芥川龍之介と『今昔物語』のこと

芥川龍之介の小説「羅生門」は、『今昔物語』の「巻第二十九 本朝付悪行」にある「羅城門の上層に登りて死人を見たる盗人の語 第十八」に取材した作品である。『今昔』の「羅城門の死人」(略題、以下同じ)では、「盗人、死人の着たる衣と、嫗の着たる衣と、抜取てある髪とを奪取て、下走て逃て去にけり」と結ぶのみだが、芥川はその「下人の心には、ある勇気が生まれて来た」ので、もはや「饑死(うえじに)をするか盗人になるかに、迷わなかった」と、生きることの深奥を抉り出してみせる。

つづいて新進作家として注目された作品「鼻」は「巻第二十八 本朝付世俗」の「池の尾の禅珍内供の鼻の語 第二十」から材をえた作品である。小説「鼻」の主人公が、仏典の中に「自分と同じような鼻のある人物を見出して、せめても幾分の心やりをしよう」と思うくだりで、芥川が記述する人物は、釈迦の二大弟子、神通第一とされる「目連」と智慧第一と称される「舎利弗」であり、それに釈迦滅後の「龍樹」や「馬鳴」、すなわち優れた大乗論師である。しかも、内供は「法華経書写の功を積んだ」としている。

これは『今昔物語』に由来する叙述なのか、あらためて「禅珍内供の鼻」に確かめると、内供は「真言など吉く習て」とあるのを、芥川はとらないばかりか、なぜか「法華経書写の功を積む」としている。目連、舎利弗、龍樹、馬鳴も『今昔』には見えず、芥川が出した人物である。とすれば、何故にそうしたのか、その所以を紐解く手立てはないだろうか。『今昔物語』の「仏法の部にも多少の興味を感じて」いた芥川は、仏典に説かれる「修羅、我鬼、地獄、畜生等の世界はいつも現世の外にあったのではない」(「『今昔物語』鑑賞」)と感知していた。とすれば、「蜘蛛の糸」も「あの世」の話でなく、「現世」のこととする寓話的短編ということか。

短編「芋粥」は「巻第二十六 本朝付宿報」の「利仁の将軍若き時、京より敦賀に五位を将(い)て行きたる語 第十七」にもとづく作品である。『今昔』では、「何かで暑預粥(いもかゆ)に飽かん」と望んでいた五位侍が、利仁の将軍に敦賀へ招かれ、芋粥を「飽にたり」と言うほど馳走される。そればかりか装束から馬や牛に至るまで「皆得、富て上(のぼり)にけり」というので、「実に、所に付て年来(としごろ)に成て被免(ゆるされ)たる者は、此(かか)る事なん自然(おのずか)ら有ける」、メデタシメデタシとなる。

ところが、芥川の小説「芋粥」では、利仁の邸宅に山のように積み上げられた山の芋が、釜の中で芋粥になるのを目の当たりにして、五位は胸がつかえ「一椀も吸いたくない」という状態に追い込まれる。多くの侍たちに愚弄され、京童にさえ蔑まれてきた五位であったが、同時に「芋粥に飽きたいという欲望を、ただ一人大事に守っていた、幸福な彼」を、今更ながら「なつかしく、心の中でふり返った」のである。すなわち、「修羅、我鬼、地獄、畜生等の世界はいつも現世の外にあったのではない」(前同)ばかりか、そこに真実の生きる歓びもあるというのだ。

換言すれば、「人間は、時として、充たされるか充たされないか、わからない欲望のために、一生を捧げてしまう。その愚を哂(わら)う者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない」のである。「路傍の人」に真実の幸福は味わえない。ましてや、藤原利仁、すなわち権力者のもとにあれば、その「意志に、支配される範囲が広いだけに、その意志の中に包容される自分の意志も、それだけ自由が利くようになったことを、心強く感じるだけである」と見抜いて、「ーー阿諛は、恐らく、こういう時に、もっとも自然に生まれて来るもの」と、肝に銘じて忘れてはならない。それが芥川の人生観的思想であった。

なお、『今昔物語』に由来する、このほかの芥川作品をあげれば、次のとおりである。
「運」……16巻33話「盗賊の妻」
「六の宮の姫君」……19巻5話「六の宮姫君」、26巻19話「産時の予言」
「往生絵巻」……19巻14話「讃岐の源大夫」
「偸盗」……29巻3話「人知れぬ女盗賊」
「藪の中」……29巻23話「大江山の事件」
「好色」……30巻1話「平仲と女」

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