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「メディアは稼げない」は本当か?

しおたんこと、塩谷舞さんのイベントに行ってきました。

ハッシュタグは「#ニューヨーカーと大阪人」

これだけだと、なんのこっちゃかわかりづらいのですが、主には「なんで私がいま、こういう活動をしているのか」と、「NYでの生活も経験して、これからはどういう活動をしていきたいのか」について話されてました。

前半の「なんで私がこういう活動をしているのか」は、塩谷さん自身がこれまでいろんなところで話してきてるので、既知の内容もけっこうありました。

なのでここはカットして、今回は「これからしていきたい活動について」と、その後の質疑応答のところから、特に勉強になったことを書いていきます。


これからの時代における、友だちのつくりかた

日本のメディア、アート、クリエイター業界では、知らないひとはいないんじゃないかってくらい有名な塩谷さんですが、NYではもちろん無名。まずは人脈づくりからです。

最初は手当たり次第、イベントやミートアップに参加してそこでネットワークを築こうと画策したらしいのですが、あんまりうまくいきませんでした。

その場ではなんとなく会話が盛り上がっても、そのあとが長続きしないとのこと。

そこで活用したのが、「インスタグラム」でした。

ハッシュタグで近所の店の写真をアップしているひとをチェックし、そこで撮り方のセンスに近いものを感じたひとへ、DM送信作戦。

そこで出会ったアンディというひととは、いまメチャクチャ仲良しなんだそうです。

そしてぼくは、この塩谷さんの経験談を聞いて、改めてこれからの友だちづくりは、「オンライン→オフライン」の流れが加速するだろうなと感じました。

実はぼくもいま、どうやったら価値観の近いひとに出会えるかなというのを、いろいろと考えています。

というのも、ぼくは先月まで1年間、休学して東京でインターンをしていたのですが、復学のために地元・兵庫県に返ってきたら、まあ意識高い系の少ないこと。

東京にいるときは、歩けば意識高い系の大学生か、インフルエンサーのイベントにあたってたのに、兵庫(関西)ではこちらから動かないと、なかなかそういうコミュニティに出会えません。

ということで、今回のイベントでは塩谷さんの話が主目的ではあったんですが、もうひとつの目的は「関西でメディア関係に興味あるひと」のいる空間に出向くことでした。


ただやっぱり、塩谷さんも言ってたように、イベントで初接触するのは、なんとなく関係を築きにくいかなという感じもありました。

たしかに、「同じnoteを購読してる」っていうフィルターはかかっていて、大学のキャンパスを歩くよりはよっぽど価値観も近いひとたちが集まってると思うんですが、塩谷さんへの興味のもちかたも千差万別なので、それだけだとちょっと弱いかなと...

事実、今回のイベントで受付をしてくれてた方が同じ関西学院大だと聞いて、話しかけにいき、「どういう経緯で塩谷さんに興味を持ったんですか?」と質問してる自分がいました。

そして、「ライティングに興味があって...」と答えたので、自然と「なんかブログとか書いてたら読ませてください!」と頼む自分も。

つまり、価値観のフィルタリングにおける効率のいい順番が、従来の「イベントで出会う(オフライン)→SNSを教え合う(オンライン)」ではなく、「SNSで価値観の合いそうなひとを見つける(オンライン)→実際にオフラインで会って話す(オフライン)」に変わってきているのです。

ここらへんのより詳しくてわかりやすい説明は、ちきりんさんがブログで書いてくれてます。

だから最近は、ぼくもどうにかオンラインで仲間探しができないかと勤しんでおり、ツイッターの名前に「兵庫県加古川市」とつけるなど、試行錯誤しています。

そうすると、大阪とか神戸でなんかやってそうなひとに、ちょこちょこフォローしてもらう機会もでてききました。

ぼくが面白いことやってて、魅力的な人物であることが大前提ではありますが、今後もこうやって活動内容や考え方を発信し続けて、関西の同志とつながっていきます。

参考:目先のいいねやシェアにとらわれすぎない 


紙の書籍・雑誌、動画の未来について

ぼくが質問しました。

いま、紙の書籍や雑誌に揺り戻しがきてる感覚があり、動画は何年も前から今後くるといわれていますが、どうにもぼくが馴染めないので、塩谷さんはどういうふうに見てるのか、気になっていました。

参考:「老害」と「こだわり」の境目

塩谷さんいわく、紙の書籍や雑誌の良さは「シェアできること」。いわゆる回し読みです。

電子と比べて紙のいいところは、その本の世界観を表現しやすいことにあります。

その余すことなく出された世界観を共有する(できる)ということは、それだけ近い世界観をもったひとと、コミュニティを形成している(できる)ということです。

あと単純に、共通の本について語り合うのは楽しいですよね。

ぼくはいままで「回し読み」の経験がほぼなかったというか、回し読みから授かった恩恵があまりなかったので、ここの魅力についてはなかった発想でした。

なんでかなと少し考えてみたのですが、さっきの話を持ち出せば、ぼくはまだ「オンライン」上で世界観の近いひとを探している段階だからだったかなと思いました。

世界観の近いひととはまだオンラインでしかつながってなくて、オフラインで関係を構築するにまで至ってないので、Kindleで読んでスクショで事足りてたのかなと。

今後のぼくの段階いかんによっては、より紙本の魅力を実感するかもしれません。


動画については、「親近感がわきやすい」ことが利点だと、塩谷さんはおっしゃていました。

たしかにぼくも、ツイッターやブログでずっと記事を読んでたひとが、動画に出てるのを見て、「ああこのひと、こんな感じのひとなんだ」とか「こういう声だったんだ」と、そのひとに対する印象がクッキリとなった経験がありました。

この豊富すぎる情報量が効率悪いなというのが、ぼくが動画にいまいちハマりきれない理由でもあるんですが、「長所と短所は表裏一体」とはよく言ったもんだなと。

あとで詳述しますが、ぼくは「天才」に興味があるので、そのひとたちの魅力を伝えるにあたり、やはり「動画」というメディアは避けて通れないのかなという気もしました。

ぼく自身は、まず「書くこと」を極めたいと思っていますが、その先の展開として、動画もやはり視野に入れておくべきだと、塩谷さんの話を聞いて感じました。


メディアは稼げるのか?

これもぼくが質問しました。

「メディアは稼げない」と言われて久しく、かつこれだけ個人で発信ができる時代に(狭義の)メディアなんて要るのか?と言われそうですが、ぼくはその存在意義を信じてやまないので、どうすればメディアが持続性をもてるのか考えています。

そして、そのロールモデルのひとつとして、自分でも影響力のあるメディアをもちたいです。

「自分のメディア」の、この文脈における対義語は「寄稿」を指しますが、寄稿だと、塩谷さんも昨日おっしゃってたのですが、融通が効きにくいのです。

ちょっとした編集や修正が柔軟にできず、これは突き詰めると「最後の責任」を寄稿者が負えないことに起因しています。

あと、ぼくは「誰かに頼まれたから」ではなく「自分がやりたいから」という動機で、発信したいです。

参考:インバウンドマーケティングは善なのか?

だからぼくは、自分で影響力兼持続性のあるメディアを持ちたいのです。

ただ、塩谷さんにはけっこうあっさり「やりようによっては、なんとかなりますよ」と返されてしまい、若干拍子抜けしました。

ぼくは大前提として、塩谷さんのやっているメディア『milieu』は、単独では収支がとんとんくらいなのではないかと思って、他のキャッシュポイントについて聞こうとしたのですが、「月1本くらいの記事広告でなんとかなる」とのこと。

ちなみに記事広告については、「自分が本当に紹介したい」と思ったものであることに加えて、「自分自身の視野を広げてくれるもの」という位置づけでもあるそうです。

「いかに身軽な運営体制を敷けるか」がひとつ大事な要素ではあるそうですが、なにはともあれ、milieu単独でもちゃんとやっていけてると聞いて、ぼくのなかでおおきく可能性が広がりました。

ただ、「普段は無料で公開して、記事広告で回収」モデルは、ある意味オーソドックスすぎる気もしたので、引き続きメディアの持続可能性については模索しつづけていきます。

すんごいメディアにするには、まずはすんごい環境に身を置く必要があるので。

参考:狂った成果を出す、狂ったアイデアを出すためには、まず狂った環境に身を置け


ここから先はほんとは、メディア単独でマネタイズできてない想定で、コンサルやセミナー登壇のお金について聞こうと思ったのですが、できてたので、どうしようかと迷いました。

結局、聞いたんですが。周囲の質問待ちの方の、若干冷ややかな視線を浴びながら。

コンサルやセミナー登壇は、塩谷さんが本来やりたい「天才をつくる、育てる」とは直接には関係しないのですが、「手段」としては有効だと言っていました。

要は、コンサルやセミナーをしていると、いま注目のクリエイターを聞かれることもあるそうなので、そういったときに自分が注目しているクリエイターの名前を出すことによって、本来の目的にも寄与することがあるとのこと。

コンサルやセミナーの場では、塩谷さんへの信用度が高いひとばかりが集まっているので、たしかにそれはいいなと思いました。


オピニオンを発信する際に気をつけること

これはぼくの質問じゃないです。

とある参加者の方が、「LGBTなど、マイノリティが認められる社会にしたいのだが、どうすればいいか」という質問をしました。

そこで紹介されてた「ボクのお父さんは、桃太郎というやつに殺されました」というコピーも含めて、塩谷さんの回答が改めて胸に刻もうという話ばかりでした。

まず、「ボクのお父さんは、桃太郎というやつに殺されました」というコピーは、この世に正義なんてものは存在しないことを教えてくれます。

ぼくたちが読んでる桃太郎目線のストーリーでは、たしかに桃太郎は英雄ですが、少し見方を変えて鬼のこどもに視点を移すと、彼にとって、桃太郎は自分のお父さんを殺した「極悪人」でしかありません。

このコピーの存在自体は知っていたのですが、はじめて知った当時から年月を経て聞いてみると、より一層こころにしみました。

つまり、LGBTなどを発信する際にも、それが高圧的に正義を掲げるものであってはならないということです。

あってはならないというか、それでは本当の理解や多様性につながらないことが多いです。

正義の名のもとに自らの主張を声高に叫ぶのではなく、あくまでも「こういうのはどうですか」という、「提案」のスタンスで。ゆっくりと時間をかけて、優しく、徐々に理解を深めていく。

ときには「保育園落ちた日本死ね!!!」のようなメッセージの発し方が、特効薬のような役目を果たすときもありますが、こちらの手法をとると、炎上や罵詈雑言がつきまとう可能性が高くなります。

塩谷さんはそういうのがイヤなので、丁寧に発信するスタイルをとっているとのこと。

ちなみに、milieuの背景色や、スクロールするとその色が微妙に変わるのは、読んでいるひとのこころをやすらかにして、炎上しないようにするためらしいです。

あと、SNSの画像で視線を合わせてないのも、炎上を未然に防ぐために、距離感の演出をしているとのこと。いろいろと工夫されてたんですね。。

塩谷さんの話を聞いて、やっぱりぼく自身も、時間をかけて徐々に溶け込んでいくような発信の仕方をしたいなと、改めて思いました。

ただ、ぼく自身がまだ炎上したことがなくて、かつ堀江さんみたいに、あえて燃やすことによって世の中にメッセージを投げかける効用も、一定程度はあるなと感じているので、即効性のある発信の仕方にも、興味はあります。燃やすことにも、ある程度の技術がいるはずですし。


天才はつくるもの?支えるもの?

最後は勉強になったことというより、ぼくが自分で勝手に課した宿題みたいなもんです。

もしかしたら大した意図はないのかもしれないですが、塩谷さんが天才を「つくる」と表現されていたことが、ぼくはすごく印象に残りました。

塩谷さんと同じく、ぼくも「天才」にすごく興味があって、どうにかして彼ら彼女らを世に輩出する手助けをしたいと思っています。

ただ、ぼくのなかでは、それはなんとなく「支える」もので、下から突き上げるイメージなんですよね。塩谷さんはそれを「つくる」もしくは「育てる」と表現していて、それらの言葉はどちらも、上から引き上げるイメージです。

(天才でない)ぼくはまだ、天才に対して、「つくる」や「育てる」といった言葉を使えないです。でも、ぼく自身がいま以上に圧倒的な実力をつけて、天才たちと対等、もしくはそれ以上な時間の共有の仕方ができるようになったら、そういった言葉も浮かんでくるようになるのかなと思いました。

そして、そうなると天才たち自身から対価を受け取ることもできて、マネタイズの可能性も広がります。

実際、塩谷さんも、NYの自宅をクリエイターの短期留学のホームステイ先として活用していく構想をちらっと話されていて、「メディア」という枠にとらわれない天才のつくりかたに、すごくワクワクしました。


.........と、以上が今回のイベントで勉強になったことのまとめです。

昨日はじめて塩谷さんのイベントに参加したのですが、場の和ませ方もうまくて、ぼくの今後の活動指針にすごく影響を与えそうな、あっという間の3時間でした。


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