20代の親の呪いを乗り越えるために大事な3つの原則

先日facebookに下記を書いたところ幾らかのイイねとうちの親からのコメントをもらった。まぁせっかくなのでもうすこし説明をしようかと思いこちらに書いてみる。

20代の親の呪いを乗り越えるために大事な3つの原則

1. 親は長く生きているだけあってタフである。妥協を知っている
2. 親は先に死ぬ。自分の人生の責任は取ってくれない
3. 親からの恩は返せない。大きすぎる。次の世代に送るべし。

認知や意思決定が親の影響を不必要に受けているのでは

インターン生やスタッフ、お会いした方々と色々と話していると、すくすくと成長しているかと思ったら突然どこかでスタックするような瞬間を感じる時がある。あと人生の大事なタイミングで選択肢を迷っている中で、身動きが出来なくなっている瞬間もよく見かける。話を丁寧に聞いてみるとアレと思うようなところで「これは無理だから」「私はこういう人ではないので」「本当はこれやりたいんですけどね」という謎判定、謎ルールが出て来る。客観的にはまったくそんなことないんだけどやたら自信がない人も多い。でも本人たちはそういうものだと思っているので、あまり疑うことすらできていないケースも多い。

その一番大きな原因になっているのは「親」であることが多い、というのが実感だ。ここで言いたいのは必ずしも親がDVだとかそもそもいないとかそういうケースのみならず、親からしても良かれと思ってかけた言葉が呪いになっているケースもあるということ。わかりやすい事例で言えば「良い学校に入って良い会社に入るのが良い人生なのよ」みたいな話から、「あなたはこういうところがあるからこういうふうにしちゃだめよ」とか、「あなたは本当に物分かりが良くて良いいこね」みたいなことまで。

言葉だけを見てみると普通かもしれない。結局のところ「言葉」そのものが呪いになるというよりは、その「言葉」に囚われている親自身の痛みや反応、トラウマみたいなものが子どもに届くのだと思う。「(私はそうなれなかったけど)あなたには立派に育ってほしいの」とかそう言った無言の部分。まず親自身が言葉に自覚的になり、自分自身の痛みに気づき取り組んでいく覚悟が大事だがそれはまた別の話。

子どもたちとしてはどうやって自分で責任を持って生きていくか、という問いに対して取り組む時に、親の言葉との決別が必要な瞬間が絶対に来る。僕自身は本当に親に恵まれて、おおよそ呪われたことはないと今でも思うんだけども、それでも僕自身が楽になった経験も含めて3つの真実を伝えることにしている。

1. 親は長く生きているだけあってタフである。妥協を知っている

これは実際に僕が師匠に言ってもらって楽になった言葉。僕が大学を中退する時だったと思う。流石にここまで育ててもらっておいて、そして自分の母校を卒業した人ばかりいる親族・家庭の中でそこを中退するということについての申し訳なさや恐れがあった。

その時に言ってもらったのがこの言葉がこれ。そして今娘が7歳になる中でより実感をもってこの言葉がわかるようになってきた。

結局子どもが元気だったら、いや存在してくれれば幸せなのだ。僕はまだ35歳だが、いまでも娘が不登校になろうと性的マイノリティだったことに気づくことがあろうと、海外で暮らそうとまぁ大丈夫だな、という感覚がある。(とはいえ僕が今想定していることなんかを軽々と吹き飛ばすことが起きるんだろうな、という予感もちょっとあるけど)

人間が50年生きるということはそれなりのことだ。沢山の叶わない夢や、沢山の挫折を知って生きてきた。もちろん子どもには幸せに生きてほしい、より良い人生をとは誰でも思う。それでも、ちょっとうまくいかなかったくらいで見放すということはない

2. 親は先に死ぬ。自分の人生の責任は取ってくれない

かのジョブスも誰かの人生を生きてはいけないと言ったが、もっとも危険でいけないのは親のために生きることだ、と思う。これは親を喜ばせるということを最上目的に生きることも、逆に親を悲しませようとか注意をひきたいと思って生きることも含まれる。その人たちはあなたより先に世の中からいなくなるし、その先の人生を保証もしてくれない。お返しもしてくれない瞬間が来る。

実際は誰もあなたの人生の責任を取ってくれない。でも基本的に親にはそれを望んでしまうのなら、諦めた方が良い

3. 親からの恩は返せない。大きすぎる。次の世代に送るべし。

いつの時代もどんな家庭環境でも、子どもを持って育てるということは並大抵のことではない。だいたい悪阻や出産そのものだってハンパじゃない。いや、僕は横で見てただけですけど。

親が作った家庭の文化や、色々な出会い、選んだ街、色々なものに影響を生きて僕らは生きている。今日頑張れるのも、親が背中を見せてくれたことだったり、失敗しても親が支えてくれることだったりが勇気になっている。そもそもDNAだって etc.

そんな大きなものをどうやって返すというんだろうか。もちろん親に感謝したら良いと思うし、プレゼントも素敵だし、一緒に旅行に行っても良いだろう。初任給の使い方としては圧倒的にイケてる使い方だと思う。

でも返してもらいたいと思ってやってないし、そもそもその親もさらにその親からさまざまなものを受け継いで生きてきたのだ。返せないし返して欲しくもない。あえて言えばできたら次の世代や周りに送っていってほしい、と娘を見ていて思う。

まとめ

もし自分の行動や意思決定が親にしばれていると感じたら、もし自分の口癖や「べき論」というのに親の影を感じたら、上のルールをちょっとだけ読んでもらえないだろうか。ちょっとだけでも心が軽くなれば幸いである。

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青木健太 NPO法人SALASUSU 共同代表 東京大学在学中の19歳のときに、2人の仲間とともに「かものはしプロジェクト」を創業。 2009年カンボジアに渡る。2018年、NPO法人SALASUSUとして、カンボジアの事業とともに独立 #教育 #ものづくり #NPO経営 #海外
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