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「キセキ」と「キセキ」

いきなり余談ですが、長期でnoteを書いていこうとするならば、内容に詰まることもあるでしょうが、「タイトル付け」も悩みの種になりそうです。

#○○」とか「No.〇」とかつけるのは得策だと、今頃になって感じています(;一_一)。

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少女と海

奇跡は待つのではなく、起こすものだ」というように、現代においては「奇跡」というのは自らの行動に伴って発生する現象、といったニュアンスが定着しつつあるように思います。

ところで、そもそも「奇跡の定義」って何でしょうね?

常識では起こるとは考えられないような、不思議な出来事。特に、神などが示す思いがけない力の働き。また、それが起こった場所。

おそらくググると最初にこのように出てくると思います(出典:Google)。

少し、似たような言葉との違いを見てみましょう。

他のものとの因果関係がはっきりせず、予期できないような仕方で物事が起こること。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。

上が「偶然」で、下は「セレンディピティ」で検索した結果です。(出典:Google、Wikipedia)

皆さんも、思いつく言葉はあると思うので、それぞれの言葉の意味、調べてみてはいかがでしょうか?

ざっくりですが、「奇跡=神がかった事象」というニュアンスでしょうかね。

ここまでを整理すると、「奇跡は待つのではなく、起こすもの」というのは、「神頼みせず、自らが神の領域に踏み込んで道を切り開く」といったところでしょうか?

自らが神の…」とか罰当たり的に聞こえるかもしれませんが、個人的には「俺がガ〇ダムだ‼」というとあるアニメのセリフが浮かんできました(笑)。

…話を戻します( ̄▽ ̄;)。

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滝

ここからは、個人的な意見なのですが、宗教学的議論はさておき、イメージとして「人が神がかった事象」を起こせるのだとしたら、それは「どう生きてきたのか」という部分に行き着くのではないかと考えています。

つまり、「奇跡」とは「生きてきた軌跡」の先にあるのではないか、と思うのです。ダジャレではなく、ね(笑)。

「成るべくして成る」

今こうして、私がnoteを書き、皆さんがこの記事を目にしているのも、ある意味「奇跡」だと思っています。

ですが私は、「ここに辿り着きたいと思って人生を歩んできた」わけではないです。残念ながら(;´・ω・)。

さまざまな事象、そこには幸運だけではなく艱難辛苦も含め、ありとあらゆる要素があり、また、世の中的な環境の変化(テクノロジーの発展など)が重なり合い、尚且つ、皆さんもまた、思いがけないさまざまな要因に導かれて、ここにいるのだと思います。

これらの要素すべてが「奇跡」を形成している、と思いませんか?

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青空と道

さて、ここまでの話は、「今」に至るまでの話です。

もし、本当に人が「奇跡」を起せるのなら、望む「奇跡」を求めるのなら、

これからどういった「軌跡」を皆さんが辿るか、ということなんだと思います。

「奇跡は軌跡の先にあり、起こるべくして起こり得る事象」

という持論をもって、今回の投稿は以上です。

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