ウェルビーイングの測定法について

石川善樹

Well-beingを測定する

「国連の幸福度ランキングで、日本は58位だった」
そんなニュースが毎年3月下旬になると流れてくる。なぜなら3月20日が「国際幸福デー」と設定されており、国連はその時期に合わせて「World Happiness Report(世界幸福度報告)」なるレポートを2012年から毎年発行しているからだ(ちなみに一般向けに分かりやすい用語として「幸福」が使われているが、実際は各国の「ウェルビーイング」に関するレポートとなっている)。

この手のニュースを目にすると「やはり日本は低いのか・・・」と暗澹たる気持ちにさせられるが、少し待ってほしい。そもそも一体どこの誰が「日本人の幸福度」を測定しているのか? さらにその「幸福」とやらはいつの間に定義されていたのだろうか? 言うまでもなく、本来注目すべきはランキングではなく、ウェルビーイングの定義である。もしその定義が日本人にとって納得のいくものでなければ、ランキングは何の価値も持たない。
気の早い読者のために、先に結論から述べよう。実際にウェルビーイングの調査項目を設計したジム・ハーター氏(ギャラップ社、Chief Scientist of Workplace Management and Well-Being)は次のように述べている。

「ウェルビーイングの調査項目では、“体験”と“評価”の2つを尋ねています(図1参照)。体験は5つのポジティブ体験と5つのネガティブ体験を調査前日に経験したかどうか、評価は自分の人生を10段階で判断してもらっています。」

スクリーンショット 2020-01-15 11.36.38

・・・といわれても、いったいなぜウェルビーイングがこのように測定されているのか、疑問に思う読者がほとんどだろう。それを理解するにも、少しだけウェルビーイング研究の歴史を振り返ることにしよう。

幸福とは何か?

人類は何千年にもわたり、「幸福とは何か?」といった議論に明け暮れてきた。とりわけ宗教や哲学は、その種の議論に熱心であったと言えよう。その一方で、科学者が幸福を研究の射程に捉え始めたのはようやく20世紀になってからと、だいぶ遅い。

学問は「問い」から「学ぶ」と書くように、どのような問いを設定するかが極めて重要となる。そして科学者が幸福を研究するにあたり設定した問いは、次のようなものだった。

「幸せだと言っている人は、どのような特徴を持った人たちか?」

これはとても上手い問いだと思う。なぜなら科学者は、「幸福とは何か?」という問いに直接取り組むことをある意味放棄したからである。それよりも「幸福だと言っている人がいる」という現象に着目して探求するという方針を立てたのだ。

歴史は短いものの、数十年にわたる研究の中でいくつものブレイクスルーがあったのだが、先に紹介したウェルビーイングの定義に関連するところだけ述べると以下のようになる。

1)「ポジティブ体験」と「ネガティブ体験」は異なる概念

これは簡単に言えば、ネガティブ体験がないということと、ポジティブ体験があるということは、どうも全く別物であるということだ。そのため、いくらネガティブ体験を減らしても、その結果自然とポジティブ体験が増えるわけではない。

2)「体験」と「評価」は異なる概念

これはジム・ハーター氏とともに、ウェルビーイングの設問設計に携わったダニエル・カーネマン教授(心理学者、2002年にノーベル経済学賞を受賞)の研究でよく知られているのだが、人は偏った体験をベースに評価を下す傾向がある。たとえば、とても楽しいデートで1日ポジティブだったとしても、最後に喧嘩をするなどのネガティブ体験があれば、その日のデートは最悪だったと「評価」されるだろう。

以上のような背景があり、現在ウェルビーイングは「体験(ポジティブ/ネガティブ)」と「評価」について尋ねているわけだ。

そして2005年より、世界最大の世論調査会社であるギャラップ社によって世界各国のウェルビーイングが測定されている(調査は1か国につき約1000人、およそ160か国を対象に行われている)。このデータを活用して国際連合は2012年より「World Happiness Report(世界幸福度報告)」を発行するようになったというわけだ。

どのような発見があったのか?

さて、ここからは話題を変えて、ウェルビーイングに関するデータを取り始めたことにより、これまでどのような発見があったのか、いくつかご紹介したいと思う。まず単純なランキングでいえば、地域別に次のような傾向が見られている。

人生の評価が高い国 → 北欧

ポジティブ体験が多い国 → 中南米

ネガティブ体験が少ない国 → 東アジア

最初に言っておかなければならないのは、冒頭で紹介した国連の「幸福度ランキング」は、あくまで「評価」のランキングであるということだ。たとえば日本は、「評価」ではたしかに58位と低いが、日々の生活におけるネガティブ体験の少なさでいえば世界トップ11位に入っている。

スクリーンショット 2020-01-15 11.47.45

いずれにせよ、ギャラップ社の調査によってはじめて明らかになったのは、それが体験であれ評価であれ、「世界各国のウェルビーイングには大きな違いがみられる」という現象だ。そこで研究者たちが次に追いかけた問いは、「経済的な要因(GDPや収入)によってその違いはどれほど説明できるのか?」というものだ。

・・・残念ながら、この問いについて一言で結論を述べられるほど、研究は熟していない。とはいえ一定の知見は得られており、それを端的にまとめると次のようになる。

「経済的要因は、一定程度まで人生の評価や日々の体験に影響するが、ある閾値を超えるとあまり関係しない」

もっとシンプルに言えば、「お金で買えるウェルビーイングには頭打ちがある」ということだ。たとえば、地域別に多少の違いはあるものの、ある一定の収入を超えるとそれ以上ウェルビーイングは高まらないことが知られている(表1参照)。

スクリーンショット 2020-01-15 11.49.54

では、ウェルビーイングを高めるために、お金以外では何が重要となるのか? ジョン・ヘリウェル教授(ブリティッシュコロンビア大学、経済学者)によれば、それは「人とのつながり」であるという。ギャラップ社の調査は実に様々な項目を尋ねているが、その中に次のような質問がある。

「あなたが困った時、助けてくれる親せきや友人はいますか?」

もしこの質問に対して「はい」と答えられるなら、その人のウェルビーイングは高い傾向にある。

当たり前だが、調子がよい時は自然と人が近寄ってくるものだ。しかし苦境に陥った途端、人はさーっといなくなる。実際昔から、「最良の友人は苦しい時に友を見捨てない人である」といわれる。

ちなみにそのような友をもつことは、収入が5倍になるのと同等の影響力があるという。

より妥当なウェルビーイングの定義とは?

良くも悪くも、ウェルビーイングの測定には、ギャラップ社の世界調査が国際標準になっている。しかし、これは妥当だろうか? たとえば、現在の定義に従えば、人生の評価には「ハシゴ」が使われている。この人生を「ハシゴ」に見立てるという考え方は、きわめて西洋的であるように思える。というのも、おそらくその原型は旧約聖書の創世記に登場する「Jacobのハシゴ」にあり、上に行くほど天上に近づくという発想なのだろう。しかし日本には、「幸せすぎて怖い」という発想があり、単にハシゴをのぼることをよしとしてこなかった。実際、先の国連の調査においても、日本人はあまり10点(最高の人生)をつけたがらない傾向にある。むしろ日本人は人生を「振り子」に例えることが多いのではないだろうか。人生には良いことも悪いこともあり、「最高」よりは「ちょうどいい状態」を理想としてきた。同様に、アジアや中東、アフリカではそれぞれ独自の視点で人生を捉えているはずで、それは必ずしも「ハシゴ」のようなものではないだろう。

だが、しかし。いくらそのような批評を繰り返したところで、何も現実は変わらない。結局のところ測定し続け、データを積み重ねることでしか「国際標準」はつくられえない。このまま何もしなければ、永遠に日本人の「人生評価」はハシゴを使って測定され、「日本は世界58位ですね」と烙印を押され続けられるだろう。

とはいえ、まだ間に合う。科学とは、(もしあるなら)真理に対して常に途上の存在だ。ウェルビーイングの測定法について、完璧な定義に到達することはおそらくないであろう。しかし、少なくとも現行の(ギャラップ社による)ウェルビーイングの定義より妥当なものはあるはずだ。もしより良いと思える測定法を思いついたのなら、実際に世界各地でデータを取り、既存の測定法よりも妥当であることを証明する義務が生じるだろう。

そのように痛感した私は、世界各地の仲間とともに、実は2020年度からウェルビーイングの世界調査を始める。その詳細についてはまた機会を改めて述べることにして、本記事はここで筆をおくことにしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?