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「問い」が人を育てる

尊敬している経営者に「どうやったら財務をよくしていけるか」と伺ったとき、一言

「財務について本気で悩んでる人をどれだけ組織につくれるか、だよ」

とおっしゃって頂き、それ以来それを大事にしている。

問いも出さずに部下が答えを出してくれると期待してしまってはいないだろうか?

部下がPDCAを回せないんだよね、と嘆いたとき、例えば果たして本当に「先月はどうだったの?」「来月はどうしたいの?」とその部下に問うたか。

上司はときとして部下に対して「経営者目線を持ってほしい」とか「長期的な事も考えてくれたらいいな」という願望を無邪気に望んでしまう。その願望を実際本気で脳味噌に汗をかく感覚で悩んでもらうためには、まず上司の方から適切な問いを提供し続ける必要がある。

それが人を育てるための「問い」だ。上司が「問い」を発する上で大事な前提条件、「問い」を作る環境、そしてもっとも大事な心構えについて考えてみた。

1.  前提となる情報を共有する=文章題の記述部分

どんな文章題も「XXを求めよ」の前には前提となる記述が書いてある。仕事で言えばその問いの文脈と背景を理解し、考えるためのきっかけを提供してくれるような経営としての意志やファクトを書くところだ。それを渡さずして「疑問部分」だけ渡しても全く意味がない。例えば財務情報を公開せずに「どうやったら財務が良くなるか考えてくれ」と聞いたところで的外れな答えばかり返ってくる。

僕が実際財務を一人で抱えて悩んでいた頃は本当にこの状態だった。誰もわかってくれないも何も、そもそも財務の数字を知っていたのは僕だけだった。誰が渡されていない情報について意識するというのだろう。

考えてもらいたい問いについての情報はすべて公開されているか、めんどくさいところにしまい込まれていないか。特定の地位やリテラシーが無いとアクセスできなくなっていないか。前提の文章がない文章題を出していないか、ということが問いを出すための大前提である。

ということで上司が前提条件を含んだ問いを適切に出し続けることが大事ではあるものの、半強制的に「問い」が生まれる環境を作ることも可能である。それが昇進とガバナンスだ。

2-1. 問いがうまれる環境を作る1つめの手段=昇進

人が成長して昇進するのか、それともポストが人を育てるのか。例えばポジションに対して能力が現時点で足りないとしても、そのギャップはどれくらい許容される文化なのか。それは組織や考え方によってもやや異なるだろう。

しかし、適切な「問い」は普通の組織では、仕組み上「特定の仕事のポジション」の人だけに伝わる。財務担当がいるから財務がチェックされ、人事担当がいるから人事がチェックされる。マネジャーになるからマネジメントに苦労し、覚えるし、経営者になるから経営者目線を持つ。

そのポジションが実際にさらされている定例の会議や責任を持っている数字、様々な問い合わせを通じて「問い」がたまっていく。突きつけられてはじめて「問い」について考える事ができるようになる。

そして昨今、その「問い」の答えは直属の上司もコンサルタントも知らない時代になろうとしている。なのでこれからは現場に近い人が「適切な問い」を持つためにちょっと背伸びして「適切な問い」をもらえる「高いポジション」に先に昇進することが、それが組織の生き残りに大きな意味を持つようになった。

2-2. 問いがうまれる環境を作る2つめの手段=ガバナンス・定例会議

SALASUSUはNPOとしては立ち上がったばかりだが、理事でありかものはしプロジェクトの本木さんのアドバイスもあって、かなり気合いを入れて理事会を行っている。現場としては、理事会の準備は大変なわりに続けらこれたのは、毎回の理事会で「意味のある問い」をもらえ、自分達の目線が上がりエネルギーをもらえるからである。

例えば理事会ではこんな質問が矢継ぎ早に飛んでくる。
「この3ヶ月はどんな意味があったの?」「結局進んでるの?」「それをしないことでどんな事が起きるの?」「本当にそれに時間使ってていいの?」「どうやって社会を変えていくつもりなの?」「それは目標として3000万円の話をしているの?5億の話をしているの?」

それこそ日々教育・生産・販売をしている現場ではなかなか真剣に向き合えないような大きな大事な問いがどんどん飛んでくる。理事会までは視野が狭くなっていた、視線が下に落ちていた自分たちだったのが、理事会後には羽が生えて遠くまで見渡せるエネルギーをもらえるかのようで助かっている。

組織も個人も、自分一人で成長し続けることは本当に難しい。「良い問い」をもらえる場、を作ることでそれに対処することができる。それが「ガバナンス」である。

3. 信じて待つこと。当事者が答えをだすことに意味がある

そして「問い」を提供する上でもっとも大事な事が、問う側の心構えとして「当事者が答えられると信じる事」「当事者が答えることに意味があると思うこと」ことである。

その理由は
・そもそも上司が答えを持っていない時代で
・常に問いの答えは複数あり
・「より」正しい答えを見つけることをよりも、当事者が納得して取り組むことの方が価値がある
からである。もっと具体的に言うと上司が勝手に悩んで勝手に下した意志決定の質がどんなに高くても、部下が納得していなければ物事は動かない、ということだ。

それなのに、部下が答えを出す前に待てずに答えを出すと、その「問い」はなかったことになってしまう。脳に汗をかいている瞬間こそが学びの瞬間であり、気づきへの準備である。

参考:意志決定の効果に関する方程式

意志決定の効果  = 意志決定の品質* 当事者の納得
Effectiveness     = Quality               *  Acceptance

ちなみにこれは知り合いのオランダ人が教えてくれた方程式。意志決定の有効性は意志決定の質と当事者の納得のかけ算で計算できる、という意味だ。

これは僕達は往々にして素朴に意志決定の質が良ければ有効な意志決定ができたと感じてしまうが、本当の変化に繋がるためには実行する当事者の「納得」が必要ということを気づかせてくれる。この方程式が示唆するのは「例え品質が少し低くても、自分が納得した選択ならば効果が出る」ということである。

社会変革も当事者が問いを持つことで進んでいく

社会変革の文脈でもどれだけ当事者の人にその「問い」をもってもらうか、がシステムチェンジの条件になってきている。かものはしのインドの事業でも当事者・サバイバーの中から生まれるリーダーシップを育成している。「当事者には自分の声がある。彼女たちは答えを持つことができる。彼女たちが社会を変えることができるが、その声を社会に届けるためのお手伝いをするのが我々の役割である」という信念がその事業を支えている。しかしその信念もNGOの間でもなかなか合意することが難しい、チャレンジングな概念だったりする。

アメリカの貧困地域で教育の問題を解決するために貧困家庭の親を巻き込んで地域を変革していった「雨を降らせる人」プロジェクトも全く同じだ。誰もその貧困家庭の親が問題を解決出来うる存在だと信じておらず、期待も情報も問いも提供していなかった。それがひとたび「問い」を提供される中で最もパワフルに問題解決を行う集団へと変化した。麻薬に依存する他の親を助け、センターを作り、子どもの教育を支え、地域を変革した。
(詳しくは「学習する学校」などを参考のこと)

僕の人生の問い

今僕は仕事の上では、例えば「資本主義は柔らかくできないのか」「縫製工場やものづくりはキャリアになりえないのか」「ライフスキルが水道のように人に安価で提供されるには何が必要な要素なのか」という大きな問いに、日々奮闘している。そして家庭でも「家族は本当に一緒に住まなくてはいけないのか」といった問いを抱えている。

自分の人生だけでそれに答えが出るかどうか、結局のところ僕にとってそれが「適切な問い」だったのかどうかは蓋を開けてみるまでわからない。でもその問いを抱えながら脳味噌に汗をかいて日々葛藤することが本当に楽しい。

これからも様々な問いが僕の目の前におりてくることを楽しみに、そして沢山の人に大事な問いを提供できることを目標にして行きたいと思う。

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