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「教育における待つこと」と音楽

発達心理学にレディネス(準備すること)という用語があります。
この用語は「ある教育や訓練を受けるための心身の準備」という意味で使われます。


よく「習い事は早く始めたほうが良い」と言いますよね。しかしレディネスの考え方では「その子の発達段階が、その学習が可能なレベルに達する前に無理にさせると『やったけどできなかった』というつらい思い出や苦手意識ができることがあるので、その学習のために必要な心身の準備が整うまで待った方が良い」とされます。


例えば、

具体的操作期といって「具体例があれば、概念を操作できる」時期はだいたい7歳以降からと言われていますので、この後の算数では、具体例とともに分数や少数が出てきますし(例;ピザ一枚を二つに分けると二分の一)


形式的操作期と言って「具体例がなくても概念を操作できる」と言われているのがだいたい12歳以降とされていますので、この後に算数が数学になって具体的な数字の代わりにXやYが出てきます


これは、平均するとこの時期以降にはそういった内容を理解するためのレディネスがあるとみなされるからです。


ここで重要な点は、そういったレディネスができる時期に大きな個人差があり、かつ、レディネスができる時期が遅い子でも、後にとても高い学力を示すことがあるということです。


例えば、小学校の算数で分数や少数が出てきたとき、具体的操作期になっていない子どもには理解するのが困難なので、教師はつい「この子は算数が不得意だ」と思いがちです。

そして、その子自身もそう思って算数に苦手意識を持ってしまい、勉強しなくなると本当にその子は算数ができなくなります。

しかし、その子にとって、その学習を受け入れる準備ができていないだけだと考えて、その子の心身の準備が整うまで待ってから教えるならば、数学の才能が開花して、理系の研究者となるかもしれません。


こういった例はエジソンやアインシュタインなどの偉人の伝記でおなじみですよね。

(子どものとき、学校で「ダメな子」とみなされて成績が悪かったけれども「きっとできるようになる」と信じてくれた大人が、その子のペースに合わせて教育した結果、才能が開花したというパターンです。)


音楽の世界でもこれに似たことがあります。
作曲家の中には、モーツァルトやベートーヴェンのような幼いころから才能を示す神童と呼ばれるタイプと、ベルリオーズのように(育った環境のせいで音楽との出会いが遅かったためもあるでしょうけど)青年期以降に才能を開花させるタイプがいます。

そして、皆さんご存知のように才能を開花させた時期が遅い作曲家が作った曲にも素晴らしい作品がたくさんあります。


今できなくても、あきらめずにレディネスができるのを待ち、今の発達段階でできることを頑張っていれば、その頑張りが次のレディネスの基礎となり、できるようになるかもしれません。

信じて待つことがとても大事なのです。


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