「 追及か、放置か、どちらが将来の勝ち組なのか?」

龍谷大学保健管理センター 須賀英道

最近テレビを見ていても、「あれこの人誰だった?」と、人名が思い出せないことがよくある。気になり始めるとますます気になる。「この人は?」「この人は?」と、敢えて名前を気にしだす。そして瞬時に思い出せない自分に対して「これでは認知症だな」などと、自虐的になるのである。しかし、元来若い時からテレビなどで目にした俳優名をその場で記銘し、後に想起するという習慣を持っていなかった自分が、今更名前を直ぐに言うことができないのは仕方がないとも言える。「ああ、この人あの人ね」と顔で認知し、「あの番組でお姉さん役だった人だね」と、視覚的状況しか頭に残されなかった。人名を覚えるといった左半球を主に活性化させることにはあまり興味がなかったからかもしれない。確かに、当たり前とは言え、自分の仕事分野に関連した人名は直ぐに想起されるので、一先ず安心ではあるが、、、。

しかし、テレビのクイズ番組が流れ、比較的年齢の高い出演者から人名が瞬時に回答されていると自分の非力さを痛感する。たとえ、裏である程度学習するなどの演出がなされているとしても明らかにその人名記憶の力量に有意差があるのが実感されるのである。そこで、最近自分も「この人は◯◯」「この人は△△」と、俳優の名前を一度その場で暗唱してみることにした。す

ると、別局でのCMで現れた際に、「◯◯さんだ」と名前が想起されるようになった。それはいいとしても、テレビが脳トレになってしまうのは考えものである。やはり程々にしておいたほうがいいだろう。

そもそも「忘れる」ということは、極めて重要な脳の働きであり、忘却することなく全てが記憶されていたら生活に支障が出るのは必至である。最近増えている自閉症スペクトラムの方の中には、忘却が苦手な人が多い。こうしたことはX年Y月号のnature雑誌に掲載されていましたとすんなりと語られると、「凄いですね」と他者から絶大評価を得ることもある。詳細な記憶のもとで出される素晴らしい能力である。しかし一方では、その辛さもよく聞かれる。「X月Y日にAさんが私に◯◯と言った。Bさんもその3ヶ月後に△△と言った。これは明らかに私を侮辱することで怒りがこみ上げる」などと、メンタル的な辛さを話そうとクリニックに訪れるのだが、既に半年以上前のことを語っているのである。その話の内容も極めて詳細で、一言一句、よくそこまで記憶されているのかと言った程に、当方に語られる。その際に言われた言葉が今でも自分の自尊心が損なわれるといった内容の悩みなのである。

ある日、某学校の教員が訪れた。共同研究者からの誹謗・中傷が耐えられない。気になって眠れず、食欲もないと言う。うつ状態に足を突っ込んだ状況であるが、話を聞くとその原因は共同研究者から毎日のように送られるメールのようである。彼は送られるメールをしっかり読み、それに対する自分の考えを書いている。双方のメールを見させてもらったが驚くほど長い。どちらも相手の言い分に対して自分の主張をしているが、明らかに段々感情的な言葉が増えてきている。そして、直接誹謗、中傷する言葉となり、さらに、過去の状況についてもコメントされ、過去の功績を非難、否定するまでになっている。3ヶ月以上のやり取りで疲弊し、当方を訪れたと思われる。

彼はどうしたらいいのかとアドバイスを求めたが、「暫くメールを開かずにそのまま放っておいたらどうですか。そうすれば徐々に忘れていきます」と助言した。原因・理由の追及をせず、忘却が最良の対処法であるということである。彼はそれに対して怪訝な顔をし、それはできないと言う。相手が言ってくることに対して反論をしていかないと、何をされるかもわからない。今は裁判も考えているので、しっかりとした証拠も残さないと、こちらが不利になるというのである。いくら疲れても裁判には絶対に勝つというのが、言い分である。なるほど、その考え方もあるだろう。しかし、既にうつ病の一歩手前まで来ていて、これ以上悪化させないためにも、暫く止めておいたほうがいいというのが精神科医的判断である。過労の時に安静療養を指示することに等しい。こうした医療的判断について説明したのだが、彼は「では、もういいです」とその後は来院しなくなった。一時期、彼も相手に対する非難の吐出口として、来院を利用していたことを思えば、別の吐出口を求めていったのであろう。

こうした患者さんはこれまでも時々あり、「メールを開かない」という指示はよく行った対処法である。そして、その指示を試みた方はほぼ軽快されている。前述したのとほぼ同じケースがある。違いは女性であることだが、頻繁に来るメールを開いて相手の誹謗・中傷への反論を続けているうちにうつ状態に嵌った方である。当初、やはり「メールを開かない」という指示には抵抗がみられた。それは自分が逃げていることで、相手の思う壺だからだという。自分が逃げたということは相手の勝ちであり、自分は相手の主張する自分の欠点・問題点を全て容認したことになる。このような姿を自分で認めるわけにいかない。前例と同じ反論である。

そこで次のように導いた。それは「メールを開かない」ということが、現時点であなたが逃避したと主観的な判断していることで、時間を経てから振り返ってみると別の自己評価が生じますよ。騙されたと思って一度試みてはどうですかと勧めた。1週後、彼女が来た際には指示を試みたようであった。こんなに相手からのメールが溜まっている。これを開けないと気になって仕方がない。相手が何を言ってくるか、何を企んでくるのか心配でたまらないと言う。実際、耐えきれず数日前に一度開いていたようで、相手が「最近返事がないのはどういうことだ。全て自分の要求を通すぞ」と、恐喝するような文章だったと言う。

そこで私が彼女に説明したのは、「返事がないのはどういうことだ」という相手の言葉が既にその意図を表している。相手は、常にあなたの対応を求めてきている。あなたを攻撃の対象とすることで相手の欲求不満の吐出口にしている。あなたはいつも首を相手に晒して、相手に思うままに叩かれに行っている。こうした説明から、急に彼女も思い当たることがあったのか、暫く開かないようにしてみますと言う。だったら、メールが溜まっていくのを実感しないように自動的にゴミ箱に捨てたらどうですかと勧めたが、さすがにそれはできないようで、迷惑メールの方に行くように設定するとのことであった。当時彼女は、不眠、抑うつ気分などが強く、薬も出されていた。

2週後の来院では、驚くほどスッキリした表情をしていた。あれから一度も開いていないと言う。自分でも仕事で他にすべき課題が多く、相手からのメールへの意識も減ってきたようである。本来ならそのまま迷惑メールを全て捨てるのが望ましいのだが、彼女としてはまだ自分が逃避しているという意識があったようで、最近のメール状況を確認したかった。どれほどのメールが蓄積していたのか私の前で開いたのである。すると、2週前まではまだ毎日出されていたが、この1週間は全く来ていない。実際、直接の電話や郵便も来ていない。彼女の方も効果を実感したようである。ただ、これは私が負け、彼が勝ったと、相手が認識したからではないですか?と言う。彼女には、まだメールで相互に交わされた攻撃と反論に勝敗があるという価値判断が残っている。そこで、何が勝負なのかは客観的に何ら示されていない。相手が勝ったと主観的に思っているだけです。メールで言いたいことを相手に勝手に言わせ、自分で勝ったと思わせているあなたの方が上ではないですかと言うと、そういう考え方もあるのですねと頷いた。

その後の来院は1ヶ月後であったが、一度もメールを開いていないと言う。精神的にも安定し、安定剤なども飲んでおらず、睡眠も十分取れている。過去のメールを捨てるべきかどうか迷っていると言うが、そこにはこちらも言及しなかった。既に、状態がよくなっている状況に必要以上の介入はしない。あとは、ご自分の判断で捨てるかどうかを決めればいい。この時点で終了となったが、数カ月後に来院された際は状況報告とアドバイスの提示であった。

先日、学会で直接本人と顔を合わせてしまったらしい。その時、非常に不安で何を攻撃されるか不安でならなかったが、実際は軽い挨拶でそれ以上の言葉はなかったと言う。彼の意識から自分が消えしまったようで、一瞬自分がメールで翻弄されていたようで虚しくなった。やはり、自分は負けたのかと頭に過ぎったのである。彼が勝ったと自分で思い込んでいればそれでいいではないですか。孫悟空のお話のように、あなたの手の上で踊らされて喜んでいるだけの人ですよ。そのような冷静な判断ができるようになられたあなたこそ、本当の「勝者」といえるのではないでしょうか。

世知辛いこの世の中に、決着つけたい事柄は山のようにあるだろう。確かに、そこに白黒つけたい人はいる。そうした事はやりたい人がすればいいことで、皆が同調することはない。ややこしい問題には手を出さず、自分に合ったやりたいことをするのも一法である。ふと、振り返ってみると、あの時ややこしいと思えた問題が、簡単に解決できるようになっていることも、既に解消していることもあるのである。

ペンディングも人生の一手法なのである。

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