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「誰が言ったかではなく何を言ったかで判断すべき」とはよく言うものの、意外と「誰」も重要という話

少し前に会社の新卒メンバーと話をしている中で、いい意味で「意識高い」人がハマりがちな落とし穴だと感じたことがあったので、まとめてみたいと思い、筆をとりました。

「何を言ったかで判断する」正しい世界

「提案や主張は『誰が言ったか』で判断すべきではなく『何を言ったか』で判断すべき」とよく言われます。感度の高い人は一度は聞いたことがあると思います。

これは本当にその通り。特に、「自分が心がけるべきこと」としては、頭に置いておくべきです。
あなたは、入社早々の経験不足なメンバーであっても新鮮で本質を射ている主張は評価すべきだし、上司の間違った主張には毅然として立ち向かうべきです。

ただ一方で、実ビジネスでの運用を考えると、どうしても「誰が言ったか」で評価されるところは無くもなく、「合理的」に考えたらそれは必ずしも否定されるものでもないもの。
これをきちんと理解しておくことは非常に重要だと思います。

新企画をやりたいAさんとBさん

「誰が言ったか」で評価される、ひとつの例を挙げてみましょう。

ある企画を自分がやりたいと、大学を卒業したての新入社員のAさんが主張したとします。

たしかに悪くないものの、その企画は山のようにリスクがあるし、気をつけないといけないこともたくさんある。
Aさんがそれをちゃんと理解しているのか、どうやってクリアしようとしているのか、上司としては単純に不安なわけです。
そこで、上司は、Aさんに、あれは大丈夫?これは大丈夫?と山のように質問をし、その全てをクリアしないと怖くて通せない。
上司もいちいち確認するのが面倒ですが、仕方がない。

さて、それと同じ企画を、スーパースターのBさんが提案しました。
多くの困難な事業を、突き抜けたアイデアと用意周到なケアで成功させてきたスーパースターです。
となると、わざわざ聞かなくても、じゃあそれやって、となるわけです。

これは、新卒のAさんからしてみると、「誰が言ったかで判断するな!!」と憤慨してしまいがちなわけですが、でも、上司の立場を想像してみると、これはいたしかたがない判断だと思えないでしょうか。

逆の言い方をすると、未経験の部下に詳細を確認しきらず任せることも、十分な経験と信頼がある部下にお互いコストをかけて詳細を確認しきることも、いずれも非合理的な判断 です。

信頼を積み重ねることの意味

結局、皆からの信頼を積み重ねていくことで、いい仕事、面白い仕事をストレスフリーにやれるようになっていくということは、こういうことなのだと思います。
実績という資産を積み上げていくのはこういうことなのです。

「なんで自分の提案はみんなからツッコミを受けまくるんだ! あの人やこの人が同じ提案をしたらスルっと通るのに!」
と、フラストレーションを感じる若い方は、その上司や組織に対して絶望を持つ前に、それはある意味で上司にとっても合理的な判断に基づくものであり、「スルっと通る」ために自分はどういう信頼を得なければいけないのか、ということを考えた方が、建設的だし、精神衛生上も良いと思います。

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まとめます。

・自分が評価者の時には、できるだけ「誰が言ったかではなく何を言ったか」で判断しようと意識すべき

・自分が提案者の時には、「誰が言ったか」で判断が変えられてしまうことも「合理的」な判断の帰結として有りえると受け入れ、イージーモードになれる「誰」かになるよう努力する

もちろん、「非合理的」なレベルで「誰が言ったか」で判断するような上司・組織も世の中にはあります。そういう場所にいても疲弊・消耗するだけなので、その場合は静かに逃げ出すのがいいでしょう・・・

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世の中には、耳障りの良い「正論」っぽいものがたくさんあります。
本件の「誰が言ったかではなく何を言ったかで判断すべき」というのはまさにそのひとつです。

でも、よくよく考えてみると・相手の立場を考えてみると、意外とその「正論」もあらゆる状況で正しいというわけではないものだったりします。
そういうことを意識しながら、他者と、そして自分の人生に向き合っていきたいものですね。

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