I'm losing more than I'll ever have

ライブ前のスタジオはいつもと違う場所で、店長は以前何度か対バンした人だった。覚えていてくれた。新しくバンドを始めたんですよ。と会話をする。ロビーで会った人も以前よく対バンしていた人だった。またグッドマンかどこかで会いましょうと会話をする。

対バンのsoukのドラムはエダクニさんで、昔エミリーとおまわりさんでだろうか、対バンしたしボーカルの方もお互い別のバンドで対バンしたことがあった。AnisakisもCompact Clubで何度か対バンした。突段のこのみいるさんもソロの頃対バンした記憶がある(このみいると殺生に絶望のアルバムは名盤)。

紆余曲折を経て、それでもみんなバンドを続けてるんだな。時間は平等で残酷だしここ10年くらいで本当にたくさんのものを失った気もするけど、それでも楽しくて続けている。

以前バンドを一緒にやっていた友人が観に来てくれた。「最近釣りとキャンプばっかりですね」「もうちょいしたらそば打ち始めそう」なんて軽口を叩きながら、彼もまたバンドを続けている。

よい日だった。人もたくさんいて、往時のライブハウスを思い出した。もっといいライブをしたいし出来ると思った。


終演後、一人の男性に突然出身大学を訊かれた。変な質問だなと思いながらも答えると男性は続けた「橋本ってわかります?」

頭の中にある記憶のページがブワーっと15年近くめくられる音がした。

「僕、橋本の地元の友達の…」

「え、もしかして、庶民さん!?」


18歳だった。大学に入ってすぐ、軽音楽部の門を叩くと陰気なオーラを放つ男前がいた。それが橋本君だった。お互い会うとぼそぼそとしか話さないのにmixi上では雄弁だった。

橋本君はメタルのコピバンが隆盛を極める軽音学部の新歓ライブを観て「軽音は体育会系の自己満のカスの集まり」と綴り、派手に炎上した。新入生の顔見せライブでコピーバンドが続き終盤に入り、橋本君のバンドの出番になった。橋本君は頭脳警察っぽいオリジナル曲を披露した。めちゃくちゃかっこよかったが上級生に目をつけられていたので怒号とステージに物が飛び交った。酷い有様だった。しかも関係ないボーカルが件の日記を書いた張本人と勘違いされていた。私がそのあと遅いダイナソーJrみたいなオリジナル曲をやった時も「その仲間」扱いだったのか物が飛び交った。最悪な気分だった。

部屋の隅の方で虚脱感に襲われていると橋本君が近づいてきて「…同志」と右手を差し出した。グミチョコかと思った。嬉しかった。橋本君は「こんなくだらないところ、さっさと抜け出そうぜ」と言った。めちゃくちゃかっこよかった。その後私たちはオリジナル曲中心のロック研究会に籍を移し、まぁまぁ日の当たらない青春を送った。

そんな橋本君の地元の友達で共に上京(私や橋本君は横浜だったが)してきて、友人として紹介されたのが庶民さんだった。15年ぶりとかそれくらいなんじゃないか。むしろよく自分のことをわかったな…。「確か、物見遊山で秋葉原のメイドカフェに行きましたよね?」「そうそう、武田君と4人で」部屋の片隅で埃をかぶっていた記憶がいっぺんに呼び起される。メイドに「ご主人様顔色が悪いけど大丈夫ですか?」と訊かれて橋本君が「先天的なもので…」と答えたこと、庶民さんは当時ハットをよくかぶっていてガレージが好きだったこと、会ったのは数回だったけど時折mixiで会話をしていたこと、ゴーゴルボールデロの話をしたこと。はっきり言って私の記憶力もまた異常かも知れない。

俄かに信じがたい。お互い「何でここに?」状態だ。でも形は違えど庶民さんはDJを続けていて、私はバンドは変われど、未だにバンドをやっている。それが無性に嬉しかった。

橋本君、元気かなぁ。会いたいなぁ。会っても多分お互い下向いてぼそぼそ近況報告するくらいなんだろうなぁ。あれ、橋本君のmixiネーム何だっけ?あ、思い出した。アディオス仮面だ。ダサ…!いや、待てよ、わたしのmixiネームは…やさしいバイエル…(その前はルー・バー郎)。

勝手に思い出して勝手に赤面した。

あと橋本君は一切関係ないが面識のないマイミクの女性がよく「面白い文章ですね」と褒めてくれていたがアップした写真に写った私を見て「そんな顔だと思いませんでした」と勝手に幻滅されて釈然としなかったことも突然思い出した。

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