芥川竜之介「手巾」と新渡戸稲造の武士道

芥川竜之介『大導寺信輔の半生・手巾・湖南の扇 他十二篇』(岩波文庫)は、中村真一郎の「解説」によると、「芥川竜之介の自伝的作品及び現代社会に題材をとったものを精選」し、「一般に広く伝えられている『芥川竜之介像』に対して、反対の傾向の小説ばかりが並んでいる」のであれば、いかなる芥川龍之介像が浮かび上がってくるのか。コロナ禍を避けて巣ごもりが続くので、時間を惜しまずゆっくり愉しみたい。

「手巾(ハンケチ)」は、新渡戸稲造がモデルだろうか。殖民政策の研究を専門とする東京帝国法科大学教授で、高等専門学校の校長を兼ねているばかりか、日本の文明の精神的な「堕落を救済する途を講ずるのには、……日本固有の武士道による外はないと論断した」うえで、「自ら東西両洋の間に横たわる橋梁になろう」と志し、しかも令名の高い教育家でもあった、と言えば、新渡戸稲造を思い浮かべないわけにはいかない。

なぜ新渡戸稲造なのかは措くとして、その「先生」の教え子が亡くなり、挨拶に来訪した母親は、顔でこそ笑っていたが、「膝の上の手巾を、両手で裂かないばかりに堅く、握っているのに気が」つく。その時初めて、婦人は「実はさっきから、全身で泣いていた」のだと知って、「先生」は心を打たれるのである。

その後、読みかけのストリントベルクの『作劇術(ドラマトゥルギイ)』に「顔は微笑していながら、手は手巾を二つに裂くという、二重の演技であった」という一節に目を落としながら受け取った暗示に、「先生」の心をみだそうとする何ものかがあった。つづけて「武士道と、そうしてその型(マニイル)とーー」と記しているが、果たして芥川はここで何を問うているのだろうか。文章の巧智に感嘆するばかりで、凡人にはなかなか読み取り難い。

叙述の方法をみると、新渡戸稲造らしき「先生」を主人公にした作品であって、「自分」はそれを書く人としてちょっと顔を覗かせるだけである。「毛利先生」という作品になると、友人の批評家が話してくれた追憶談を、筆者(私)が叙述するという構成になっていて、主人公は「私」ではない。同じように、実践倫理学の講義に招かれ、その滞在先の別荘に現われた見知らぬ男から聞かされた「或悲惨な出来事の顛末」を纏めたのが「疑惑」であり、主人公はやはり「私」ではない。これは初期の芥川文学から散見される、一つの技法的特徴のようである。

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