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その罪悪感は、あなたが悪いからじゃなく、植えつけられた”罪の意識”という呪縛かもしれない

子どもの頃に「人のせいにするな!」と、
叱られた覚えがある方も、そうでない方も。

お立ち寄りいただき、ありがとうございます。

今回は、ぼくが過去に散々振り回されてきた「罪悪感」について書きました。

先に結論を書いておくと、罪悪感は解消することができます。
そして、罪悪感があることと、「相手が悪いのか」「自分が悪いのか」の事実は全く関係ありませんでした。

極端な話、相手に非があって、自分に落ち度がなくても、心の状態によっては罪悪感を覚えることがあります。

自分ではどうしようもなくても、悪いことをしたと感じることがある

罪悪感とは「罪を犯した」「悪いことをした」と思う気持ち。

似た意味で「負い目を感じる」というのもあります。
誰かに負担や迷惑をかけてしまったと感じて、申し訳ないと思うことですね。

ぼくの両親は、ぼくが小学生の頃に離婚していまして、罪悪感とはその頃から付き合ってきたのですが、

「両親が不仲でケンカばかりするのは、ぼくのせいだ」
と、当時は本気でそう思っていました。

あとは、家族に対してだけではなく、友人に対しても。
遊びであれスポーツであれ何であれ、ミスや失敗をして友だちに迷惑をかけたと思う度に、負い目や後ろめたさで身体が凍りついていたなあ…。

でも、よくよく考えてみれば、子どもが親の関係性をコントロールしたり、仲違いを解決することは、まず難しいですよね。

こんなふうに、たとえ自力ではどうしようもないことであっても、罪悪感を覚えることはあります。

自己責任論を勘違いして余計に泥沼にハマる

その時に感じる罪悪感は、身体も心も重くさせるほど苦しいものでした。胸に大きな穴が空いているような痛みや、大きな石の塊を飲まされているような気持ち悪さが絶えず襲ってきて。

しかも、悩み苦しむ中で答えを求めるように、自己啓発本を手に取ったみたら、こう書いてあるわけですよ。

「自己責任論(起きている出来事は100%自分の責任だという考え方)」

それを勘違いしてしまったのが、マズかった。

今ならその意味が分かりますが、当時は「100%自分の責任…ああ、やっぱりぼくが悪いんだ」という意識を、より強く根付かせてしまうばかりでした。


他人を責めて罪悪感を植え付けるのは、都合がいいから

罪の意識に留まれば、人は心も思考も弱まります。

そして、なぜ罪悪感を植えつけてくる人がいるのか?にも理由があるんですよ。

相手を責めれば、自分の非を認めなくて済む。
そして、相手を縛り付けて弱らせ、思い通りにコントロールできる。

意図的であってもそうでなくても、良心につけ込む人はそうして、あなたに負い目を与えて思考をうばい、大人しく言いなりにさせようとしてきます。

しかも悲しいことに、家族とか、彼氏とか、肝心の最も信頼して心を委ねたい人が、そうである場合もあるんですよね。

しつけだからとか、教育のためとか、あなたのためを思ってとか。
一見それっぽい理由をくっつけて。

罪の意識モードになってしまうと気づきにくい

でも、最初に書いたように、罪の意識に留まれば、人は心も思考も弱まりますから「本当に自分が悪いのか?」どうかの判別がつきません。

実際、家族との関わりや、パートナーシップのご相談を伺う中で、人それぞれ状況は違えど「罪悪感を与える存在」が登場することが多かったです。

その呪縛を解くやり取りを何度も行ってきましたが、その度、相談者さんから「全然気づきませんでした」「夢から覚めたみたい…!」と驚かれました。

それほど、罪悪感にのまれて渦中にいる時は気づきにくいのです。
かく言う、ぼく自身もそうでしたから。

罪悪感に心を支配されやすい人たち

身体の免疫力や体力が落ちた時に、細菌に侵入されると風邪をひきますよね。同様に、心も罪悪感に支配されやすくなる状態があります。

ちょっとしたことがキッカケで
人一倍、罪悪感や負い目を感じやすい人って、

・自分に自信がなくて、プレッシャーに弱い
・何かあれば自分のせいだと思う
・周りの人が考えていることが気になる
・自分の気持ちを後回しにしてしまう
・「優しい」とか「大人しい」と言われる
・人の気持ちの変化を敏感に感じてしまう
・感受性が高い。心が繊細
・家族や友人の悩みに苦しみ続けてきた
・誰かに頼まれごとをされると断りにくい

などの一面を持っている。
いわゆる「いい人」と言われる人たちなんですよね。

心の状態が他人軸でいることが多いと、簡単に相手にペースを持っていかれてしまいますから。

罪悪感を植え付けてくる人も、罪の意識に縛られている

それでも、自力でどうにもならないことは、どうにもならないんですよね。
それを認めるまで、観念するまで、本当に時間がかかりました。

「え、それ自分のチカラじゃどうしようもなくない!?」
「それ、全部ぼくのせいなの??」

と、自分が悩めることと悩めないことの、見分けをつける練習を繰り返して繰り返して、徐々に手放せていった気がします。

「ウチの親も、あの同級生も、罪悪感で心を縛り付ける関わり方を、知らず知らずやってしまっていただけだ」と。

事実として自分が悪いかどうかは別にして、また、相手が意図的かどうかも別にして、世の中には、自己責任論を利用して「お前が悪いんだ」と罪の意識でがんじがらめにしてくる人はいます。

でも、その人たちもきっと、苦しんできた被害者なのでしょう。

罪の意識にさいなまれ、自分を罰し続けてきたから、目に映る人が罪悪感も何もなく、伸び伸びと振る舞うのが許せない。

なぜ、自分は許されていないのに、アイツはお咎めなしなんだ!…と。

必要なのは、自己犠牲でも罪の償いでもない

後ろめたさを感じたままでは、虫の居所が悪いものです。
だから、どこかで罪滅ぼしをしなくてはと、自分の気持ちや自由を後回しにして、自己犠牲に走ってしまいたくなる。

人は罪の意識があると、程度の差こそあれ、自分の心の平和を守るために、心のどこかで罰を受けることを無意識に望みます。

でも、心の暗闇を晴らすために、罪悪感を晴らすために必要なことは、自己犠牲の生き方を選ぶことでも、罪ほろぼしのために罰を受けることでもありません。

それでは、相手の罪悪感を紛らわすか、心優しい別の誰かに、新たな罪の意識を植えつけることしか出来ない。

かといって、開き直って好き勝手にやれ、というわけでもありません。

「自己責任論(起きている出来事は100%自分の責任だという考え方)」

とは、「起きていることは全部お前のせいだ」ではない。
100%自分の責任ならば、100%自分の自由です。
その自由意志で、「次はこうしよう」「だったら、今度はこうしよう」と己の行動を決めることが、自己責任なのだと思っています。

そのためにまず必要なことは、あなたを罪の意識にとどめ、100%の自由を奪おうとする者たちから、遠ざかることではないでしょうか。

再起するチャンスすら奪い取ろうとする関係なら、逃げていいんです。

あなたはすでに裁きを得て、罪を償い終えているかもしれないし、そもそも償う必要がある罪なんて、最初から無かったかもしれないのだから。

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人を研究する人。専攻「300年先に届ける使命論」。脳をスキャンし、先天的資質や強みを解析。人が何者として何処へ向かうか、その道しるべとなる覚醒プロセス構造を研究しています。シェアハウス在住。時々耕す人。

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