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聖ニコラウスの日


① リース作り
② ロウソク作り
③ アドヴェントの庭
④ アドヴェントの集い
⑤ 各学年エポック朝時間におけるアドヴェント時間
⑥ セント・ニコラウス、サンタルチア
⑦ アドヴェント・カレンダー
⑧ 季節のテーブル
⑨ 生誕劇
⑩ メサイヤ・コーラス
⑪ クリスマス

2月6日はセント・ニコラウスの日です。ニコラウスは1年中子どもたちがした良いことと悪いことをこっそり見ている聖人です。プレゼントを持って来てくれました

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クリスマスリース

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ニコラウスさんからのプレゼント

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赤い袋にプレゼントが入っています。
サンタクロースより一足先にやってくるのは聖ニコラウス。聖ニコラウスの日は12月6日だが、彼を守護聖人とするフリブールでは毎年12月の最初の土曜日にニコラウス祭が行なわれ、街に聖人一行が空から舞い降りてくるとされている。

カトリックの州であるフリブールでは聖ニコラウス信仰は今も根強い。街の聖堂の名前も聖人にちなんだサン・ニコラ大聖堂。欧州ではゲルマン民族の影響が強かった地域ではその伝統が残ったが、現在ではサンタクロースと混同され眉をひそめる人もいる。

 フリブールで最も盛んな聖ニコラウスの行列はまさに大行事、欠かせない祭りの一つである。毎年、聖ニコラウス一行はサン・ミッシェル学院からサン・ニコラ大聖堂までロバに乗って行き、今年の出来事を振り返る説教をしに来るのだ。それだけではない。悪い子は従者の鞭叩き親父(Pere fouettard)にお仕置きされるのだ。

 毎年、20万人近くの見物人が来るというから、バーゼルのカーニバルやチューリヒの春祭りのゼルセロイテンと同じく、スイスで最も大きな祭りの一つといってもよい。

子供の守護聖人

 聖ニコラウスとはもともと小アジアのミュラの司教で、325年に行なわれたニカイア公会議に出席したとされる歴史上の人物だ。ミュラがイスラム教徒の手に落ちたときに、聖ニコラウスの遺骨がイタリアのバーリに持っていかれ、現在でも聖ニコラウスの名を持つ教会に安置されている。

 彼はいつでも、布教の旅に出ていたため、船乗りの守護聖人となった。フリブールの街の守護聖人になったのもこのためだ。この街から皮や織物を売りに、海に出る船乗りたちが多かったのだ。

 人々に親しまれてきた聖ニコラウスにまつわる伝説は後を尽きない。なかでも、「肉屋に殺され塩漬けにされた3人の子供を生き返らせた」という奇跡を起したため、子供たちの守護聖人となり、何故か、肉屋の守護聖人にまでなってしまったのだ。

 聖ニコラウスの人気の理由を司教区の広報官のニコラ・べティシエ氏はこう説明する。「ニコラウスが民衆に好かれるのはギルドのような共同体、船乗り、家族や子供といった集合体を守ってくれるという、社会的にはっきりした役割を担っているからでしょう」

始めは子供の悪戯から?

 3人の子供たちが生き返った話は眉唾かもしれないが、聖ニコラウスの行列は昔からあったことは信じてもいい。1763年に暴動になったため当局が禁止したという記録が残っているからだ。のちに、1906年にサン・ミッシェル学院の生徒がこのしきたりを再開した。

 「それまでは、寄宿生が聖ニコラウスの日をいつも祝っていたのですが、1906年に生徒の行列は学校の壁を出て、大聖堂まで歩いて行って聖人の真似をして説教をしたのでした」これが大成功を収めたため、年を重ねるごとに人気が高まったという。

 しかし、行列自体ははっきりいって、たいしたことはない。聖人に扮した生徒がロバに乗って聖堂まで行き、説教をする。鼓笛隊の音と灯された松明の光に照らされて、従者の鞭打ち親父たちは道すがら、お菓子(Biscome)とナッツを子供に配りながら歩く。群衆はこの一行を寒いなか(日が暮れないと出発しない)気長に待っている。

 「こんなに人が集まるのは確かに驚きです」と言うのはサン・ミッシェル学院の校長先生のコラ・ルヴゥネ氏。「それでも、聖ニコラウスが子供にかける魔法はすごいものです。ニコラウスの行列が通ったときの子供たちの目の光を見れば分かります。親達は代々、自分たちが味わった感激を子供たちにも伝えたいのです」

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聖ニコラウスさんからの手紙

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