理解力よりも、さらに大切な上位概念

note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。


 読解力というのは何かというのは難しい問題で、説明的な文章や論理的な文章だったら、確かに読解力を定義できるような気もするけれども、文学的な文章だとそんなに簡単に定義できるとは思えない。

 ある小説を読んでいて、それが理解できるというのはどういう意味か、私にはよくわからない。

 小説の作者自身にだって、なぜそのような小説を書いているのか、理解できているとは思えない。

 哲学的な文章もそうで、哲学で議論されている時間や空間、真理、意識とかいった概念を、そもそも理解している人が人類の中にいるのかということ自体が怪しいし、そのような前提でものを考えるべきではないような気がする。

 だから、文章の理解力というものは、限定された文脈の中でしか扱えないものだと思っている。

 だから、私は、他人に対して、理解力を云々することが比較的少ない。

 理解力よりも、さらに大切な上位概念があるように思っている。

 それは、どう感じるか、どう人生の中で動くかということかもしれない。
 
 ゲーテが、ナポレオンのことを、「行動の天才」と言ったことの意味が、案外深いものであるように感じている。

とりあえずこうやってメモしておきます。

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脳科学者。作家。ブロードキャスター。
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