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ウラニーノ「中年花火」のMVを見て欲しい

 同じ西川口ハーツをホームにするバンドとして「ウラニーノ」というバンドの存在はずっと知っていたのですが、なんだかんだで腰を据えて聴く事が出来ず、実は僕がちゃんと聴いたのは一昨年の伊藤さん(大塚ハーツブッカー)生誕祭でした。ウラニーノとは対バンでした。

 「今まで完全に愛されブッカーとして認識していた伊藤さんがバンドでベースを弾く」という事で興味津々の僕がリハを覗いた時、ちょうど「中年花火」を合わせていました。「なんだか妙に個人名がたくさん出てくる歌だなぁ。」と思って聴いていたらぐいぐい引き込まれ、良いところでリハが終了。
 僕は音楽で泣いたことも、映画ですら泣いたことがほとんど無い涙腺乾燥人間なんですが、本番で「中年花火」を聴いた時に久しぶりに涙をこらえました。

 昨年末待望のMVが公開され、僕は買ったばかりのmacbook airで全画面表示にして見ました。なんと泣きました。僕が。本当に泣いてしまうのでMVは2日間で3回しか見れず、その後未だに見れてません。これを書くために今さっき見ましたがやっぱり涙をこらえる結果となりました。歳をとった。

 youtube貼り付けましたが僕は知っています。大半の人は再生しません。このMVを見てもらえれば今日の僕の仕事は完了だと思っているので、今MVを見てもらえたらこの先は読まなくても良いです。

 ファンの皆様はもう見ているはずなのでネタバレ満載で書きますが、幼馴染5人のうち1人が他界してしまい、葬式で久しぶりにおっさんになった4人が再開、童心に返って花火をする。というストーリーです。

 「おっさん4人で花火をする」が大半を占める前半の歌詞と、ノスタルジックでありながら緊張感のある演奏。この情景1場面のみにものすごい量の感情が渦巻いている事を、曲が進むにつれ嫌という程叩きつけられます。
 Aメロの歌詞だけだと、よほど注意深く聴いていないと悲しい歌だと気付きません。Bメロで何やら様子が変わり、間も無くサビで答え合わせをさせられます。

 僕が好きな歌詞に多いんですが、山岸さんの歌詞は「言葉や情景の裏に巧みに感情を隠している」と思うんです。本当はみんな泣き出したい悲しい感情を、童心に返って花火をする情景を描く事で隠して、だけれども確実に感じられる様にしっかりと潜ませているのだと思います。

 僕の話になりますが、中学時代に一緒に生徒会役員をやっていた友人が二十歳の時に事故で亡くなりました。葬式が終わってそいつの家で仲が良かった友人達と談笑中「糸が切れた様に誰かが泣き出して、堰を切ったようにみんな泣き出す」という事を実際に経験しました。
 そして何故かああいう時は頭が変に冷静で、「刺青を入れているような吉野が一番泣いているじゃん」みたいな事が見えちゃうんですよね。深い悲しみの中では、人間は意外と冷静になってしまう様に作られているのかもしれません。 

 「誰か」の視点だった「おっさん4人で花火をしている」という情景は、曲の後半で「星になったあいつ」の視点に突然切り替わります。ここで震えます。ここでドラムがブレイクして、全力で聴いている人の目を覚まさせに来ます。この時初めて、青木と岡本と吉野と佐々木が個人名で歌われている事に感動します。
 映像がどんどん4人から遠ざかっていき、視覚もボケていきます。人が死ぬ時にこうやって死ねるのだろうか、この世を去るのは悲しい事だけれども、こうやって送り出してもらう事が、今生きている我々が持てる希望なのではないだろうかと思いました。

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 その後、1発のタムの音をきっかけに今まで悲しみの中にいた4人が現実を受け入れ前を向き始め、自分達を納得させるように物語はエンディングへ向かいます。
 畳み掛ける様におっさん4人が笑顔になる映像から、少年たちに切り替わった瞬間で僕は泣きました。ここはもう少年たちの演技が本当に素晴らしくて愛おしい。そしてこのナチュラルさを引き出せたのは監督さんの手腕だと思います。

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 最後のシーンに、ひょっとして青いTシャツの少年が「あいつ」なのだろうかと思える伏線らしきシーンも散見されますが、答えはありません。狙っているのかも、少年の演技による偶然なのかも分かりません。でも答えがないのが逆に「未来のことを知ろうなんてしない方がいいのだ」と言うメッセージにも見えました。

 もしかしたらこの内容は完全なフィクションなのかもしれない。僕が感じた伏線も思い過ごしかもしれない。解釈自体が全然間違ってるかもしれない。それでも僕には響きました。これをきっかけにMVを見た誰か一人にでもガツンと脳天に来てくれたら嬉しいです。僕を信じて6分22秒、なるべく大画面で見てください。

 ダメ押しURL貼り付け。2回見たって良いのではないでしょうか。

頂いたお金で本を買います。