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『論語と算盤』考察27 意志とは

 おばんでがすー(朝読んでいる方は、おはようござりすー)。


 次の一万円札、渋沢栄一の著書『論語と算盤』で、僕が気になったところを考察していきます。現代語訳が出てくる場合は、参考文献を参照しつつ、独自の解釈で訳しています。

 以前の記事で、「常識」の完成形は、

 ・智(知識)
 ・情(思いやり)
 ・意(意志)

 のバランスであることに触れました。

「智、情、意」の三者が権衡を保ち、平等に発達したものが完全の常識だろうと考える。
(『論語と算盤』 常識と習慣 常識とはいかなるものか より)

以前の記事↓

  今回は、「智・情・意」の「意」の考察をしていきます。

「意志」のはたらき

 「意志」は、「知恵」・「思いやり」を統制する役割を果たします。

 動きやすい情を控制するものは、鞏固なる意志の外はない。しかり、意は精神作用中の本源である。鞏固なる意志があれば、人生においては最も強味ある者となる。
(『論語と算盤』 常識と習慣 常識とはいかなるものか より)
 意志の鞏固なるが上に聡明なる智恵を加味し、これを調節する情愛をもってし、この三者を適度に調合したものを大きく発達せしめて行ったのが、初めて完全なる常識となるのである。
(同上)

 意志は、「智恵」、「思いやり」を動かす根源です。
 いわゆる「意志が弱い」と、「智恵」、「思いやり」をうまく働かせることができない、と言えそうです。

 

「意志」の欠点

 「知恵」・「思いやり」と同じく、「意志」だけでは役に立たないどころか、かえって悪い作用をもたらします。

 けれども、徒に意志ばかり強くて、これに他の情も智も伴わなければ、ただ頑固者とか強情者とかいう人物となり、不理窟に自信ばかり強くて、自己の主張が間違っていても、それを矯正しようとはせず、どこ迄も我を押し通すようになる。
(同上) 
 現代の人はよく口癖のように、意志を強く持てというが、意志ばかり強くてもやはり困り者で、俗にいう「猪武者」のような者になっては、如何に意志が強くても、社会にあまり有用の人物とはいえないのである。
(同上)

 ※これ、約100年前の文章です。

 意志の強さだけでは、役に立たないと言い切っています。
強い意志(良い考え方)を持った上で、自分の智恵や思いやりの心を活かす。これが、渋沢栄一的な「完全な常識」の形です。

 ちなみに、この「智・情・意」の一つだけ飛び抜けて、偉業をなす人もいます。
 それは、渋沢栄一的にいうと「偉き人」です。それに対して、ここでいう「完全な常識」を持った人は、「全き人」と言います。 
 この「偉き人」と「全き人」はまた別の機会に取り上げます。

 

んでまず。おみょうぬづ(それでは、また明日)。

 

参考文献


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『論語と算盤』考察第1回目は↓

自己紹介記事は↓

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