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大学サッカー4年時の屈辱

こんにちは。お久しぶりです。
皆さんはお元気ですか?
自分は元気です。
今回は、自分がサッカーに対して調子が良い時にも悪い時にも思い出す大学サッカー時代の屈辱について話そうと思います。
自分が大学1年生の時から掲げていた目標は
大学4年時にトップ昇格し関東リーグに出場する事でした。
大学2年次に度重なる怪我をし、大学3年次になったときにはA.B.C.のカテゴリーで1番下からのスタートでした。自分は当時就活をしながらサッカーをしていました。もちろん覚悟があったからです。この3年目のCチームで活躍できなければサッカー人生を諦めようと思っていました。
もちろん結果論なので本当にそうしたかは、わかりませんがほんとこれが最後と思ってやっていました。
その後、Cチームのリーグ戦で8試合で9点と結果を残すことができ、Bチームに昇格後、6試合で8点取ることができました。
この時の目標は1試合2点でした。
点以外に這い上がれる可能性はありませんでした。結果は残せましたが毎回試合後
「今日もいいプレーが出来なかった」といつも感じていたのを覚えています。その時忍耐強くチャンスを待つ事を学びました。
また、後1点取っていればiリーグで得点王になり
西が丘で表彰されたという事実がとても悔しかったです。
大学4年時、目標にしていたトップチームに昇格できました。
しかし、今でも覚えています。
チーム全体の軽めの合同練習時に右足首を
思いっきり捻りました。当時雪が降っていて
グラウンドは雪だらけでした。
監督に言った時とても呆れた顔をしていました。
あの顔が今でも忘れられません。
ほんのほんのほんの少しだけ期待されていたのかもしれません。
それからまた、数ヶ月Bチームに降格しました。
怪我が治り夏のアミノバイタルという大会では、
トップチームのメンバーには入れましたが
帯同する24人に入れませんでした。

その後に、今回のテーマである「屈辱」を味わったのです。
それは、関東大学サッカーリーグで「副審」
をやらされた事でした。
頭の中でイメージしていたのは、4年時に
関東リーグ出場。
現実は関東リーグの副審。
これほど辛かったことはなかったです。
本当に悔しかった。死ぬほどね。
ほんとに。気が狂うほどに。
これまでのサッカー人生で1番の苦い経験でした。
たったの2試合だけでしたが、目の前で戦っている選手を見ていると胸が張り裂けそうでした。
「俺でもやれるって」って思っていました。

自分が情けなかった本当に。サッカーがどうでも良くなった時もありました。でも、愚痴ばかり言って負け犬にはなりたくなかった。それはすごくもったいなしダサすぎると思いました。4年生の途中から海外でサッカーをするためにと目標を変え、自分の非を認めてどこか良くないのか
何十回も自分の試合動画をみて、何が悪いのかどうしたら良くなるのか改善策を探し続けました。


自分が今ドイツでプレーしているカテゴリーには、
関東リーグでプレーしていた人が何人もいます。
チームメイトにもいました。流通経済大学と筑波大学の選手です。自分はサッカーに対して自慢できる経歴が全くないですが彼らと同じ舞台に立てています。自分と同じ様な選手でサッカーに経歴がなくても、ドイツではその場で「戦える選手かそうでないか」判断されるのでチャンスだと思います。

セルヒオラモス🇪🇸
全てのミスが経験という糧になりそこから
学ぶことができる。

次はチームについて書こうと思います!
それではTschüss~👋🏽☀️

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