続けられるものと続けられないものの違い

今ではnoteに記事を投稿している私だけれども、1年以上前はプログラミングをしていた。
昔からエクセルのVBAを使って会社の中で改善活動をしてきた。
その延長でプログラミングスクールに通い、javascript、pythonを勉強した。
自分でコードを書いて処理が実行される様を見ると、とても満足する。
私の書いたコードはプロには程遠いけれども、自分が作ったものがある、という事実は何ものにも変え難い。
それなのに最近はプログラミングを全くやっていない。
一時期は毎日のように書いていたのに。

なんでプログラミングを続けられなくなったのか。
もちろん仕事で実際に使わないから、というのも理由だけれども、それ以外ではないはずだ。
現にこのnoteは仕事とは全く関係ないけれども、なんだかんだ続けている。
続けられるものと続けられないもの。
この差は一体なんだろうか。

プログラミングは自分の意思で始めた。
あの頃は少し時間に余裕できたから、何かスキルアップできるものがないかと思って、プログラミングを選んだ。
大学時代にプログラミングを学んでいて、この世界ではやっていけないのではと薄々思っていた。
けれども、会社の業務改善でVBAを使って見ると、思いのほか楽しかった。
大学時代のあの違和感は嘘だったのか、と思うくらいに。
プログラミングスクールに通い、講師の方から「綺麗なコードを書く」と褒められもした。
実装したプログラムは、ニュースサイトから情報を収集するものだった。
スクールが終わっても講師の方にアドバイスを求めたりもした。

しかし講師の方は音信不通になる。
それもそのはず。
スクールの契約期間を過ぎても、かつての教え子に時間を割けるほど暇ではない。
ましてや講師の片手間に実際の開発現場も任されているのだから。
自然と私とやりとりがなくなるのは当然のことだった。
私の方も、とりあえずニュースサイトから情報を集めることができたけれども、この先、このプログラミングを続けて何になるのか、わからなくなった。
結果、プログラムの改修は放置され、私はプログラミングをやらなくなった。

一方のnote。
noteも自分の意思で始めた。
キャリアコンサルタントの方と自分がやりたいことを相談した結果だった。
自分の考えや想いを綴っていくこと。
それが私のやりたいことの1つだった。
私の考えを紙に何度も書き出して導き出された答えだった。
私はnoteに記事を書くことをキャリアコンサルタントの方と約束した。
noteだったら誰かしら文章を読んでくれるし、たまに「スキ」を押してくれる。
自分が形にしたものが、誰かの目に止まって、少しでも心が動いてくれたら。
それで十分だった。

プログラミングは続かなかった。
プログラムミングを続けられたのは、プログラミングスクールの講師の方が見てくれていたからだ。
私一人になった途端、私が作ったプログラムは私しか利用しない。
外部のに公開するにはまだまだスキルが必要だった。
さらに、そのプログラムを作り続ける理由が私の中になかった。
だから、プログラミングは続けれられなかった。

けれどもnoteは違う。
noteを書くことはキャリアコンサルタントの方との約束だ。
やめたらその方との約束を破る事になる。
私自身が決めた、自分の考えや想いを綴って形にする、ことを破ることになる。
それはできない。
何よりも、私の拙い文章を読んでくださる方がいる。
その事実が何よりも嬉しい。
誰かが読んでいただける限り、noteを書きたいと思わずにはいれらない。

何かを続けられるか、それとも続けられないか。
それは些細な違いなのかもしれない。
いつも私のnoteを読んでくださっている皆様、ありがとうございます。

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