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作者が本気で自分の小説を解説してみた7 未来撃剣浪漫譚Anthology

こちらは八幡謙介が2022年に発表した解説本です。

小さな奇跡

執筆の動機

 撃剣シリーズを二作発表し、評判も上々だったのでちょっとしたスピンオフ的な短編を書いてみようと思ったのがこの「Anthology」です。当初はもっと沢山書く予定だったのですが、本業のギターの方でピッキングの研究をはじめたので(2015年)、結局短編二作で止まってしまいました。
 本当は子供時代の無二の話や、修行時代の喜三郎と無一(無二の父)の話、くまちゃん回、本編に登場しない仇討ちアイドルの話なども考えていました。またどこかで書くと思います。

「小さな奇跡」は、兄がラスパラに消えてしまい、取り残された茜が可愛そうなので、元気を出してもらうために書きました。
 シリーズで登場した近未来ガジェットや脇役、新キャラなども出して読み応えが出るように工夫した記憶があります。
 流れで薫と無二の初対面のシーンも描けたのが僥倖でした。
 最後にちょっとしたオー・ヘンリ的な偶然を挿入し、ほっこりさせようと工夫しました。
 また、仇討ち以降の凜と薫の関係性も少し突っ込んでみたかったので、そちらも挿入しましたが、結局進展はありませんでした。

プロット

 引きこもりとなってしまった茜を立ち直らせるため、凜は薫やチョー助を頼ります。近未来のガジェットを描写しつつ、長編では描けなかった過去なども軽く描写。
 薫は見事に無二の変装をし、茜の元へ。その時偶然見つけたのは、本物の無二から送られてきた手紙でした。
 茜は夢うつつの中無二と話し、翌朝枕元に手紙があったことで本人だと信じ、引きこもりから立ち直ります。

文体

 長編の解説にも書きましたが、僕はまだ本作執筆時点でエンタメと純文学の文体の区別ができていませんでした。ただ、なんとなくそれには気づいていたので、純文学作品とは違う、できるだけ簡潔で読みやすい描写を心がけました。

解説

 二階堂凛は、急にぶり返した寒さに戸惑いを覚えながらも、すっかり春らしくなってきた街並みに思わず笑みを浮かべた。商店街に入ると、各店の前にはホログラムの店員が笑顔で立っている。
(お花も買っていこうかな……)
 春らしい明るめの花々に目を取られながら、しぶしぶ通り過ぎ、目的のセルフスーパーに向かった。
 軽く暖房の効いた店に入ると、エプロン姿の店員――もちろんホログラムの――に名前を告げる。
「ニカイドウリン様ですね、ネットでご注文された商品が揃っていますので、十八番カウンターでお受け取りください」
「はい、ありがとう」
 凛は律儀に礼を言った。ホログラムだからといって横柄な態度を取るのは嫌だ。
 小学校のときだったか、昔のスーパーにはあらゆる商品が棚に陳列されていたと習った記憶がある。お肉や野菜、果物、それに香辛料や、ジュース、おもちゃまで! どんな光景なのか、凛には想像もつかなかった。いったい何人の人がそこで働いていたんだろう? 強盗に襲撃されたりしなかったのだろうか? 凛が物心ついたときには、ほとんどの店は、欲しい品物をネットで予約し、指定時間内に取りに行く形式に変わっていた。店頭に飾られた商品はダミーで、本物は奥か地下にでも保管されている。たくさんの商品、それも実物のものをひとつひとつ手にし、そこから選ぶなんて、想像もできやしない。
 指定のカウンターに到着すると、ホログラムのおじさんに名前を告げた。すると地下に続くベルトコンベアが作動し、凛の注文しておいた商品がゆっくりと上がってきた。
「ありがとう」
 またホログラムに礼を言うと、両手に荷物を持ち、スーパーを後にした。

【商店街に入ると、各店の前にはホログラムの店員が笑顔で立っている。】

近未来感を冒頭で軽く描写します。

【セルフスーパー】

2046年の生活を想像して書きました。ネットで欲しいものを先に注文しておき、スーパーに行けば全てまとめて渡してくれるというシステムを想像しました。執筆は2014年ですが、2022年現在近いサービスはもうあるようですね。

【凛は律儀に礼を言った。ホログラムだからといって横柄な態度を取るのは嫌だ。】

ホログラムにもちゃんと挨拶するというのがこの時代のマナーです。女性はホログラムへの態度で男性を見極めたりします。

【小学校のときだったか、昔のスーパーにはあらゆる商品が棚に陳列されていたと習った記憶がある(中略)たくさんの商品、それも実物のものをひとつひとつ手にし、そこから選ぶなんて、想像もできやしない。】

凜の世代の感覚を描写。ちなみに凜は2027年生まれです。作中では18~19歳ですね。誕生日は決めていません。

【ホログラムのおじさんに名前を告げた。】

ホログラムをなんでもかんでも際どい衣装の美少女にしていた時代は終わっています。フェミニストからの圧力です。この辺の設定はいちいち説明しない方針で書いていたのでしょう。

冒頭シーンできっちり世界観や人物描写ができていますね。まあ、読者は既に知っているという前提もありますが。

「あ――」
 芹沢事務所まで来ると、ちょうど入れ違いに出てきた望月薫と鉢合わせ、凛は思わず声を上げた。
「ああ、凛ちゃん、茜の様子見にきたんだけど、出てくれなくて、いないの?」
 薫も出会いを予期していなかったのか、焦りを隠そうと早口で告げた。
「ううん、いると思う。もう一週間も部屋から出てこないの。ご飯は食べてくれてるみたいだけど……。ねえ薫君、私どうしたらいいんだろう? このままだと茜ちゃんダメになっちゃうよ……」
「まあ、ずっと無二サンと一緒だったからね。仕方ないよ、あんな風に去っていかれたら。それに、自暴自棄になってラスパラに追っかけに行かないだけ、まだ理性が働いている証拠だよ。今はそっとしておくしかない」
「う~ん、そうだけど……」
 茜ちゃんを立ち直らせるため、何かできることはあるはずだ。けど、その〝何か〟が分からない。
「あ、私これ冷蔵庫に入れてくるから。薫君上がってく?」
 凛は両手に持った袋を軽く揺さぶって、薫を見上げた。春の柔らかい光を受けて輝く髪に、少し心臓が高鳴り、慌ててまた目を伏せる。
「いや、俺はやめとくよ。また何かあったらいつでも協力するから。じゃ、」
 薫はそう言って軽く手を上げると、意外なほどあっけなく去って行った。凛はほんの一瞬だけ覚えた寂しさを振り払うかのように、階段を勢いよく上がり、二階の芹沢宅へと向かった。

芹澤事務所前で薫と鉢合わせます。二人の会話から、どうやら茜が引きこもっているらしいと分かります。時間としては、前作で無二がラスパラに発った直後です。

【凛は両手に持った袋を軽く揺さぶって、薫を見上げた。】

なんでもない描写ですが、【見た】ではなく【見上げた】としているところに注目。身長差を描写することでシーンが立体化されます。

【凛はほんの一瞬だけ覚えた寂しさを振り払うかのように】

凜がまた薫に惹かれていることをさらっと描写します。一度はプロポーズを断ったものの、無二が去り、茜も引きこもってしまい、頼れる人が少なくなったことで薫への気持ちが若干変わったはずだと考えました。

【二階の芹沢宅へと向かった。】

芹澤事務所一階が稽古場、二階が自宅という設定。

「茜ちゃん、ご飯作っといたから、よかったら食べてね。私下で稽古してるから」
 凛はドア越しにそう告げると、返事を確認する前に玄関を出て、一階の稽古場に向かった。
 見慣れたドアの前に立つと、ふとあの夏の出来事が脳裏によぎる。姉を辻斬りに殺されて、仇討ちを決意し、何も考えずにこのドアを開けたんだ。あのとき、笑顔で声をかけてくれたのが茜ちゃんだった。あれがなかったら、きっと怖じ気づいて出て行っただろう。そうしたら、私は仇討ちもできず、いつまでも部屋に閉じこもっていたかもしれない、今の茜ちゃんのように……。
 ――あれから、そろそろ一年か……
 凛は主のいなくなった稽古場をゆっくりと見渡した。たった一年ここで稽古しただけなのに、もう何十年も汗を流してきたかのような濃密な時間がこの場所には詰まっていた。
 ぎゅっと手を握りしめる。
 ――茜ちゃんは、苦しんでいる私に手を差し伸べて、助けてくれた。仇討ちもそう、友子が拉致されたときも。今度は私の番だ! 茜ちゃんに恩返しをしなくちゃ。それに、茜ちゃんがダメになってしまっては、無二さんに合わせる顔がない。無二さんの口から直接言われたわけじゃないけど、たぶん、自分がいなくなった後のことを私に託してくれているはず。だからこそ、茜ちゃんを立ち直らせないと。
 そう考えると、改めてそっとしておくことが良策だとは思えなかった。かといって、無理矢理外に連れだそうとしても本人が出てこないだろう。茜ちゃんを連れ出せることができるのは、そう、無二さんだけだ。無二さん……だけ……
 ――――!
「そっか! そうだ!」
 思わず声が出た。けど、成功するだろうか? いや、きっとさせてみせる! 
 凛は急いでゴーグルをかけた。

芹澤事務所の稽古場に一人立つ凜。無二がラスパラへ発ち、茜は引きこもってしまって、稽古場は嘘のように静まりかえっています。

【――あれから、そろそろ一年か……】

凜の仇討ちが2045年夏、今は2046年の春先ぐらいです。無二がラスパラに発った直後ですね。

凜は改めて茜の存在の大切さを噛みしめます。茜がいなければ今の凜は絶対に存在しません。
 なんとかして助けてあげたいと考えるのは当然です。

「し…失礼します、こちら、ご注文の…アイスコーヒーとなります。あ、あと」
 生身のウェイトレスが、少し廻りを気にしながら薫に何かを差し出した。
「これ、クーポンなんで、よ、よかったら使ってください」
 早口でそう告げ、トレイを抱えて去って行く。薫はその後ろ姿を眺めながら、小さく溜息をついた。カフェに入ったときから、もう何度となく彼女の視線を感じていた。クーポンの裏には、案の定彼女のものらしいアドレスと電話番号が記されていた。それを無造作にポケットに入れ、窓の外を眺める。
 ――無二サンは、今頃どこに……
 悲願であった父の仇を討ちに、無法地帯であるラスパラへと向かった無二を、薫は少し滑稽にさえ感じていた。何もそこまでムキになることはない、父親を殺した相手を殺しても、元には戻らない、ならば生きている自分がこの生を楽しむべきではないか? 忍者の家系に生まれた性(さが)か、あるいは持って生まれた性質なのか、薫には仇討ちという文化そのものに対する理解が薄い。しかし、闘争の世界は嫌いではなかった。ヒリヒリするようなスリルは快感だし、実力がものをいう世界は、ある種健全に思えた。無二はそんな世界に身を置き、薫の実力を認め、スパイとして起用してくれた。嬉しかったし、無二との仕事はいつもスリリングで、薫の本能を満足させた。しかし、薫は無二に忠誠を誓ったわけではない。尊敬はしているし、裏切るつもりは毛頭ない。仇討ちの成功も心から祈っている。ただ、ふさぎ込んでしまった茜の世話を焼いたり、無二のいない芹沢事務所を自分が切り盛りしていく気はさらさらなかった。
 このまま、無二が帰ってこず、茜が立ち直れなかったら……。
 ――そのときは、そのとき。
 自分はまた新たな雇い主を探すまでだ。静かにそう結論付けると、氷の溶けたアイスコーヒーを一気に飲み干した。伝票をつかみ、腰を浮かせた瞬間、ゴーグルが点滅した。

相変わらずモテる薫。
 撃剣世界ではカフェやレストランは基本ロボットが注文を取ったり運んだりするのですが、高級店はまだ生身の人間を雇っているという設定です。ここでは薫のモテ男っぷりを描きたかったのであえて高級店でお茶しているという設定にしました。高級店であるという描写はしていませんが。

ウェイトレスが去ると、薫は無二について考えます。薫は無二を尊敬していますし、芹澤事務所とは良好な関係にあります。ただ、気質が全く違うので、無二が仇討ちのためにラスパラ入りしたことについて、内心は『よくやるよ…』と呆れています。茜とも仲はいいのですが、世話をしてやる義理はないと考えます。ドライでやや自分勝手なところを改めて読者に提示します。

【氷の溶けたアイスコーヒーを一気に飲み干した。】

わざわざ【氷の溶けた】と表現したのは、時間の経過を描写するためです。

 さっきのウェイトレスが、明らかに不機嫌な様子で凛の注文したレモンティーを置き、無言で去って行くのを、薫は苦笑いしながら見ていた。凛は何も気づかないようである。
「で、凛ちゃん、お願いって?」
 茜のことだとは分かっているが、いまいち見当がつかない。
「あのね、茜ちゃんを立ち直らせるには、やっぱり無二さんが必要だと思うの」
「でも、もう無二サンが〝向こう〟に行ってから一週間経つからなあ……探すのも一苦労だし、見つかっても戻って来ないんじゃない?」
 凛はちょっといたずらっぽく口角を上げて、
「ううん、そうじゃなくって、薫君が変装して茜ちゃんの枕元に立つの」
「えぇ? ああ、まあ変装はいいとしても、さすがに妹にはバレるだろ? 匂いとか……」
 そう言った瞬間、ある男の姿が頭に浮かんだ。どうやら凛は最初からそのつもりらしい。
「だから、チョー助さんに頼んで、無二さんの匂いを作ってもらったら完璧でしょ? あとは声だけど……」
 薫は観念したのか、小さく息を吐くと自分から提案した。
「声ならエフェクトマスクをプログラミングできるやつがいる、じゃあ……今から行く?」
「うん!」と立ち上がった凛を、一旦制止した。
「協力は、する。そのかわりと言っちゃなんだけど……」
 勢いで口にしたものの、見返りに何を要求したものか、薫は言葉に詰まってしまった。
「じゃあ……成功したら、キス……していいよ」凛は少し口をすぼめて、うつむきながらそう告げた。
「い、いいの!」
 つい大きな声を出してしまい、いくつか視線が刺さるのを感じた。凛は自分で言った言葉に照れている。薫はようやく訪れた挽回のチャンスに胸が奮えるのを感じた。一度は振られ、芹沢事務所との関係性から凛を諦めはしたものの、無二が去った今なら凛と付き合っても問題ないはずだ。『キスしていい』という凛の申し出は、再度の告白を促しているのではないか? いや、それとも……。
「じゃあ、今から行こう。俺はコスプレショップで適当に変装して、その後エフェクト屋でマスクを作ってくる。凛ちゃんはチョー助んとこで無二さんの匂いを合成してもらって、また芹沢事務所で落ち合う。どう?」
「うん、じゃあそれで」
 二人はようやく立ち上がり、店を出た。ウェイトレスが最後のチャンスとばかりに送る視線に、薫は全く気がつかなかった。

さっきのウェイトレスをもう一度使ってちょっとコミカルなシーンを演出します。
 凜から電話があり、薫はそのままカフェで待機、凜が到着という流れはカットしています。
 凜の作戦は、

・薫が無二の変装をする
・チョー助に無二の匂いを合成してもらう
・声はエフェクトマスクで誤魔化す

薫は変装のプロだし、無二のことはよく知っているので最適任者と言えるでしょう。

【「協力は、する。そのかわりと言っちゃなんだけど……」
 勢いで口にしたものの、見返りに何を要求したものか、薫は言葉に詰まってしまった。】

どうも凜を前にするとウブな少年のようになってしまう薫。こうして凜とは微妙な距離感をキープしておくと作品に面白みが出る気がします。

【「じゃあ……成功したら、キス……していいよ」】

茜を助けたい一心で、勢いで言ってます。凜も女の武器をちらつかせるようになったのかと、作者ながらちょっと苦笑いしてしまいます。

【二人はようやく立ち上がり、店を出た。ウェイトレスが最後のチャンスとばかりに送る視線に、薫は全く気がつかなかった。】

いつもの薫なら女の子の視線の意味ぐらい一発で見抜きますが、このときは全く気づいていません。薫の浮かれ具合を表現しています。ウェイトレスの子、可愛そう……。

(確か、この駅だったっけ?)
 凛は記憶を頼りに見覚えのある駅を降りると、壁の落書きを横目にそそくさと歩き始めた。この地域は昔から有名な貧民街で、新横県民なら普通は近寄らない。凛も実戦を経験していなかったら、怖くて足を踏み入れられなかっただろう。
 ――変な人に絡まれる前に、さっさと用事を済ませて帰ろう。
 夕日に染まるバラックや汚れた電柱を見ながら、胸騒ぎを心の奥に押し込み、必死にチョー助宅までの道のりを脳裏に浮かべた。しかし、一月に茜に連れられてここを訊ねたときは、友子がさらわれて気が動転していたせいか、風景が全く記憶に残っていない。薫君に連絡してみようか、それとも通行人に尋ねてみようか、そう思案していると、二人組の男がこちらに向かって歩いてきた。

凜は一人、貧民街にあるチョー助宅に向かっています。一度来ただけなのでうろ覚えです。通常、こんなシーンは削って到着したところから始めますが、ここで僕は凜の成長を読者に見せたかったので、あえて道に迷って絡まれるシーンを挿入しようと思いました。

(あーあ……)
 ニヤケ面を見ると、目的は一目で分かる。凛は無二に教わった〝初見の目付〟を素早く行った。指先は丸まって力がなく、腰もそれほど据わっていない、耳が潰れていないから柔道、レスリングの経験もなさそうだ。
 ――ただのチンピラかな。武器だけ気をつけよっと……
 歩幅を狭め、歩みを少し遅くする。膝を軽く緩めて、分からない程度に半身を切ると、片方の男が話しかけてきた。
「ねえ、どうしたのこんなところで。道に迷ったんなら目的地まで案内してあげよっか?」
「あ、結構です、すぐそこなんで」凛は大げさな笑顔で答える。
「いいじゃん、ねえ、高校生? どこ高?」
 きりがないな、そう思い、笑顔のまま黙って去ろうとすると、予測していた通り、腕を掴まれた。握力は強い。男は一気に声色を変え、凄んだ。
「おい、無視すんなよ、この街で俺ら怒らせたらどうなるか分かって…お、うわっ!」
 凛は柔術の手ほどきで掴まれている手から腕を抜くと、小手返しで相手を転ばせた。そのまま親指を掴んで逆を取り、動けなくすると、もう一人のチンピラに目をやった。
「おいテメエ、ぶっ殺すぞ!」
 男はファイティングポーズを取り、虚勢を張るが、凛の早技に明らかに動揺している。どうやら、武器は持っていないらしい。
(どうしよう、ぐずぐずしてると人が来ちゃう……)
 実戦が圧倒的に少ないせいか、まだ判断力に乏しい。数秒間、立っている男と睨みあっていると、
「おい! 人んちの前で何してんだこらぁ!」
 と家の中から怒鳴り声が聞こえた。しかし、その声にはどこか聴き覚えがある……。やがて玄関が勢いよく開き、中から細身の男が出てきた。
「おい! テメエんちに虫送り込んで暗殺してやろう……あ、あれ? 凛ちゃん?」
「あ! チョー助さん! ここだったんだ。よかったぁ、私道に迷って……」
 ファイティングポーズを取っていた男の顔が見る見るうちに青ざめていく。

(試し読み終了)

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少年の決闘

執筆の動機

 解説シリーズで何度も書いていますが、僕は主人公が敵を殺してめでたしめでたしにしたくはありません。ちゃんとその業を背負って苦しんでもらうことが作者としての責任であると自覚しています。長編二作を書き終えて、一度凜に自分のしたことの重みを自覚してもらうためにこの短編を書きました。

プロット


 茜が立ち直ってからすぐ、凜はいつものジョギングコースにある公園でいじめを目撃します。いじめっこを蹴散らし、流れでいじめられっ子のタケルに武術を教えることにします。その過程で、凜は改めて自分にとっても武術とは、力とは何か、それを人に教えることの責任について煩悶します。
 そんなある日、凜はどしゃ降りの雨の中、かつての仇である鮫島保と対峙します。彼は凜の心の中にいると告げ、いやらしく凜を責め立てます。
 凜は仇討ちが終わったと思っていましたがそれはとんだ間違いで、本当の仇討ちはこれから始まると知り、絶望します。
 翌日、タケルとの稽古を再開しようとしたところ、タケルからいじめっ子たちと和解したと唐突に告げられ、凜は救われたような気持ちになり、戦わずしていじめを解決したタケルに本当の武とは何かを教えられます。

文体

「小さな奇跡」と同じで、簡潔なエンタメ風の文体を目指しました。ただ、本作では凜の内省や、死んだはずの保との対峙シーンなど純文学的な描写があり、その分やや文章も純文学っぽくなっていると思います。

解説

 芹沢事務所を一歩出ると、むわっとした熱気が全身を包んだ。萎えそうになる気持ちを立て直すため、唇をきゅっと結ぶと、二階堂凛は階段を早足で降り、道路に出て空を見上げた。夕方五時を廻ってもまだ外は明るく、熱を帯びたアスファルトに立っているだけで汗が噴き出してくる。帽子のツバをキュっと下げると、準備運動がてら、早足でいつものジョギングコースを歩き始めた。
 芹沢無二がラスパラへと旅立ち、茜がそのショックからどうにか立ち直ってから、二人は仕事の内容を仇討ち指南・代行から、人探しやボディガードなどの比較的軽いものへとシフトした。WEBサイトも今までの簡素なものから、ポップで明るいデザインに変えたところ、女性からの依頼も増えてきた。争い事への介入が減ったのはいいことだが、つい気が緩み身体がなまってしまう。生粋の武道家である茜は、どういうわけか全く稽古をしなくても技が衰える気配がない。
 ――ずるいよ、そんなの。
 凛は少し口を尖らせると、既に玉の汗が浮かんだ顔や首筋を軽くタオルで拭き、早足からランニングに切り替えた。

【むわっとした熱気が全身を包んだ】

ちょっと自分らしくない表現ですね。何か考えがあったのかもしれませんが、思い出せません。

【夕方五時を廻ってもまだ外は明るく、熱を帯びたアスファルトに立っているだけで汗が噴き出してくる。】

「小さな奇跡」から少し時間が経って、夏に近づいてきたことを表現しています。

【早足でいつものジョギングコースを歩き始めた。】

【いつもの】と書くことにより、ジョギングを習慣にしていることがわかります。

軽いアクションから現在の説明。茜は引きこもりから立ち直り、芹澤事務所はイメチェンをしてライトな仕事をこなすようになっています。
 茜は物心ついた頃から武道を修めているので、体を鍛えるという習慣があまりありません(鍛えなくても強い)。一方、凜は才能はあるんですが、平和に暮らしているとどんどん感覚がなまってくるのを実感しています。そういう流れで、凜のみジョギングしています。

 息が少しあがり、身体の芯が熱を帯びてくる。凛の脳裏に懐かしい声が響いた。
 ――実戦は足だ、足が動かなくなったら死ぬ。
(無二さん……)
 精悍な顔を思い浮かべると、凛は軽く気合いを入れ、さらにスピードを上げた。 
 と、――
 いつも通過する公園に、一瞬違和感を感じた。無意識に足を止め、そちらを見やると、遊具の影になったところに少年たちがたむろしている。よく目をこらすと、一人の男の子を同じくらいの少年数人が囲み、こづいたり蹴ったりしている。凛は思わずそちらに駈け寄った。
「ちょっと! 何してんのよ?」
「は? 何?」
 少し体の大きい、生意気そうな少年が凛を睨む。
(この子がリーダーね)
 ピンと来た。
「何してるの? いじめ? ねえ君、大丈夫?」
 少年たちに囲まれて、肩をすくめて泣いている男の子に声をかけたが、返事はない。怯えているのだろう。
「何ぃ? おばさん。代わりに遊んでくれんのぉ?」
 陽によく焼けた別の少年が、意味深な嗤いを浮かべながらファイティングポーズを取った。凛はにっこり微笑むと、
「いいよ、遊んであげる。かかってきな」
 そう言って軽く両手を前に出した。少年たちは、ニヤニヤしながらゆっくりと凛に近寄ってきた。

凜はいつも通過する公園でいじめを目撃します。エンタメらしく、いきなりイベントを起こし、読者の興味を引きます。
 最近なまっていることを自覚しているせいもあり、凜はいじめを止めに入ります。自分から争いに介入するのは初めてかも知れません。

【(この子がリーダーね)】

集団と戦うときはリーダーを先に倒して士気を削ぐというのはよく言われることです。恐らく凜も無二にそう教わったのでしょう。

【「何ぃ? おばさん。代わりに遊んでくれんのぉ?」】

凜はまだ18か19です。相手は小学生なのでおばさんに見えたのでしょう。人生で初めて「おばさん」と言われて普通にムカつき、とっちめてやろうと戦闘モードになります。

「ちきしょう、覚えてろよ!」
 古典漫画のような捨て台詞を吐いて去って行く少年たちを、凛はぼんやりと眺めていた。いつの間にか西日が濃くなっていて、二人だけになった公園はさっきよりもどこかもの悲しい。凛は彼らが仲間を呼んでくる可能性を考たが、すぐに放念した。仮に来たとしても、討ち屋や辻斬りレベルの者はいないだろう、どうってことはない。それよりも大事なのは彼だ。そう思って振り返り、改めて男の子を見ると、真っ青な顔で震えている。
「もう大丈夫よ」
 笑顔でそう言った凛を彼は憎々しげに睨みつけた。
「な…で……」
「え?」
 凛の顔が一気にこわばる。てっきり感謝されて、女の自分がどうしてこんなに強いのか驚かれると思っていたのに。
「なんで、そんなことするんですか! あぁ、もう終わりだよ、あと一年だったのに! 一年耐えたら別々になれたのに、どうしてくれるんですか!」
 凛は、頭を抱えて再び泣き出した男の子を呆然と眺めながら、ようやく自分のおせっかいを理解した。今まではさっきのグループだけからいじめを受けていたが、自分がそのグループをやっつけてしまったおかげで、今後激化する恐れがあるらしい。
「ご……ごめんね、勝手なことしちゃって。そのかわり、何でも協力するから。そうだ! 武術教えてあげよっか! 私こう見えても討ち屋なんだよ! 仇討ちもしたことあるんだよ!」
 ほとんどヤケクソになってそう告げる。
「……人殺しじゃん」
 男の子は下を向き、吐き捨てるように言った。
 ――人殺し……
 親友の友子にそう言われたことを思い出し、一瞬血の気が引いた。
(私、まだ引きずってるのかな……)
「何人殺したんですか……」
 下を見ながら彼が呟く。
「ふ……二人」
 凛は恐る恐る正直に答えた。
「……じゃあ、腕は確かってことか。だから、さっきも、」
「そ……そう、見てたでしょ? 仇討ちは刀とか使うんだけど、素手で、もちろん相手を殺さずに倒す技だっていっぱいあるし、ね、どう? 毎日この時間にここで稽古するの」
 人殺しと言われたものの、意外に好感触で、凛は思い切ってそう提案した。なぜか、そうすることで過去に殺めた敵への償いになるような気がした。そうして、大げさな笑顔を作ると、
「私はリン、君は?」と握手の手を差し出す。
「タケル」
 少年はそう言って、はにかみながら凛の手を握った。夕日に伸びた細長いふたつの影が、一本の線でつながった。

【二人だけになった公園はさっきよりもどこかもの悲しい。】

これもちょっと表現が陳腐ですね。本作だけはどこか妙な荒さがある気がします。文体を変えようとして一時的に荒くなっていたのかもしれません。
 凜は当然いじめっ子たちを返り討ちにしますが(といっても手加減はしている)、それがおせっかいであったことに気づきます。ここにも僕の文学的主題である「皮肉」が出ていますね。

【「……人殺しじゃん」】

余計なことをしてしまった穴埋めをしようと焦る凜に少年は告げます。「Human Possibility」で友子に言われて傷付いた言葉です。作品の連続性を出すためにこうしました。

しかし、少年はそこまで深く考えて言ったわけではなさそうです。
 凜が武術を教えることを提案し、少年は了解しました。ここで凜は学び、実戦する立場から、教えるという新たな立場を獲得します。

【夕日に伸びた細長いふたつの影が、一本の線でつながった。】

映像表現的なシーンですね。アニメを意識していたのかもしれません。今回はタケルと凜の関わりを影で表現しようという試みが見えます。同じ表現が後にも登場します。

「あ、凛ちゃんお帰り。ご飯もうすぐできるよ」
 ジョギングから帰って来た凛に茜が告げた。
 シャワーで汗を流し、テーブルにつくと、ここ数年ですっかり定番となったベトナム家庭料理が並んでいた。
「あれ……凛ちゃんなんだか嬉しそう、何かあったぁ?」
「え?――」
 そう言われてから、口角がいつも以上に上がっていることに気づいた。
「え? ううん、何かすっかり夏らしやすくなってきたなあって。梅雨明けたのかな?」
 大げさに顔を振ってごまかしたが、なぜタケルとのことを隠したのか、自分でも分からなかった。「最近あんま仕事来ないね。せっかくだからどっか遊びに行く?」
 茜の提案に凛は一瞬賛同しかけたが、
「あ、う~ん、でもいきなりはまずいんじゃない? ちゃんとサイトで告知しておかないと。夏ってトラブルも多いから、急な依頼とか増えそうな気がする」
 とたしなめた。もちろん、タケルとの約束もある。
「そっかあ、そうだよね。今までそういう判断全部お兄ちゃんに任せてたからなあ……。でもずっと人探しとかボディガードばっかでつまんないよ。どっかでチンピラに絡まれてこよっかなぁ……」
「やめてよ~」と凛は苦笑いし、
「平和なのが一番だって。男の人との組み手なら熊さんや薫君とできるでしょ。あ、無二さんがお世話になってた県警の道場に出稽古ってのは?」
 茜は大げさに頬を膨らませた。
「あたしケーサツ嫌い。仇討ち申請のときとかしょっちゅうイヤミ言われるし。こっちはあんたらが棚に上げた仕事を片づけてんだっての」
 そのおかげで食べていけるのだが、凛はあえて口にしなかった。
「私は今の仕事の方が好きかも。仇討ちの代行も人の役に立ってるって実感があるけど、なんていうのかな……ひとつひとつが劇的すぎて、押しつぶされそうな気がするの。だから今みたいに猫を探して歩き回ったり、ボディガードとして女の子の送り迎えしたりするのが楽しい」
「二人も殺してんのに、うずかない? あたしの妖刀が血を欲してんのよ~って」
 茜は自分の冗談にウケて一人で爆笑した。
「もう! 私は殺人鬼じゃないよ!」
 質の悪い冗談だが、天真爛漫な茜に言われるとなぜか傷つかず、むしろ人を殺めた業が静かに溶かされていくような心地よさを感じた。
「やっぱ凛ちゃん嬉しそう」
 気がつけばまた笑顔になっていたらしく、茜もつられてニコニコしながら、
「明日も暑くなるのかな~」
 茜の言葉に、凛はふと窓の外を見た。その瞬間心に何かがよぎったが、それが何なのかは掴みそこねた。

茜はすっかり元気になって、凜と交代で料理を作っています。
 ベトナムが流行っているという設定は「ADAUCHI」から踏襲しています。

【「二人も殺してんのに、うずかない? あたしの妖刀が血を欲してんのよ~って」】

茜のサイコパスジョークです。茜はもう完全にキャラが固まっていますね。

【茜の言葉に、凛はふと窓の外を見た。その瞬間心に何かがよぎったが、それが何なのかは掴みそこねた。】

これはたぶん適当ですね。何か含みを持たせたかったのでしょうが、文章が浮いてます。

「タケル!」
 昨日指定した公園に入ると、細身の男の子がベンチに座っていた。
 近づくにつれ、笑顔が徐々に曇っていく。おでこに擦り傷があり、頬も少し紫がかっている。さっそくやられたらしい。
「タケル……」
「一日中――」
「え?」
 下を向いたまま、タケルが口を開いた。
「一日中、殴られたり、階段を歩いてたら押されたりしてました、前は放課後だけだったのに。それから、殴られるのがイヤだったら、明日から毎日金払えって。僕、その方が楽だから……」
「ダメ!」
 凛の強い口調に、タケルはびくりと身体を震わせた。
「一度払ったら余計つけあがるよ。それに、額もどんどん増えていく。だからお金なんて払っちゃダメ」
「殴られないから、そんなこと言えるんだよ……」
 また下を向いてタケルが呟く。その言葉を聞いた瞬間、凛の心に小さな火が灯った。
「いいよ、じゃあ私のこと殴ってごらん」
 両手を開いてそう言うと、タケルはきょとんとした顔で固まっている。
「ほら、殴ってみなよ」
 タケルは伺うようにしてベンチから立ち上がると、
「ホントに……いいの?」
「思いっきりやってみな」
 歯をぎゅっと食いしばり、小さな手を握りしめて、タケルは凛の胸のあたりを殴りつけた。鈍い音がした瞬間、
「ご……ごめん! 大丈夫? あれ……」
 平気な顔をしている凛にタケルは戸惑う。
「痛く……ない、の?」
 凛は大げさな笑顔を作り、
「ん? 痛いよ。けど、怖くはないかな」
 そう言った瞬間、凛の脳裏には、仇討ちに向けて稽古を始めた日々がよみがえっていた。大男の熊谷に容赦なく殴られ、蹴られ、痣だらけになっても誰も心配の言葉ひとつかけてくれなかったこと。それが逆に自分を強くさせたこと。

【近づくにつれ、笑顔が徐々に曇っていく。】

主語を抜いているのでどっちの笑顔が曇っていったのかが分かりません。主語抜きは得意でよくやるんですが、これは失敗していますね。

タケルが危惧した通り、凜のせいでいじめが激化してしまいました。凜はより強い責任感を感じてしまいます。同時に、お金での解決ではなく、あくまで戦って解決することを強く提案します。

痛みを恐れるタケルに、凜は身をもって痛みは怖くないと教えます。理屈ではなく身体で武術を覚えた凜ならこうすると思いました。

(試し読み終了)

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