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知覚の扉(未完)

書き始めたけどやっぱ違うなと思ってボツにした小説の書き出し。まずは材料を置いていっている感じ。

こういうのもせっかくなので貼り付けておきます。


飲食店のドアがまた閉まる音がする。出入りする者があるたびに大きな音をたてる。室内は禁煙だから、煙草を吸う者もしょっちゅう通り抜けていく。そのたびに馬鹿でかい音がなる。「席空いてますか?」といいながら入ってくる者が、残念そうな表情を浮かべて立ち去っていき、ドアが音をあげる。出た者があったかと思えば、入る者がある。ドアの閉まる音がひびく。

風の強い日である。空には一日中うすく雲がかかっていたが、夕方ごろになって奇跡のような光があたりをおおった。にぶくかがやく湖面に大急ぎでボートを出す。80メートル先に、放歌高吟する男女が船上でゆれている。さしあたっての作業を無事に終え飲食店に入ると、風に吹かれてドアが叩きつけられる。

その日からしばらくたって、作品の公開初日にふたりの批評家によるトークショーが行われた。ほぼ満席の会場にあとからあとから遅れて入ってくる人々が、決まってドアを乱暴にあつかう。話し手のひとりが「ふだんには見られない方々もおおぜいいらっしゃって、めずらしく繁忙期のような状態ですが」と口にする。その「繁忙期」といったときの口もとの形が、10年以上たったのちにもはっきりと思いかえせるほどの印象をのこした。

モダン・ジャズ・カルテットの「フォンテッサ」が流れる店内に間歇的にさしはさまれるドアの騒がしい音に体をふるわされながら、あるバーテンダーの訃報を目にする。同席した知人の注文に対して「カティ・サークのお湯割りですか。親から引き継いで40年この店をやっていますが、初めてしりました。勉強させてください」と丁寧に頭をさげた姿を思い出す。

そのとき、ドアがするどくきしんで、白髪の男性と年若い女性が入ってきた。高名な陶芸家である。「知覚の扉」と題された彼の代表作は、日本橋にあるデパートの催事場に上がっていくエレベーターの脇にいまも飾られている。「もう15年ほど前になるでしょうか。おしいひとを亡くしました」とため息をついて、あるバーの思い出を語りはじめた陶芸家は、ドアを開いたそのとき、この作品の構想が瞬時にひらめいたのですと、話題を展開した。

風が強い晩に暖を求めてたまたま目についたバーの重たいドアを開いたそのとき、目の前がパッと明るく輝いた。内心興奮を覚えたのだったが、同席の者がいた手前平静をよそおって、さもふだんの動作の続きであるかのように手帳を取り出し「この光だ!この光を焼け!」と記した。

鰤しゃぶのためだけに特別に作られたというえんじ色の大きなうつわは、鉢形の上部を支える三本の足の間に固形燃料を差し込める形状をしている。この陶芸家のファンでこの店でもたくさん使っているんですよと店主がいう。

(未完)

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