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ナルトと映画『君が君で君だ』にみる、究極の愛がもたらす2つの対照的な行動

1ヶ月くらい前から、『NARUTO-ナルト-』にハマっている。(何光年遅れかな?)

Amazon プライム ビデオでコツコツと見続けて、いまはヤマト隊長やサイと一緒に、大蛇丸のアジトへ潜入する場面だ。

ここでのナルトとサスケの会話シーンを見ていると特に顕著だけど、『NARUTO-ナルト-』というのは、つくづく「おせっかい」の物語だなあと思う。こんなこと言うと、古株のファンには怒られるかもしれないが。

作中では、「サスケを木の葉に連れ戻すこと」へ目的を置いた行動に、大半の時間が割かれている。

しかしそもそも、サスケは自ら望んで大蛇丸のところへ行った。しかもナルトからの「お前は大蛇丸に身体を乗っ取られちまう!」という心配も、「イタチを倒せるならそれでも問題ない」と、しっかり論破している。

こうなってしまうと、正当な理由がないのだ。ナルトがサスケを助ける、正当な理由が。

最後はもう「なんでわかんないんだよお!」と言って、ナルトは地面を叩きつける。

この「なんでわかんないんだよお!」が、本作品を「おせっかい」の物語たらしめる。

相手が困っているからではなく、自分が相手にそうあってほしい、そうしてほしいと願うから、介入する。

サスケが困っているからではなく、ナルトがサスケには自分の身体を持っていてほしい、復讐なんかに勤しまず、里で仲良くライバルでいてほしいと願うから、介入する。

これはもう、「おせっかい」以外のなにものでもないよなあと思うのだ。

ただ同時に、ナルトからサスケへの異常なまでの「おせっかい」は、究極の愛の1つの形でもあるなと思う。


もう1つの究極の愛の形

1週間ほど前に、『君が君で君だ』という映画を観た。

この記事のトップ画像に貼っているやつだ。

監督は松居大悟さんで、他には『アイスと雨音』といった作品がある。

『君が君で君だ』は、とある1人の女性を、3人の男がめちゃくちゃ愛するという話だ。

※公式HPより


3人の男は、その女性を愛しすぎて、彼女が住んでいるアパートの向かいに、3人で一緒に住み始める。

そして約10年もの間、食っているもの、トイレに行く時間など、生活のすべてを彼女と同期させようとする。

もうここまでいくとよくわからないが、分岐点は、ストーリーの終盤で彼女がとあることで思いつめ、自殺を図るシーンだ。

普通なら、アパートを飛び出して助けに行きそうなところだが(アパートの向かいからストーカーしてることは、一旦突っ込まない)、彼らはそれを見過ごす。そして、

「ぼくたちの愛してる子が死を選ぶなら、それを尊重する。死のうとする彼女も愛おしい。」

みたいな感じのセリフを放つ。

彼らは、「彼女のことをめちゃくちゃ愛してるから」こそ、彼女のすべて、彼女のありのままを受け入れようとするのだ。


ナルトも彼らも、とても愛していた

ここでようやく、冒頭のナルトと話がつながってきた。

とっている行動は真反対だけれど、ナルトも彼らも、対象をとても愛していたというのは同じだ。

ナルトは、サスケのことをとても愛していたからこそ、サスケの選択に介入し、彼らは、彼女のことをとても愛していたからこそ、彼女の選択に介入しない。

愛は行き着くと、ときに真反対の行動になるのだなあと思った。

どっちがいいとか悪いとかは、ぼくには結論付けられないし、この記事になにか秀逸なオチがあるわけでもないのだけれど。

小さいころ楽しんでたものに、時を経て改めて触れると、また違った感じ方ができることもあるなあという話。



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