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パイロットとCAの間に生まれた子の話


彼の父親はパイロット、母親は客室乗務員。
小学校の頃は、
両親の仕事の都合でアメリカに住んでいた。

そのため現在も日常会話程度であれば英語を話すことができる。


小学校5年生のときに日本に帰国。
千葉県で新しい生活が始まった。

有名中学を受験したが残念ながら不合格。
公立の中学に進学した。


高校は工業高校の機械科に合格したが、
1年も経たないうちに中退。
定時制の高校に入り直し、卒業。

高校生活は合計で5年近くになった。

彼はこの5年間を
「いろいろ模索していた時代」
と後に振り返っており、
髪型をリーゼントにしてみたり、
若者がかけないようなディアドロップ型のサングラスをかけたりしていたそうだ。

高校1年時には
「天才・たけしの元気が出るテレビ」のコーナー「お笑い甲子園」に友人とコンビを組んで出場。
これも模索の一種だったのかもしれないが、現在に至るまでの第一歩になった。


その後、本格的に芸能界入り。


最初はコンビを組んで活動していたが解散。

ピン芸人として活躍を始めたが、
芸名も決まっておらず一般公募することになった。

「カツカレー」
という芸名に決まったものの事務所から却下。

続いて、
「波打際立夫(なみうちぎわたちお)」
という芸名にするがこれも却下。

次に、
ロバート・デ・ニーロが好きだからと言う理由で、「炉端出二郎(ろばたでにろう)」にするがこれも却下された。



上記のように、
芸名が決まるまでに時間がかかったが、元々は有名中学を受験もするほど成績優秀。


バラエティを中心に仕事は着実に増えた。
 
活動を続けるうちに、
お笑いだけでなくそれ以外の分野でも才能を発揮。

小説家としてデビューし100万部を超える大ヒットを記録した。
この作品は後に映画化もされた。

2作目の小説が映画化された際には、
自身で監督を務め、役者として出演も果たした。

 
その後は、
民放ドラマで初主演、NHKの連続テレビ小説や大河ドラマにも出演した。


プライベートでは女性タレントと結婚
3人の子供を授かった。


現在もマルチな才能を発揮し、多ジャンルで活躍している。

 
 

彼の名前は、

 
 
 

劇団ひとり

以上、「パイロットとCAの間に生まれた子の話」でした。

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