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承認欲求

今日こんな話をした。
知人の女性の話である。
「未婚で30超えると女は癖が強いね」
「認められたいって気持ちが凄いじゃん」
「可愛がられるタイプなら大丈夫だけど、可愛がられない性格だとどうしても他で認められたいって気持ちが出るよね」
「そんで他の人も自分の側に引きずり込もうとするんだよね。ダークサイドに(笑)」
男同士の軽口だ。
……批判は甘んじて受けます。

そんな話からふと承認欲求について考えた。

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心理学者マズローの欲求5段階説によると、人間には5段階の欲求があり一つ下の階の欲求が満たされると次の階の欲求を満たそうとするらしい。

これによれば承認欲求は上から二つ目。
真ん中の所属と愛の欲求は社会的欲求とも呼ばれ、集団に属していたり家庭や会社から受け入れられている状態になると満たされる。
生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求が満たされた一般的な社会人が、おおよそ殆ど次に求めるのが承認欲求だ。

他者から尊敬されたい、認められたいと願う欲求

社会に属したら、次はその社会での地位を求めるようになる。
会社であったり、家庭であったり、身の回りの社交や人間関係の場においてだ。

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この承認欲求が曲者で、その形が社会に応じて複雑になっているんだと思う。

たとえばインスタ映え。あれこそ承認欲求の塊だろう。
あれは主に女子がスイーツやオシャレスポットに寄った時に見栄えのいい写真を載せること。
……だよね?合ってるよね?

そのことについて考えて、ふと思った。
もちろん一般的にであるし、僕はジェンダー論が嫌いで無くなればいいと思っている人間だけれど、男女で承認欲求の形が違うんじゃないか。
男性が主に仕事や出世で尊敬されたいと思うのに対し、女性は充実してることや幸福であることを認められたい気持ちが強いんじゃないか。
あくまで一般的に。

個人的な自分の周りの話になるが、Facebookで仕事の話を投稿するのは男性が多い。仕事で活躍してる風なことを載せているのを見ると、捻くれ者の僕は承認欲求出てんな〜って冷めた気持ちになる。
Instagramで私生活の投稿をするのは女性が多い。オシャレや幸せそうな様子を載せているのを見ると、承認欲求出てんな〜って冷めた気持ちになる。
……どっちもうんざりする。

俺は他の男より仕事ができる!稼いでる!
これが男性の承認欲求の形だとするなら、
私は他の女よりオシャレ!モテてるし幸せ!
これが女性の承認欲求の形なのかもしれない。

最初の話に戻るが、未婚で30超えて癖が強い女というのは(あくまでその個人です)、幸せじゃないと周りから思われていると自分で感じているから、その他のことでそれ以上に強く自分を認めさせたい気持ちが溢れているように見える。
令和の今でもやはり、結婚=女の幸せという固定観念は世間に浸透している。その要件を満たしていないその人は、他のところで他者に認められたいという気持ちが歪んで発現していた。
他人から幸せそうに思われないことが承認欲求を拗らせた理由に見えた。

承認欲求は世間のニーズともリンクしているのかと思う。
仕事ができる男性に比べて仕事ができる女性に対する異性の評価は高くないのが現状だし、オシャレで幸せそうな様子が同性の羨望を得られるのは男性より女性の方が多い。
その世間が作るジェンダー論に引っ張られるように個人の承認欲求の形も作られている傾向が見える。
そう思うと、急にくだらなくなってきた。
尊敬されたい、認められたいと願う気持ちは世間が作っていた。世間が評価してくれればそれでいいのだ。それがたとえ、本当に自分が心から望む姿じゃなくたって。
なんだか踊らされてるみたいだ。

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自分のことも考えてみた。
僕の承認欲求はどこにあるだろう。
こうやってnoteを書いているのも承認欲求と言われれば否定できない。スキを貰えれば嬉しいし、より多くの人に読んで貰いたい気持ちがある。
僕は好きな人には長文をこれでもかと送りつけるし、自分を認めて欲しいという欲が溢れまくっている。
もっと小さい話で言えば、僕はボクサーで体を鍛えてることや人より強いことは証明できているから(これから活躍してもっと証明したい)、普段は強さよりも知性を見せたい欲求がある。このnoteもその一端だろう。
色白な僕が日焼けをしたがらないのも、色黒マッチョだといかにも体育会系の脳筋野郎に見えるから、それ以外の要素もありますよってアピールだったりする。

承認欲求に踊らされることは、もうしょうがない。
無理に否定しても歪んだ形で現れてしまうし、人は人に良く見られたい生き物なのだ。
数多くの偉人たちの偉大な発見ですら大抵は劣等感やコンプレックスをバネにしている。承認欲求を抑え込むことを目指すよりも、上手に付き合うことを覚えた方がいいだろう。

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承認欲求の更に上に自己実現の欲求がある。

自分の世界観・人生観に基づいて、「あるべき自分」になりたいと願う欲求

これは承認欲求と混同しがちだが、もっと純粋な欲求だ。自己実現は自分自身のみを指すものであり、社会的地位や他者評価を含むものではない。(と、僕は解釈しました)
ここを目指す人を僕は美しいと思う。
それは強さを求める格闘家の姿だ。
描きたい絵を描く芸術家の姿だ。
誰がなんと言おうと自分の心を偽らない正直者の姿だ。

承認欲求を満たしてからこの段階に進めればそれが一番充実することだろう。けれど承認欲求を満たさずにこの階段を昇ろうとする人にこそ僕は惹かれる。
絵が売れなくても自分の描きたい絵から逃げなかったゴッホは僕の永遠のヒーローだ。
ボクシングを通して権威や世間と戦い続けたモハメド・アリは不滅のスターだ。

人は誰しもなりたい自分になる権利がある。
自分の持つ価値観を忘れていつまでも他者評価ばかりに気を取られるのはもう辞めにしよう。

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と、偉そうに言っておいて僕はきっとこのnoteも好きな人に送るだろう。好きな人に対しては特に強く溢れてしまう承認欲求に抗えずに。
ならせめて、嘘偽りのない自分の世界観・人生観に基づいて言葉を紡ごう。
それが僕の、あるべき自分の姿だから。

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