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#327_「ヨギとしては、なにかの積み重ねの結果としてというよりも、気づきの結果としての悟りに至りたいわけです」

「ヨギとしては、なにかの積み重ねの結果としてというよりも、気づきの結果としての悟りに至りたいわけです」

「悟りは数秒で訪れることもあれば、今生の終わりに間に合わないこともあります」

「それが見えなくなっている原因も、わたのしたちの中にあって、それは往々にして言葉で出来ています」

「言葉で出来ていない気づきを探すことは、目を閉じて手探りで、自分の中を探していく行為になります。そこにあって手を伸ばせばいつでも届くもの、あるいはすでに手に触れているものにただ気づくこと」

「.. であれば、悟りに至るべく選択されるべき行は瞑想です。おなじ理由で、アーサナは瞑想の手前にあるものとして有効であり、同じ理由で呼吸はさらにその手前にあるものとして有効です」

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