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ARTっぽく撮ってみる

メディアが写真を多く使っていた時代、写真をアートとして捉える人は少数だった日本。撮影技術が優先され画質の良さが問われ続けた結果、プロとは「失敗しない」「隙の無い」「適正な露光を守り」「用途に合わせた構図を組み上げ」る技術者であり、「カットは著作権込み」で売る事を良しとする流れができていた。
 
フィルム納品がデジタルデータ納品に移行する時期、ホームページからBlogへと私的メディアが認知され、スマートフォンの写真はコンパクトデジタルカメラを凌駕する流れができてくると、写真はメディアのためのツールから私的なアート作品へとニーズが変わってきた。
 
やっと・・・と思う人もいれば、今更と思う人もいるだろう。
だけど、それらはやっぱり技術革新という底上げがあった上で、アートに価値を見いだせる人々が増えたという、文化的進化の賜物なんだと思っている。

写真をアートとしてアウトプットする場合、被写体が何であるかを説明する必要は無く、見て感じる心の動きの大きさや早さ、そしてその感触とそれに対する感情こそが大事なんだろうと思っている。

ただ、モチーフが面白いから撮る、と言う方がアートっぽい写真になりやすいとは思うけど、自分としてはその時の感情を表現したいので、どこかあざとい写真になりやすい。 
 
だからせめて「何故それを撮ったか」という説明はせず、構図の意図するところを解説する事もしないでおこう。そうすれば、見た人が好き勝手に感じる事ができ、好き嫌いをハッキリと表明しやすいと考えている。

街中でアートっぽく撮るのは面白い。
モチーフを見つける楽しさと、感情の発露を受けとめる心地良さ、そしてその時の感情をより明確にするための演出や、感じたものを強くわかりやすくする現像が実に楽しいのだ。

残暑がきびしくても、空に浮かぶ雲はどこか秋の気配。
ウィークデイの昼日中にカメラを持って歩くと、「暦の上では既に秋」という言葉が死語の様に聞こえるほど暑さに負ける。
それでも少しだけ空気が澄んできたように感じるから、今月下旬に訪れる秋彼岸の後には冬の気配が見えるようになるのかも知れない。

梅雨入り前の一時期と冬に入る前の一時期、コントラストが強い光のダンスが目を刺激する。
 
偏光フィルターをつけて撮ったら綺麗だろう、と思う様な光景を見ると写真を撮りたくなる理由はわからないけど、こんな風景を見て、思わずバックパックから広角レンズをつけたカメラを出して撮った1枚は、汗だくで撮ったのにその気配すら写っていなかった。
 
山下公園へ足を向けてみると、流石に観光客の姿は激減。
そして、私と同じ様にカメラを携えて歩く人が目立っている。
どんな思いでどんな写真を撮るのだろう・・と想像して楽しむのは秘密だけど、仕事モードに見えそうな装備の自分は、「怪しいヤツ」認定されているのだろうね。

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