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今すぐ使える小説テクニック1

こちらは八幡謙介が年に発表した実用書です。


ガジェットを上手に使って小説力をUPする方法

『小説の描写がつい単調になってしまう、でも具体的にどう改善していいのか分からない』……そんな悩みを抱えている方は多いのではないでしょうか?
 小説では、直接的な描写は「説明的」と批判され、あまり良しとされません。かといって、シーンや人物に対して何の情報も入れないわけにもいきません。できるだけ直接的にならずに、しかも読者のイメージをかき立てるような描写をするには、どうすればいいのでしょうか?
 古今の小説家たちは、この問題に苦心し、奮闘してきました。既存の作品は、その奮闘の跡であるとも言えます。今回はその中から、特に分かりやすく応用しやすい作品を抜粋して、解説を加えてみたいと思います。

1 人物の成長をガジェットで表現する

綿矢りさ「亜美ちゃんは美人」(文藝春秋)

超絶美人の亜美ちゃんと、彼女の隣でいつも不遇な思いをさせられるさかきちゃんの友情の物語。まずは作品内の時間の経過を把握しましょう。本作は中編で、全11章。以下、時間の経過をまとめてみると、

1・2(章)高校時代
 3~5(章)
 大学時代6~11(章)
 大学を卒業して2年後の現在

本作では、〈高校時代〉から〈大学時代〉の間と、〈大学時代〉から〈卒業後〉の時間が一気に進められており、大学受験や就職活動の描写は一切ありません。
 この〈大学時代〉に、「亜美研究会幹事長」を名乗る小池くんが登場します。小池君はかなり変わった人物で、一気に山岳同好会のメンバーに気に入られ、亜美ちゃんの来る飲み会には必ず出席する名物キャラとなります。
 彼が初めて、大学の山岳同好会の飲み会に出席した時の服装描写に注目してみましょう。

居酒屋に現れた小池くんは、いかにも理系っぽい細いフレームの眼鏡をかけて、マス目柄のボタンシャツを着た、シューベルトをもうちょっと太らせて日を当てずに育てた外見の男の子で(後略)(p183)

ここでのガジェットは、【いかにも理系っぽい細いフレームの眼鏡】と、【マス目柄のボタンシャツ】です。「垢抜けない大学生」を描写するために作者が選んだガジェットでしょう。実際、たったこれだけでも、小池くんの容姿が随分イメージしやすくなっています。

さて、本題はここから。6(章)から一気に時間が進み、さかきちゃんは社会人になっています。親友だった亜美ちゃんとはしばらく会っていなかったが、彼女から「新しい彼氏ができたから紹介したい」と連絡が来る。この彼氏がかなりくせ者で、どう考えても亜美ちゃんには不釣り合いだし、彼氏が亜美ちゃんを幸せにできるとは思えない。そこで、大学を卒業してから会っていない小池君に相談しようと、さかきちゃんは彼を呼び出します。
 二年ぶりに会った小池くんの描写を引用してみましょう。

やってきた小池くんは、もう方眼紙のマス目柄のボタンシャツは着ていなくて、通勤帰りの限りなく黒に近い灰色のスーツを着ていた。――(中略)――髪はなでつけて後ろに流し、太い黒縁の眼鏡、(後略)(p208)

大学時代の【いかにも理系っぽい細いフレームの眼鏡】は【太い黒縁の眼鏡】に、【マス目柄のボタンシャツ】は、【限りなく黒に近い灰色のスーツ】になっています。これは単に小池くんの趣味が変わったのではありません。小池くんは、垢抜けない大学生から、二年という時間が経過し、(恐らく)やり手のサラリーマンに成長した」ということを、ガジェットを使って作者は描写したいのです。
 なら、そんな回りくどいことはせずに、どこがどう成長したのか、会社での成績や上司の評価で示した方が読者には分かりやすいのではないか? と思う方もおられるかもしれません。しかし、小説とはなかなかめんどくさいもので、直接的な描写は説明臭くなり、かえって読者がイメージし辛くなってしまうのです。また、小池くんはあくまで脇役ですし、このシーンも、さかきちゃんが彼に相談事をするためのシーンなので、できるだけ不要な情報は入れたくない、でも、小池くんが相談相手としては申し分ないほど成長して大人になっているという情報は読者に知っておいてほしい……ということで、上記の描写になったのではないかと私は推察します。大学時代の飲み会の、なんでもない服装の描写が伏線となって、意外なところで有効活用されていることに、『上手いな~』と私は感心してしまいます。
 さらに、別のガジェットを使った、小池くんの内面描写もあります。

(前略)大学生のころから着けていた、酔っぱらうとほかの部員に隙あらば取られそうになっていたデイトナが、いまも彼の腕に巻かれていたが、あんなに浮いていたのに今は目につかないくらいに彼に馴染んでいた。スーツや眼鏡とは違い、時計は早くから使い始めなければ馴染まないことを計算に入れて、小池くんは稼ぎのなかった大学生のころから、時計だけは本物を手に入れていた。(p209)

これは、【デイトナ】(高級腕時計ロレックスのスポーツモデル)というガジェットを使って、小池くんの「先見性」、悪く言えば「計算高さ」を描写しています。これもやはり、彼はこういう性格で云々と地の文で説明すると読者はイメージし辛いので、あえてデイトナというガジェットを持ち出して、それにちなんだ逸話を軽く挿入することで彼の性格を描き出しているのです。

応用

ここで『ふ~ん』と感心するだけではもったいない! 作家志望ならこういったテクニックを貪欲に吸収し、成長していくべきです。では、上記のようなテクニックをどうやって応用させればいいのでしょうか?
 重要なのは、「ガジェットが何か」ではなく、「何のためのガジェットか」ということです。今回は、「ある人物の成長を表現するためのガジェット」です。ここを真似することはパクりではありません。
 例えば、

昔は全身ファストファッションだったのに、今は高級ブランドをさらりと着こなして……
 成長した

昔はちょっとコンビニに行くにも隙のない格好をしていたのに、今はいつでもファストファッションで……
 落ちぶれた

この【ファストファション】や【高級ブランド】にもっと具体的なブランド名を使っても構いません。ただ、見当違いな使い方をすると失笑を買うので、その場合は入念な取材が必要です。個人的には、自分が絶対に自信のあるガジェット――私なら、専門のギター関係や、普段着ている洋服、使ったことのある小物など――の場合、具体的な名前を出して小説に使います。逆に、使ったことがないものや、女性の服、持ち物などは、小説のガジェットとしてはざっくりと使います。

2 シーンの効果を高めるためにガジェットを使う

平野啓一郎「高瀬川」(講談社)
本作は、京都の繁華街で、小説家の大野と雑誌編集者の裕美子が過ごす官能的な一夜を描いた作品です。特に、ラブホテルでの描写――SEX前、最中、事後――は詳細を極めており、刊行当時はその生々しさが物議を醸し出したと記憶しています。
 作品はこんな描写から始まっています。

薄暗い廊下を抜け、ドアの上に赤いランプの点滅しているその部屋に這入ると、入り口の左手から、いきなり、「イラッシャイマセ」という奇妙なアクセントの声が聞こえ、二人を驚かせた。備え付けの自動精算機がドアの開閉に反応したらしかった。(中略)女は咄嗟に声を上げて男の腕に掴まった。彼は、薄手のシャツを通して、その不用意に込められた十指の力を熱とともに感じ、それがこれから、自分のからだのあらゆる部位に於いて繰り返し訪れるであろう乱脈な感触の、ややあからさま過ぎる予告であることに、軽い興奮を覚えた。(p26)

初読からしばらく、私は、作者がなぜこんなシーンから書き始めたのか全く理解できませんでした。文学者らしい端正な筆致で描かれているものの、要するに、「ラブホの部屋に入ったらいきなり機械の変な声がして、女が驚いて腕に掴まってきて、ちょっと興奮した」というだけのことです。最初から読者を引き込みたいのなら、もっと大胆なシーンから書き始めてもいいのではないか? と不思議に思っていました。
 が、自分でも小説を書くようになると、このシーンが、小説技巧の粋を尽くして描かれた名シーンであると理解できるようになってきました。
 そのキーとなるガジェットが、「自動精算機」です。ごく簡単に説明すると、無機質なこの機械と、生身の肉体を持った男女を対比させることで、作者は人間をより生々しく描こうとしているのです。なぜ私がそう断定できるのか? それは、作者が本筋とは全く関係のない「自動精算機」というガジェットを、何度も執拗に描写していることで分かります。では以下、「自動精算機」についての描写を抜粋してみましょう。
 まず、精算機そのものは、【金属製の直方体の機械】(p26)、【赤茶色に塗装されたその機械】(p27)と、無機質な質感を付帯情報にした上で、わざわざ「機械」と描写されています。また、精算機は【奇妙なアクセントの声】(p26)を、【業者が設定を間違ったのではと訝られるほどにおおきな音】(同)、で発し、それが【二人には、何か警報めいた、不気味な響きとして感ぜられた。】(同)とあることから、この〈場〉にとって異質なもの、大野 ・裕美子の二人と異なるもの、相対するものとして描かれていることが分かります。
 そして、この無機質な「自動精算機」の奇妙でしかも場違いな声に裕美子は驚き、とっさに大野の腕に掴まります。この流れがあるからこそ、

【(前略)彼は、薄手のシャツを通して、その不用意に込められた十指の力を熱とともに感じ、それがこれから、自分のからだのあらゆる部位に於いて繰り返し訪れるであろう乱脈な感触(後略)】(p26)

という文章が、一種異様ななまめかしさを帯びてくるのです。
 初読のときは、恐らく私はまだお話の流れを追うような読書をしていて、こうした細やかな技巧を十分に読み取れていなかったのでしょう。
 優れた文学作品には、おおよそ無駄というものがありません。本作のように、一見どうでもいいようなガジェットも、よくよく読み込んでみると、絶対に外すことの出来ない重要な意味を持っているということが分かります。

(試し読み終了)

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