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拝啓 バレンティン様

背番号4。

ほとんどがビジター観戦の私は、あなたの背中をレフトスタンドのビジター応援席からみることが多かった。

守備はお世辞にも上手いとは言えないので、打球が飛んでくるとそれはもうヒヤヒヤ。

なんてことないフライも無事グローブに収まると、スワローズファンからは歓声にも似た安堵の声が漏れる。

来年から、そんな危なっかしいあなたの守備をレフトスタンドから見られなくなる。

今日、正式にホークス入団が発表された。

入団からの軌跡を少し振り返ってみたい。

来日1年目の2011年。
当たればとにかく飛ぶけれど、三振も多く粗さが目立った。シーズン後半は相手投手に攻略され、7番を打つ日もあったように記憶している。 本塁打王を獲得するも、さ打率は規定到達者の中で最下位。プロ野球史上3人目の珍記録だという。

2012年。
開幕から調子が良かったものの怪我によって離脱。規定打席には到達しなかったが本塁打王。2リーグ制になって初めてのことらしい。

2013年。
この年は日本記録となるシーズン60本塁打。
これにはとにかく驚いた。
小鶴誠のシーズン161打点や、ランディ・バースのシーズン打率.389と並んで更新されることは無いと思っていた、シーズン55本塁打。
個人的には前田健太から放った54号が印象に残っている。打率も.330。来日1年目の姿からは考えられなかった。

2014年。
怪我を押しながら出場するも、規定打席に到達した時点で治療のため帰国。31本塁打を放つも
4年目で初めて本塁打王のタイトルを逃した。
本塁打が31本に収束するのが、話題になり始めたのもこの頃からだったか。

2015年。
チームは14年ぶりのリーグ制覇。
しかし、怪我での欠場が多く、出場は15試合のみ。この年に例年並みに出場していたら、今回の移籍もなかったのではないかなどと考えてしまう。

2016年。
この年は32本塁打を放ち、NPBでの本塁打が31本/年となる。31本への収束具合がすごい。この年のオフにも退団濃厚なんて記事が出て、ヤキモキさせられた。

2017年。
シーズン開幕前のWBCでは、ベストナインに選出されるほどの大活躍。当時のチームメイト秋吉亮との勝負は痺れた。
シーズンは…私には後半戦の記憶がほぼ無い。

2018年。
現役時代から教育係のようにゲキを飛ばしていた宮本慎也がコーチとして、またメジャーから青木宣親がスワローズへ復帰。
60本塁打を放った2013年に並ぶ131打点をマークし、初の打点王となる。この2人の加入の影響かこれまでになく、チームバッティングの意識が強く、追い込まれてからの右打ち、軽打が印象的であった。

2019年。
今年も主軸として活躍し、NPB8回目のシーズン30本塁打。これは外国人選手最多記録であり、まだまだパワーは健在であることを見せつけた。
そして今年も出た移籍の噂。今回も残留してくれるものと思っていたが…

打率.273 288本塁打 763打点。
在籍9年で残した立派な成績である。

気持ちにムラがあり、気分が乗らないときにはてんで打てない。
浦添のキャンプでも、オープン戦が終わると皆が練習する中、1人早々とタクシーでファンに手を振りながら帰っていった。

しかし、ここぞの集中力は眼を見張るものがあった。
スワローズにはロベルト・ペタジーニやアレックス・ラミレスといったレジェンド級の助っ人がいた。
確かに、彼らほどの安定感は無かったかもしれないが、瞬間風速的には彼らを凌ぐこともあったと個人的には思っている。

2016年の"下町スワローズ"の時には、臨時キャプテンに指名され張り切っていたり、今年の春季キャンプでは締めの挨拶まで任されたりした。

まさに愛すべき助っ人。
宮本慎也にジャイアンツへ行くんだろと問われて答えたという「俺は日本でプレーする限りスワローズだ」という言葉を信じていたが…

でも。
国内FA権を獲得するまでチームに尽くしてくれた。ホークスでの活躍を願って送り出すべきなんだと思う。

来年は、仲良しのマスコットも鬼のように厳しいコーチもいなくなってしまうけれど、きっと大丈夫。

サードを守るとにかく熱い男が、チームの輪に入れるようサポートしてくれるはず。

すぐに溶け込んで、福岡のファンにも受け入れられると思う。ももスポや夢空間スポーツあたりでインタビューを受けている姿が眼に浮かぶ。

月並みな言葉だけれど、9年間ありがとう。
チームの調子が悪い時でも、どんなに点差がついている時でも、あなたの打席ではいつも豪快な一発が見られるのではとワクワクさせられた。あなたはスワローズファンの誇りだった。
例え最下位でも、うちにはバレンティンがいるんだ。シーズン60本打った選手がいるんだ。他のチームにそんな選手いないだろ?と。

来年から、スワローズのユニフォーム姿を見れなくなるのは残念でならないが、どこへ行っても応援している。

来年も明るいあなたの姿が見れますように。
怪我には気をつけて。

また、交流戦で会いましょう。

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