「心が弱ってる人を、音楽は救えるかもしれません」

聖書に「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(新共同訳 マタイによる福音書4章4節)と書いてありますが、実はこれは心理学的にも正しいです。


聖書の別の個所に「神は愛です」(新共同訳 ヨハネの手紙4章16節)と書いてありますので、冒頭の引用は、
『生きるための物質的環境、すなわち衣食住が整っていても、人は愛情がなければ生きていけない』
という意味になりますが、実際に、人は愛情がなければ生きていけません。


乳幼児に対して生存に必要な衣食住を与え、必要最低限の世話をしても、信頼している特定の人との愛情のこもったコミュニケーションがなければ、その子の心は強いストレスを感じ、身体は成長するのを止め、ひどい時には死んでしまうということが、ボウルビィ達による愛着の研究で分かっています。


しかし、この長い人生において、ずっと自分を愛してくれる人がいるとはかぎりません。そこで3歳くらいの頃、私達の心は、それまでの愛情のこもったコミュニケーションの記憶を材料にして、心の中(無意識の領域)にずっといて自分を愛し続けてくれる「共存的な他者」と呼ばれるものを作ります。


この共存的な他者が、心の中から私達を愛してくれるので、私達は、しばらくは愛情なしでも生きられるようになります(ずっとは無理ですので、3歳以降も、さまざまな人との愛情のこもったコミュニケーションをするたびに、その記憶を「共存的な他者」に付け足して補強します)


しかしながら、ずっと愛情が得られなかったり、強いストレスを受けたり、あるいは、いじめやハラスメントによって心の中の共存的な他者が弱ってしまうと、私たちは乳幼児と同じように外界から愛情を受けなければ死んでしまう状態になります。


(少し話はそれますが、私達の心はこのように、他者とのコミュニケーションの記憶を材料に、その他者と同じ働きをする人を心の中に作りだします。いじめや暴力を受けた人が、加害者から引き離されても、ずっと苦しむのは、加害者がその人の心に住み込んでいるからです)


そうすると、愛情に飢えた状態の心は「たとえ偽物でもいいから、愛情が欲しい」と考えますので、詐欺師等の悪い人が偽物の愛情をもって近づくと、その話を簡単に信じてしまうようになります。

詐欺にあった人の話を聴くとたいてい「明らかにおかしな話じゃないか、なぜ気づかなかったのか?」と思いますが、それは、「嘘でもいいから愛情が欲しい」「信じたい」と被害者が思っているからです。


何故オレオレ詐欺で、ご高齢の方々が明らかに怪しい電話に騙されるのか?あるいは、何故、言葉巧みなセールスマンに高価ないらないものを買わされるのか?


それは、だいたい「寂しい、つらい、嘘でもいいから愛されたい」と思っているからです。


親に虐待を受けた子どもが「自分は本当は親に愛されている、怒鳴られたり叩かれたりしたのは、僕が悪いことしたから」と言うのと同じです。

「自分は愛されている」と信じたいのです。


ではどうすればいいのか?


さまざまな理由で心の中の共存的な他者が弱ってしまった時、応急処置として、意識的にそれまでの人生にある「愛された経験」を思い出して、共存的な他者を補強することができます。
(ちゃんと治すには、実際に、信頼関係にある特定の人と温かい心の交流をした方が良いです。)


その際、愛された記憶を思い出す手がかりとして、音楽が有効です。


乳幼児は言語が未発達ですので共存的な他者が最初につくられたとき、その材料となった愛された経験は、言葉以外のコミュニケーションが主です。つまり共存的な他者のコアは非言語的コミュニケーションの記憶です。

そして音楽は非言語的コミュニケーションですから、そういった記憶を呼び起こしやすいのです。


心が傷ついたときは愛情を感じる音楽、聴くと安心する音楽を聴きましょう。


(そういえば、昔、夏目雅子という当時人気のあった女優が、27歳で白血病で亡くなる数日前、看病してくれていた母親に「お母さん、子守歌を歌って」と頼んだそうですが、これも、病気のストレスにより傷ついた心を癒やそうとしたと思われます。)


音楽をしている方は、心が弱って悪い人に騙されやすくなった状態の人を、知らないうちに、どこかで救っているかもしれません(*^▽^*)

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