見出し画像

ネガティブな自己開示が意識の変容と行動を促すということ

相変わらず自分と向き合う時間や、自分の話を聴いてくれた方との対話の中で色んな気づきと出会うことができています。
時間をいただけていることにただただ感謝なのと、気づいたことを頭の中だけに留めておかずに今日も書き起こしておきたいと思います。

今日は「ネガティブな自己開示が変容と行動を促す」ということですが、皆さんは過去に苦い思いやトラウマ的な体験ってありませんか?
きっと大なり小なり、幼少期から思春期、社会人になっても幅広い体験の中で存在していると思います。

もちろん私も失敗や後悔、恥ずかしいことから後ろめたいことなど、色んな出来事がありました。
過去は事実として変わりようがありませんが、時間が経つことで冷静にその時の自分の感情や周囲の状況を捉えられるようになることや、当時の出来事をその人ができる形で周囲に伝えられるようになることで、自分の中で意識と行動に変化が生まれたことに気づきました。

時間が経ったから気付くことができた

以前も投稿したこちらのnoteでも書いていますが、過去に同級生が亡くなった出来事がありました。

やっぱり亡くなった当時は周囲に自分がどんな感情を持っているのかも捉えられていなかったですし、持っていた感情を周囲に伝えることもできず、自分の中で解決しようもただただ消化不良な状態でしんどい時期だったなと思い出します。
それから5年から10年くらい時間が経ったときに何か自分の中で変化があり、「実はこんな出来事が過去にあってね、それからこんなことは大切にしたいと思ってるんだよね。」ということを伝えられるように徐々になりました。

この時、なぜ話せるようになったかというのは、「どうやらこの場では自分の過去の出来事を安心して話せそうだぞ。」ということを感じ取っていたんだと思います。ゆえに全ての場や機会で話そうとは思ってなく、少人数での会話や、互いへの理解がある状況たから話せていたんだと思います。

そして周囲にこの出来事を伝えられるようになったことで、当時のことを消化できなかった自分が前向きに物事を捉えられるようになったり、未来に向けた行動のエネルギーや行動の至る根拠の一つ(なぜそれをやるんだい?という問いに対する答え)にもなりました。

『自分のこと』と『他人のこと』

また同時に気づいたことの一つに、あくまでも変えられることは自分の考え方や価値観、自らが起こそうとする行動だけで、他者が考えていることや行動そのものを変えようと他者に影響を与えようとすることは逆効果だと感じることがありました。

自分の中にあるもやっとしたものが、時間の経過で解決できたとしても、『私』が主語にならないものは自分が考えることから手放して、『私』が主語になるものに向き合うことから少しずつ苦手意識の変容や出来なかったことができるようになっていくと感じています。

開き直りと自己開示の違い

加えて周囲に過去の出来事を伝えるときに、開き直ることと自己開示は別物だと捉えています。
開き直って「これでいいや」と表すことは、ある意味過去に立ち止まっていると感じることと、周囲に出来事を自己開示することは、「だからこれからはこうしようと思う。」という未来の行動を変えようとする意識あることには大きな違いがあると思います。

私にとって生まれ育った地元に対する印象は、正直いい思い出が残ってないことからネガティブな面がとても多い状況でした。
ただそれは「これでいいや」と過去をそのままにしていた自分の捉え方の問題で、過去こんな出来事があった話とともに、大切にしていたことも含めて伝えられる機会をこの数日でいただけたことから、捉え方がガラッと変わった状況になりました。

過去の失敗や思い出したくないような苦い思い出には、自分が大切にしようとしていた何かが眠っていると思います。
なかなか1人で自分に向き合うことや、ショッキングな出来事から時間がたたない中でそれを扱うことはしんどさを強く感じると思うので、心に余裕を持って取り組んでみるといいのかもしれません。

画像1

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
気に入ったよ!よかったよ!という方はリアクションしてもらえると嬉しいです!
ちょっと何か話してみたいなという方は気軽にコメントしてみてくださいね。

Special thanks!!
Takuya Furubayashi, Yumiko Ando, Sho Tachibana

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?