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「文化的な暮らし」を考察する。

===この記事は2017年12月3日のブログ記事を再編集しています。===

2017年11月25~26日に弾丸で伺うことができた宮崎県高千穂町の夜神楽。

そこでかれこれ5,6年お世話になっている方がおっしゃられていた、
「夜神楽を続けるということは村の文化を村に残すということ。」
「ゆえに村に文化に基づいた暮らしを残す。」
という言葉が頭の中からついて離れない日々がちょっと続いています。

 文化って何だ?大切なことなのか?
どこからやってきて、どこに行くのか。
それを残す意思が社会の未来を維持することになるのか?
と感じることがあったので言葉にしてみました。

100人いれば70人は高齢者という集落のお話

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この時夜神楽に伺った集落は、宮崎県の中山間地域でも屈指の奥地で、町の中心街から車で3,40分もかかり、道はこの集落で行き止まりになっている場所でした。

その昔、平家の落人が九州山地を逃げ延びたときに住み着いたとされる集落で、源氏性がが多い高千穂町で唯一兵形成が多い場所で、昭和中期には鉱山で栄えた場所でもあったそうです。

 一見、アクセスも悪く、高齢者が多い話を聞いただけでは、村の未来にあまり明るい印象を持たない方が多いかもしれないです。でもこの集落はそんなことはないんです。
この集落では、10年ほど前から、自分たちがどのような状況に置かれているかを認識して、自分たちの足元にあるもので何ができるのか?ということに答えを出して行動されていました。

ゆえに、当時立ち上がった協議会は、株式会社となり、事業規模も数千万規模と今では従業員を複数人雇用されている規模の会社となっているそうです。

果たして”文化的”って何だろうか?

某SFロボットアニメで「文化を持たない種族が、、」というくだりが出てきますが、文化(≠伝統)を持たない暮らしが将来的にどこに向かい、どういった結末を迎えるのかはとても関心があります。(現実世界で例えるなら、AIに文化は宿るのか?ということも気になってしまいます。)

そもそも、日々の暮らしのなかで文化的なものは存在するのか?
そもそも、文化的なものは何なのか?
そもそも、私たちにとっての文化はどこから来たのか? 

個人的な仮説は、昔からつづく祭事(まつりごと)にヒントがあると思っています。今回の夜神楽も構成してる音楽や舞踏が起点となり、今の私たちの暮らしに結び付く文化が存在するのではないかと感じています。

ちょっと昔に描かれたSF作品が現実になる未来というか、昔書かれたSF作品が現実として実現しているものがあると思うと、いろいろな意味で今描かれようとしている未来は、けっして実現できないものではない≒どんなことでも実現できるとも感じています。

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今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!
あなたは、どんな未来を選択したいですか?
さて、今日はこの辺で。

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