認知症について(続き)

情けない話だが、朝の一件で母親と今日一日相性があわない。

比喩的にいえば、致し方ない人を捕まえて、グイグイ肩を掴んで揺さぶる感じだ。「どうして?どうして反省機能が働かないのか?」と詮無いことを口走りそうになるのだ。いつのまにか自分が悪いことになっている塩梅のやりとりに対して。

この流れは何回か経験しているし、よくない方向だと思っても紛らわすことができない。

もうひとつは、ときおり感ずる、これは八つ当たりそのものなので、本当に憚れることだが、認知症に関して自分なりに想いを綴っても反応があんまりないんじゃないか、ということ。これはSNS依存というか、世間よ見てくれ、この辛さ。とでもいうような依存心やとんでもないナルシシズムが顔を出すことだ。

そのような自己憐憫を一方的に感じたとき、以下のサイトで認知症介護の人たちの介護記録を読んだ。

みんな葛藤を感じている。悪意はなくても親や夫婦の片方の行為や言葉に傷ついてつい反論したりカッとなってしまう。常識の範疇では当たり前のことだけど、家族なだけに、素朴に言えば「大切な人」であるがゆえにあとでひどく後悔してしまう。

やはりある程度まできたら、外部をできるだけ頼るべきなんだなと思う。

自分の母親は柔らかな人だったから、認知症になっても暴れたり攻撃性が前面に出るわけではないが、そういう親でもつい諌めると十倍返しの防衛的な攻撃性や棘のある言葉が返ってくる。それはかつてからの母親を知るだけにいっそう感情を抑えるのにいろいろ、ぐるぐるとくるものがある。

このあたりがメルクマールだな、と気づく潮時だと思う。

部外者を頼っていかないと愛情が憎悪に反転しそうになりそうだ。

その意味で多くの人の認知症介護体験がとても参考になる。多くの先輩の声がいまやっと響いてきた。

そして認知症になった母親にもちろん非はないわけで。悪意もないわけで。むしろ不安で寂しいのだ。とはいえ、母親のそばにずっといるわけにはいかない。だからこれから本格的に山あり谷ありだと思うけど、介護医療関係者を頼っていきたい。

もうひとつは、自分の仕事のための資料が頭に入ってこない。このあたりも抱えきれないという目印だ。


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