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読書記スクラップ[震災・災害]06_地震の日本史

06「地震の日本史-大地は何を語るのか」寒川旭

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引き続き、災害史を紐解いている。
それで、この日本の地震史に関する本を。

著者は地震考古学の専門とのこと。
日本各地の遺跡の中でみられる、断層、地割れ、地滑り、液状化現象などの痕跡を追い、当時の地震の年代などを割り出している。
液状化の跡、遺物の歪みやズレなどが写真で登場するが、素人目にもわかりやすいものだった。

本書は、縄文時代から現代に至るまでの日本の地震が年代順に編まれている。
上記のように遺跡から読み取れるものや、文献(史料)に残されているものから、「いつの時代も」地震と付き合ってきた日本の姿が浮かぶ。

例えば、応仁の乱の頃の記録には
「けさぢしん ぎうぎうしう ゆる」
などと記されているとか。

また、幾つもの興味深いエピソードも紹介されている。

・伏見地震で九死に一生を得る秀吉と加藤清正のいち早い「駆けつけ」。(のちに通称「地震加藤」という歌舞伎の演目になる)
・慶長地震とビスカイノの船の話。
・東海道中の旅中で元禄地震に遭った京都下鴨神社の祠官梨木の記録や、仙台で相撲の興行中で象潟地震を記録した雷電爲右エ門の話。
・稲むらの火と築堤。ラフカディオ・ハーンによるその紹介。

そして、日光地震(天和3年・1683年)と五十里宿・五十里ダムの話も書かれている。
地震による崩落・河川塞き止めで五十里湖が発生。これを解消すべく業者が請負い7,000名を動員するも上手くいかず、切腹。
皮肉なことに、断念したその年に雨が降り続き崩壊。下流(鬼怒川流域)で氾濫が起きる。
自然災害に翻弄された人々の姿がここにもみて取れる。

近代になると、やはり関東大震災だろう。
昼時と重なった火災の凄まじさを感じる。(被服工廠跡のエピソードは何度聞いても慣れることなどない)
興味深いのは、近代化したインフラが災害時にマイナスに働いてしまったということ。
これは、井戸を廃して水道に切り替えたことで、消火活動が十分にできなかったという点でだ。
今に置き換えると、電気やインターネット、電子マネーあたりはそのリスクは高そうだ。
都市化と災害リスクの複合化(二次災害など)がうかがえる。

終章とあとがきでの筆者の言葉を引用したい

日本の歴史を振り返ると、この国が絶え間なく大きな地震に見舞われ続けたことがわかる。
首都圏を灰燼と化した関東大震災は日本の進路に大きな影響を与え、天正地震では城と城下町が土石流に埋まって姿を消した。
100年余りの間隔で繰り返す南海地震や東海地震について、正平は南北朝の争乱、明応は戦国時代の始まり、慶長は天下統一、宝永は幕府の衰退、安政は開国と江戸幕府の終焉、そして、昭和は太平洋戦争の終わりと、日本の歴史が移り変わるサイクルと一致し、それぞれの時代ごとに大きな影響を与えている。
それにしても、私たちの祖先たちは、なんという多くの地震に悩まされてきたことであろうか。
だが、地震がなければ、日本という島々が存在しないこともまた事実である。プレートの運動がこの列島を形成し、活断層が起伏に富んだ美しい地形を造り、地盤運動で沈降し続ける広い空間に砂や粘土が堆積して東京・大阪・名古屋などの大都会が発達した。
私たちの生活の基盤は地殻運動に支えられているのだが、地震が起きてしまえば、尊い命が奪われ、多くの人たちが悲惨な目に会う。
私たちの国で暮らし続けるためには、地震との共存は避けて通れない。このためには、過去の地震から多くの知識と教訓を得ることが大切である。さまざまな時代に起きた地震が、どんな地震だったかを知る手がかりとして、本書が少しでも役立てば幸いである。

本来は4回くらいに分けて本書の内容をもっと細かくご紹介したいくらいなのだが、この辺で。
ぜひ、手にとってみて欲しい。

最後にもう一つだけ印象的なエピソードを。
平安後期、鴨長明は京都で大きな地震にあい、「方丈記」の中で

「恐れのなかに、恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ覚え侍りしか」

と嘆いている。
月日が経つと、地震の恐ろしさなど口にしてうわさをする人さえなくなった、と。
800年以上も前の話だ。



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