墓場へと還っていったマイケル

(2009/6/27)

そう、僕にとって、マイケル・ジャクソンは墓場から現われた何かだった。
彼は一度、死んで、墓場から帰ってきた。
彼というのはジャクソン兄弟の小さな天才だったマイケル。
墓場から現われたマイケル・ジャクソンは、彼とは違う何かになっていた。何かって何だよ?と問われたら、僕はいまだ、それをきちんと言い表す言葉を持っていない気はするけれども。

大ファンだったとは言わないにしても、僕は彼の歌が好きだった。
ジャクソン5はとりわけ、曲が好きだったな。今も昔も、一番好きなのは「Never Can't Say Goodbye」か。
ただ、この曲の一番思い出に残るヴァージョンはジャクソン5ではなくなっている。脳裏に焼きついて離れないのは、デニス・ブラウンのカヴァー・ヴァージョン。タフ・ゴング・スタジオで、僕はその歌入れを目撃したのだが、ほどなく、デニスが死んだという知らせを聞いた時には、まったく驚かなかった。あの時のデニスは、いつ死んでも不思議ない顔をしていたから。

ディスコ・クラシック好きは当然、「オフ・ザ・ウォール」も大好きだった。クインシーとマイケルの幸せな蜜月。
だが、月は欠け、次の満月が戻ってきた時に現われたのは、狼男に扮した墓場からの何かだった。

初めて「スリラー」のヴィデオを観たのは湯浅学の家だった。当時、横浜にあった彼の家に、僕は女友達(複数)とよく遊びに行った。すると、ある時、湯浅が「スリラー」のヴィデオをかけたのだった。
女の子達は狂喜して、何度も何度もそれをリピートした。関係ないけれど、記憶の中の彼女達の可愛さといったら、たまらないな。

ああ、そう、だから、僕がマイケル・ジャクソンに与えた0点の理由は、嫉妬だったのかもしれない。得意気にヴィデオの解説をする湯浅と、それに目を輝かす女の子達。でも、オレはつまんなかったんだよ。

何故、つまんなかったかといえば、「スリラー」に先駆けて出ていた「ビート・イット」あたりで、どうなっちゃったんだよ?クインシー?と首を傾げていたことが背景にあったかもしれない。クインシーといえば「鬼警部アイアンサイド」っていう世代のオレは、あんな弩級のオーケストラ・スコアが書けるクインシーが、何故、全部の楽器がユニゾンでペンタトニックのリフを繰り返すようなアレンジに行き着いたのか、意味が分からなかったのだ。

ジャクソン・ファイヴの音楽の一番好きだった部分がソングライター・チームのザ・コーポレーションの仕事だったのと同じく、僕が「オフ・ザ・ウォール」が好きだった最大の理由は、デヴィッド・フォスターの曲やクインシーのアレンジが好きだったからなんだな。今になってみると、そこはそう自己分析できる訳だが、ともあれ、オレは「スリラー」には乗らない、と決めたのだった。別の言い方をすると、それはどんどん時代が80年代に突入していく中で、僕が抱えていた違和感、70年代的なものへの共感を捨てたくないという気持ちの現われだったとも思う。
(ただ、それでも「スリラー」のヴィデオはこっそり買った形跡が残っているんだが)

70年代的なものへの共感、ということについて書くなら、いつだって、僕の中でその中心にあるのはニール・ヤングの音楽だ。15歳の時から今に至るまで、それはまったく変わらない。中学を卒業して、高校に入学するまでの春休みに観に行った映画「いちご白書」。その中で流れてきた「ヘルプレス」。自分が目にしている世界よりも、もっと本当の世界がある、この曲の中には絶対にそれがある、と僕は思ったのだった。そこで僕の人生はほぼ決まってしまった。

墓場から現われたマイケル・ジャクソンは、その対極に位置していた。
共感から最も遠い存在。それが「スリラー」以後のマイケルだった。

例えば、よく思ったのが、マイケルは家族の墓参りをするのだろうか?というようなことだったりする。
これがポール・マッカートニーだったら、何の疑問もなく、墓参りをするポールを思い描くことができる。超のつくスーパースターだって、ある部分では普通の家庭人であるだろうと。

音楽を聞くということは、しばしば、それを演じる音楽家の感覚を、自分の中に引き入れてみることだったりする。
例えば、分かりやすい例としては、エアギターみたいなものがある。僕は自分でもギターを弾くから、ギタリストの感覚は結構、分かったつもりになれる。ジョン・スコフィールドのようにギターは弾けなくても、ジョン・スコフィールドになって、自在に指がフレットの上を駆けめぐる感覚がどんなものかは、だいたい分かるみたいに。

ニール・ヤングの歌に、あるいは忌野清志郎の歌に、でもいいけれども、すっごい共感できる歌に共感するって感覚は、どこかでニールになったり、清志郎になったりする自分があってのものなんじゃないだろうか。ああ、分かる、オレにも。目の前の世界よりも本当の世界がこの歌の中にはあるって。ロックってそういうことだろ?
それは幻想かもしれない。いや、幻想に違いないことなのだが、でも、死ぬまでその幻想と生きるだろう自分を僕は知っていたりする。

だが、ことマイケル・ジャクソンに対しては、そんな感覚はどこにも見出すことができなかった。それは僕がムーンウォークが踊れないから、だけではない気がする。
15年くらい前だったか、パリの野外スタジアムで彼のコンサートを観たことがあるが、憶えているのは、最後に彼がロケットを付けて、どこかに飛んで消えてしまったこと。あれはどこに消えたのだ? どうやって着地するのだ? 本当にあれをやって、飛んでいる時、怖くないのか? ずっとずっと、そこばかり疑問として、反芻してしまう。
何で毎夜毎夜、そんなことをするのか、しなければならないのか、あまりに分からないから。(分からないといえば、僕にそのパリ公演を見せるためにソニーミュージックが使った金も訳の分からない額だった)。

マイケル・ジャクソンとして生きる人生がどういうものだか、想像できるかい?
プリンスとして生きることや、マドンナとして生きることの方が、まだ想像可能だろう。
マイケル・ジャクソンは、彼が本当に人として生きていたのか、あるいは、死んでしまったとされる今は本当に死んでいるのか、すべてにおいて現実味のない感覚しか残らない。ある意味、生きているうちから、幽霊のような存在だった。

だが、今日、僕は思ったのだった。まったく逆の、皮肉な事実もあるのかもしれないと。
マイケル・ジャクソンこそは、現実そのものだったんじゃないだろうか。
とてもじゃないけれど共感はできない現実、しかし、どんなに受け入れ難くても、受け入れなければならない現実。
マイケル・ジャクソンというとてつもないパフォーマーが築き上げたもの、あるいは、それが朽ち落ちていく様もまた、80年代から2000年代に至る、この世界の現実そのものだったんじゃないか。僕達の日常の中で経験してきたことと、それは見事に重なり合うんじゃないか。

とてもじゃないけれど共感はできない現実、しかし、どんなに受け入れ難くても、受け入れなければならない現実。そんな中で、僕達もまた、幽霊に近づいていたのかもしれない。

最後のツアーの準備中に彼は消えてしまった。
僕が葬儀に足を運んだミュージシャンはたいてい、次のアルバムやツアーの準備中、さあ、これからという時に死んでいる。だから、よくある話、と僕は思った。
マイケル・ジャクソンとして生きることは、絶対的に想像力の及ばぬ経験だろうと思っていたのに、初めて、なんだか分かる気がした。彼が墓場に還っていった理由は。

(ところで、後で気がついたけれど、「ビート・イット」のリフはペンタトニックではありませんでした。一音、違う音が入っている)

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