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ぼくたちは何のために文章を書くのか、人と話すのか

いま、アメリカの大統領はドナルド・トランプさんです。

いまでこそ多少は落ち着いた(?)かもしませんが、選挙後半や就任当初は、日本のテレビや新聞でも『トランプが大統領で大丈夫か!?』みたいな言説がたくさん聞かれました。

アメリカのメディアも含めて、途中までは『まあ、なんやかんや言っても最後はクリントンでしょう』みたいな空気だったので、その慌てっぷりはぼくの記憶にも鮮明に残っています。

そしてその慌てっぷりと並行して、日本のワイドショーや新聞などでは、コメンテーターたちがそれまでのトランプ批判を棚上げして『トランプ勝利の要因』をとうとうと語っていたんですが、どれも後付け感が強くて、ぼくにはあんまりしっくり来ていませんでした。

『黒人に職を奪われて不満のたまっていた白人の低所得者層を、トランプはうまく取り込んだ』という分析の一方で、白人の高所得者層も意外とトランプに投票していたらしいぞ!という報道もあったり...

当時ぼくは、大学の授業の一環でその大統領選をリアルタイムで追っていました。

なので、そこそこいろんなニュースや記事に触れたのですが、納得のいく主張には結局出会わず。

(専門家でさえそんな後付けのそれっぽいことしか言えないのに、授業の一環で数ヶ月かじっただけの大学生がちょっと頭をひねったくらいでも、当然思いつかず)

まあ、あとはなるようにしかならない!という精神で、実際の就任後はぼくも遠巻きににトランプさんの大統領っぷりを眺めていたわけですが...

今回読んだ「空気」の研究が、けっこうトランプさん当選の『説明できなさを説明している』気がしました。

そして、この本の内容は1983年に書かれているんですが、トランプ大統領就任も含めた、2010年代を予言する書と言っても過言じゃないなと思いました。


「トランプさん」と「キリスト教」

まず今日の話の前提としては、トランプさんが一般的には『保守的』と言われている『共和党』に所属しているということです。

また、共和党支持者のひとつの傾向として『熱心なキリスト教信者』が多いことが挙げられます。

そして熱心なキリスト教信者の特徴のひとつとして、『進化論』を受け入れていない人が多いです。

進化論とは、人間は大昔から連綿と続く生物種の淘汰の結果、この世に生まれた種だという考え方なのですが、熱心なキリスト教信者の人たちがどうしてこれらを受け入れられないかというと、『聖書』の内容に反するからです。

聖書通りにいくと、ぼくたちは創造主・ヤハウェが作ったアダムと、彼の肋骨から作られたイヴの子孫ということになります。

...というちょっとややこしい前置きがあったうえで本の内容に入るんですが、山本七平が本書を書いた1983年の少し前にも、いまのトランプさんと同じような現象が起こっていたようです。

それは、農家出身(=政治とは無関係の分野)で熱心なキリスト教徒であるジミー・カーター氏が、とても下馬評の低い状態からアメリカ大統領選を勝ち上がったということ。

(トランプさんも一応(自称)キリスト教徒です。メディアからの聖書に関する質問に、答えられないことも多々あるようですが...)

そして、本書のなかでジミー・カーター氏躍進の要因のひとつとして『中央政界の既成政治家への不振不満』を挙げていて、まあそれはトランプさんが当選したときのコメンテーターの方々も同じことを言っていたので、それ自体に目新しさは正直ありません。

(ジミー・カーター氏のときは、その少し前に『ウォーター・ゲート事件』という、アメリカでの大きな政治スキャンダルがありました)

それよりも面白いなと思ったのは、不平不満から生まれた『改革』への機運の高まりについての考察です。

これ(=アメリカ人がジミー・カーター氏に期待していること)を見ていくと、改革とは実に不思議なことで、改革しようとする者は、千五百年の伝統を飛び越えて、その起源である聖書を絶対化するという一種の超保守主義になり、同時にこれが改革を生むという、奇妙な関係を生ずる
※()の付け足しはぼくがやりました

ジミー・カーター氏の聖書の教えに基づいた『超保守』的な政治が、アメリカ国民の『改革』への期待を背負っているというのは、とても興味深い現象です。

そして山本七平はこの『超保守↔改革』の奇妙な関係について、後のページにてもう少し汎用性の高い言葉で言い換えています。

一つの一元的合理性を徹底的に追求させている原動力が、実は、最も非合理的な原初的な一つの力であり、この力を失えば合理性の追求は消え、この力が絶対化されればやはり合理性は消える。
そしてその力は新しいものではなくむしろ最も保守的な伝統にある

『一つの一元的合理性』とは例えば『人間は受精した瞬間から人間であり、神に似せて作られた存在である人間を殺すことは罪である、というキリスト教の考えに基づき、人工妊娠中絶した女性を処罰すること(=”キリスト教の教え”と”現実世界の運用”という二者を同時に扱うこと)です。

そしてその原動力である『最も非合理的な原初的な一つの力』とは、『聖書』のことを指しています。


「合理性」は何も動かさない

でも多分ですけど、ぼくのnoteをいま読んでくれてる人の大半は、人間の起源は『進化論』が理にかなってそうだなと思ってますよね。

『創造主・ヤハウェが...』とか『アダムとイブが...』っていうのは、ひとつの物語としてはアリだけど、論理的・合理的に考えると、まあ進化論が妥当かなと。

ただ、それを熱心なキリスト教徒の人に説こうとしても、相手はおそらく聞く耳を持ってくれません。

そして山本七平はそのことについて、『もう割り切れ!』と本書内で言っています。

合理性追求の”力”は非合理性であり、その非合理を”去勢”すれば合理性の追求は結局「言葉の遊戯」になり、その遊戯において「言葉の辻褄」は合ってもそれが現実に作動しないことは、宗教改革以来の原則ではなかったのか?

要は『遺伝子が...』とか『自然選択説が...』と、どれだけ論理的に説明しても、それを受け入れない人にはもう響かないよ、ということです。

山本七平はその努力を『言葉の遊戯』とまで言い切り、この文章の少しあとで『合理性自体は、何かを説明はし得ても、何も動かしうるはずがない。』とも断言しています。

とても悲しいし、少し反論したくなる気持ちもありますが、いま先進的な考えを持っている人がどんどんオンラインサロンという『閉じた空間』へと発信の場を移している状況を見ると、これは否定し難い事実なのかなというふうにも思います。


トランプさんが当選した論理的な理由なんてない

こういった話を踏まえて、冒頭のじゃあトランプさんはなんで当選したのかっていう話については、結局のところ『理由なんてない』というのが、一番近い気がします。

評論家の方たちにとって、それなりの理屈とともにクリントンさんが当選する理由や、トランプさんが落選する根拠を述べることは、とてもたやすいはずです。

なぜなら、合理的に考えればたぶんクリントンさんのほうが大統領としてしっかりしてるからです。

でも、結果的にはトランプさんが当選しました。

ここで、トランプさんの支持者にどれだけトランプさんの悪いところやクリントンさんの良いところを伝えても無駄だろうし、同時にどうしてトランプさん支持なのかを聞いても、あんんまりちゃんとした答えは返ってこないと思います。

もしかしたら表面上はそれっぽい理由を言うかもしれませんが、その根底にあるのは例えば『聖書』への絶対的な信仰であり(=倫理的には微妙でも、超保守的な施策をどんどんやってくぞー!)、仮にキリスト教徒でなくとも、現状になんらかの不満を抱えた人たちが『とりあえず何かやってくれそう』といったフワッとした動機で投票したというのが、一番的を射ているような気がします。


これからの日本について

そして山本七平は、じゃあ逆に人は何によって動かされるのかという話とともに、話題を日本に戻します。

人は、論理的説得では心的態度を変えない。
特に画像、映像、言葉の映像化による対象の臨在感的把握が絶対化される日本においては、それは不可能と言ってよい。

『臨在感的把握』とは、ざっくり言うと『”それ”はそこに実在するわけではないのに、あたかもそこにいるかのように感じること』です。

詳しい話は3日前に書いてるので、興味ある方はぜひそっちを読んでください!

まあつまりは『百聞は一見にしかず』に近いところがあるのですが、例えば原発について態度を決めかねている人に対して、原発のリスクとメリットを論理的に話して推進派になるよりも、現実世界で大きな事故が実際に起きて反対派になったほうが、その態度が強固になるということです。

そして最後『もしこの状態が進めば、おそらく日本は、その能力をもつ集団ともたない一般人の双方に分かれて行くであろう』と、今後の展開についても言及しています。

『その能力』というのは、ざっくり言うと『論理的にものごとを考えられる能力』のことですね。

実際これは、先述したオンラインサロンもそうですし、SNSでいつでもどこでも誰とでもコミュニケーションを取れるようなになった現代だからこそ、大事な話ほどオフラインで話すという風潮につながっています。

つまり『もう伝わる人にしか伝わないから、言論は閉じた空間でやって、伝わらない人は、その言論が実際に社会で実装されるまで待ってて!』の世界です。

そして、この傾向がさらに加速した先に待っているもの何なのか。

これがしだいに進めば、結局新しき士大夫(=中国の北宋以降で、科挙官僚・地主・文人の三者を兼ね備えた者)がすべてを統治して「民はこれに依らしむべし、知らしむべからず」の、儒教的体制へと戻って行くであろう。
※()の付け足しはぼくがやりました

これに関しても、それこそトランプさんの当選やブレクジットなどを機に、けっっこう真剣に『民主主義のあり方』や『民主主義の次』が議論されていたりします。

それで著者からは、『これに対して「自由」はいかなる位置に立ちうるのか。』という問いが投げかけられてるんですが、もうぼくの頭から火が出そうなので、この問いはもうちょっと寝かせます。

とりあえず今日のハイライトとしては、『人はそもそも論理的な言葉で動かない』と山本七平に断言されたことが悲しい悔しい!でも反論できない納得しちゃってる自分がいる!ってことです。

でもそれを完全に認めちゃうと、ぼくがこうして毎日ブログを書いてる意味が薄れちゃうので、『自由がいかなる位置に立つのか』よりまず『そんな人間に対して言葉がいかなる役割を果たせるのか』について考えていかねばなと改めて思った次第。


▼『「空気」の研究』について別テーマでも感想を書いてるので、ぜひこちらもどうぞ!


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