流とされている。しかし、川崎映画街はアジア太平洋戦争末期の川崎大空襲で全焼。その後の復興のなかで、再度、川崎映画街が復興され、現在は全国1位の興業収入を記録するシネコンだ。そのような意味では、確かに「映画の街」なのかもしれない。しかし、ここで一点留意しなければならないのは、「映画の街」というとき、往々にして、(歴史的に振り返る場合は特に)映画館のみならず撮影所が不可欠な要素となってくる。
現に「映画の街」として高い知名度を誇る調布に は、かつて大映、日活、中央映画の3か所の撮影所があり、その様子は「東洋のハリウッド」と呼ばれていた。また、川崎の隣にある蒲田も「映画の街」だが、やはり松竹蒲田撮影所の影響が大きいのである。これらの街と比較して、川崎が「映画の街」とは聞く機会はあまりに乏しい。
キリがないようなので、最後にもっとも奇抜に映った 一文を紹介しよう。
「危惧していたような危険」という重複表現が、何を指すのかよくわからないが、それはさておき、筆者は「昼夜人口比率」(正しくは「昼夜間人口比率」)から川崎市を「夜の街」と断定していることに、大いなる問題がある。ここで紹介されているように、川崎市の昼夜間人口比率は「 87.3(2020年国勢調査)」であるが、これは単純に「夜間人口100人に対して、昼間人口は87.3人」であることを意味する。重要なのは、ここでいう「昼間人口」の定義であって、それは国勢調査において「就業者または通学者が従業・通学している従業地・通学地」を指す。ただし、職住が近接していない日本の都市において、 飲み屋は「職」の地域、すなわち職場に近接していることが多い。反対に、夜間人口を構成する「寝る場所」は、閑静な住宅街である場合が多く、その傾向はベッドタウンと呼ばれる郊外では顕著だ。したがって、昼夜間人口比率が低い=夜の街というのは、根本的に論理が破綻している。
例えば東京都世田谷区の昼夜間人口比率は、川崎市の近似値ともいえる「90.6(2020年国勢調査)」 であるが、世田谷は「夜の街」なのだろうか。いや、イメージからも、実態からも東京23区のなかで「夜の街」から限りなく離れた地域のひとつであろう。
そのうえで、さらに問題なのは「川崎市」という単位で一括りしているところだ。それは各行政区ごとの昼夜間人口比率を見ればわかる。
まず突出して高いのが、川崎駅周辺が立地する川崎区(116.2)である。確かに川崎駅周辺は、なかでも東口側は「夜の街」なのだが、それは「昼夜間人口比率の高さ」に起因している。筆者の認識と実態は、文字どおり正反対なのだ。(川崎区の昼夜間人口の比率を押し上げる要因として、工業地帯の立地が多いことに注意が必要(東扇島(995,800)、浮島町(593,300)など)。)。川崎市の平均値(87.3)と同種の傾向を示すのは、川崎区と幸区を除いた各区であり、それらの中には「ベッドタウン」と呼ばれる地域も多い。
結局、川崎市をはじめ政令指定都市は、市域のなかで多様な社会構造を抱えていることが多いため、可能な限り各行政区ごとに比較されるべきなのである。
そして、筆者はフードコートのテナントから神奈川都民が多いことに着目したうえで、最後にやはり「昼夜人口比率」を持ち出して、こう締めくくる。
「昼夜間人口比率がまだまだ低い」ことと、「一昔前のもの」とされる「川崎へのイメージ」、すなわち「怖い」というものが、どのように連関するのか。ここまで論じてきたように、わたしにはさっぱりわからない。なお、最後までこだわっている昼夜間人口比率について、筆者は「まだまだ低い」と言っているが、先ほど説明したように川崎駅周辺、川崎区のそれはむしろ高い。つまり「まだまだ低い」とは、明確な事実誤認なのである。
結局のところ、筆者は「怖いと思っていた川崎に行ってみたけど、実際は怖くない普通の街」であったことについて、誤った方法で用語を用いて、強引な論理で言いたいのだろうが、よくよく読んでみると、論理が混乱しており、何が言いたいのかわからないのである。「東洋経済」の名を冠した媒体が、このような拙い文書を載せるのは、いかがなものなのか。
冒頭に記したように「街について書くここと」は、当然に、その地域に住んで、生活を営んでいる人へ思いを馳せなければならない。いい加減なイメージが先行して、誤った、歪んだ見方を流布することは、言い換えれば、その地域に住む人への中傷といっても過言ではなかろう。人が街から簡単に逃れられないことと同様に、街もまた人が抱くイメージからは容易に逃れられない。そのことに自覚的でなければ、街を語る資格などないはずだ。