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憧れの人と同じ場所に

小学校5年生のときに千葉県から佐賀県に引っ越した。


中学に入学するとクラスのお笑い担当のような存在になり人気者になった。
 

そして、
ダウンタウンの漫才をテレビで見て芸人を志すようになり、
「松本人志の前で漫才をする」ことが目標になった。


高校まで佐賀県で過ごし、
大学進学を機に上京した。

 

大学では落語研究会に所属。
大学対抗「冗談リーグ」では
4年連続で全国1位になった。



大学を卒業後に現在の相方とコンビを組んだ。

相方の母親が所属していたことが縁で
マセキ芸能社に所属。



M-1グランプリに第1回から出場するが、
初めてのM-1では2回戦敗退。
以降は5年連続で3回戦敗退となかなか芽が出なかった。


しかし、腐ることはなく、
都内の集会所を自腹で借り、
ネタを披露していた。


そして、8回目のM-1グランプリに
今の漫才スタイルで出場。

初めて決勝に進出すると共に「松本人志の前で漫才をする」という中学時代に描いた夢を叶えた。


これをきっかけに、
バラエティ番組への出演も増え、
M-1グランプリでは決勝進出の常連になった。


また、2018年にはM-1グランプリ決勝の審査員も務めた。
(もちろん、この審査員の中には松本人志も含まれている)


漫才協会の副会長に就任。
漫才に関する書籍も出版するなど、
漫才界ではトップクラスの存在感を放っている。

 
 
 
 
彼の名前は、

 
 
 
 
塙宣之(ナイツ)

以上、「憧れの人と同じ場所に」でした。

※この記事は彼の半生の極一部を抜粋して書いたものです。

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