20歳で見つめる自分史⑧【高校水泳部編】

今回は、高校で水泳部だったころの話について振り返ります。

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水泳のいいところ

水泳のいいところはいくつもあると思うんだけど、高校時代に感じた一番のメリットは「自分の泳力がタイムに如実に表れる」ところだと思う。

僕の場合、入部当時から最後の大会までに100mバタフライのタイムが14秒くらい縮まったんだけど、その変化を見たら一目で自分の成長を実感できてすごくうれしい。ここがタイム競技の本当にいいところだと思う。

部長任命してもらう

高2の夏、先輩たちが引退して、僕らの代になったんだけどその時、僕が部長に指名された。正直他の人が部長になるだろうと思っていたので、びっくりしたけど、信頼を置いてもらった、と感じてすごくうれしかった。

先代、先々代の部長が二人とも僕にとってあこがれの存在だった。泳力があって、真面目に練習して、部員をまとめて、頼りになる人たちだったので。

今度は自分がその人達と一緒のポジになったので、変に気負いすぎたかもしれない。「部長なら仕事して当然!」みたいな。

その結果どうなったかというと、部の仕事のほとんどを僕がやり、副部長や周りの同期に仕事を振ることをしなかった。というより「仕事を振る」という概念すら頭になかったのではないかと思うほどに(笑)。それで引退の時に副部長二人に言われたのは「全然、仕事回してくれなったよな」という一言だった。

僕ってやっぱり責任感を感じやすい質なのだろうか。これはポジティブな性質であって恥じるべきものじゃないと今は思えるんだけど。水泳部部長としての失敗は「仕事を振る」という仕事内容を把握してなかった事であり、決して責任感が強かった事が原因ではないと思う。

あと、あまり人に頼らないで全部自分でやろうとしちゃうところが作用した感じがする。確かに短期的に見たら、ひとりでやった方が早いし確実なんだけど、何か大きなことに取り組むときは自分の力だけでは限界があると思うので他の人に頼ることも覚えていきたいと思います。

自分が頼った分以上に、相手に何かしてあげられる人になりたい。

つまり愛です。(笑)

ライバルの存在

同期で僕と同じバタフライの選手がいて彼が僕のライバルだった。

初めは僕の方が早かったんだけども、彼も実力をつけてきて、2年の夏ごろにはいい勝負をするようになっていた。僕は彼よりも練習に真剣に取り組んで、自主練もしてた自負があったので、追いつかれたことが解せなかった。

彼がいたから負けん気を発揮することができ、最後の大会まで気を抜くことなく練習に取り組むことができたので良かった。ある意味、彼の存在がレバレッジになっていたんだろうな~(笑)。あと「部長だから他の人よりも頑張らないといけない」という思いで頑張れたところもあると思うけど。

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あんまり振り返れなかったけど、僕は人に仕事を振る立ち位置の人間ではないのかもしれない、という事が分かった。それよりもだれかのサポートをしながら引っ張るイメージ、陰から発揮するリーダーシップとでもいうのか(笑)。

あと環境の大切さ。競い合う人がいるというだけで、自分ひとりでは行けないところまで行けたのかな。うん、確かに水泳って九割五分が個人競技だから、わざわざ部活でやる意義は何だろうか?みたいなことを考えたこともあったけど、やっぱりそこも大きいんだろうな~。

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