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認知症母との日々

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記事一覧

慶應大学助教 木下衆先生インタビュー(後編・2)

当事者の選択能力がなくなったとき

杉本 ところで、一つ先行的に社会学では上野千鶴子さんが根本的で説得力ある話をされてますよね。本人の選択能力がなくなったときどういう形で本人が、たとえば胃ろうをするとか、あるいはそれを選択しないなどの局面もそうですし、施設に入居してもらうかどうか。自分で選択できなくなる、自分の自由選択の意思が機能できなくなったとき、やっぱり家族というものはどうしてもケアに関わらざ

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慶應大学助教 木下衆先生インタビュー 認知症ー介護者と要介護者の関係捉え直しに向けて(後編)

慶應大学助教 木下衆先生インタビュー 認知症ー介護者と要介護者の関係捉え直しに向けて(後編)

(前編からの続き)

介護者の認識の変化

杉本 今までの一連の話を受けて、少し恥ずかしいですが、自分の話をしてもいいですか?

木下 はい、もちろん。

杉本 私も母が要介護認定を受けた年あたりから思ったことなんですけど、私、いろんな意味でひきこもったりした結果、キチンと社会人と言えることはやっておらず、バイトしかしないで来た中で情緒的に受け止めてくれたのが母親だったんですよね。で、80くらいま

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慶應大学助教 木下衆先生インタビュー(前編・2)

歴史的に制度の狭間に落ちていた認知症

杉本 私は1997年くらいに社会福祉士の資格を通信教育とスクーリングで取ったんです。そのときに一人で学び続けるのはなかなか大変だということで、福祉の現場で働いていた人たち数人と勉強会という形で一緒に学んで、その中に施設のソーシャルワーカーだった人がいたのですが、試験が終わった後で、おそらく仕事の斡旋の意味合いで施設を見学させていただいたことがあります。その時

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慶應大学助教 木下衆先生インタビュー 認知症ー介護者と要介護者の関係の捉え直しに向けて(前編)

慶應大学助教 木下衆先生インタビュー 認知症ー介護者と要介護者の関係の捉え直しに向けて(前編)

今回のインタビューに関して、私は認知症の親介護を日常とするものとして、ずっと「認知症介護家族」の研究をされている方の話を聞きたい、と思ってきました。現状では施設等で認知症を介護する介護職の人、あるいは介護家族に対する認知症の啓発、傾向などについて段階ごとの対応方法のありようを伝える本はたくさん出ていますが、その理想の介護に向けての家族側などの大変さに着目した本や研究がなかなか見つからないなと思って

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祝、母95歳

祝、母95歳

今日で母も無事95歳の誕生日を迎えました。
身体的にはかなり丈夫で、安定しています。
普通の同年齢の人よりもからだは健康だ、と往診に来てくれる主治医もおっしゃってくれています。
おそらく大病の経験がないことが長寿につながっているのでしょう。

父の頃から診てくれていた主治医の先生も高齢のため医師を引退したのですが、その先生いわく、大きな病気をしていなければ100歳まで生きられる確率が高いのだと。実

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久しぶりに認知症の母についての話・1

久しぶりに認知症の母についての話・1

久しぶりに認知症の母について書きたいと思う。
最近、大変感心して読んだ精神科医、小澤勲さんの『認知症とは何か』という本と出会えたからでもある。

認知症者の心理面(情緒面)はその前段となる本、『痴呆を生きるということ』により多く割かれていて、本日の記載はどちらかといえば、後者の本の影響がよりダイレクトかもしれない。(本日の記事は続きを加えて書きたい)

おそらく、今の母の認知症は記憶障害(甚だしい

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久しぶりに母親の状態像から考えた。

久しぶりに母親の状態像から考えた。

母親の認知症状はかなりのスピードで低下が進んでいるのだが、とにかく認知症は困らされると同時に、脳の機能の不思議を思わざるを得ない。

例えば、デイサービスで午後は脳トレをやっているようで、その脳トレのペーパーを見ると漢字の読みや、算数の計算などをやっている。その返却されたものを見せてもらって驚くことがしばしばだ。

日頃、日常の通じなさから見ていると、「頭がわからなくなってしまった」と当方はどうし

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母親の誕生日

母親の誕生日

同居している、というかさせてもらっているというべきか(苦笑)。いずれにしても同居の母親が無事に94歳の誕生日を迎えました。おめでたい㊗️

多少足腰が弱ってきたとはいえ、基本的には身体的な問題がないし、そこそこ食事もできているので安心ではある。まだまだ長生きできそうな様子ではあります。

かように在宅で生活ができるのも介護保険で様々なサービスを受けることができるおかげ。認知症があるので、訪問看護や

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2021年が始まりました。

2021年が始まりました。

 コロナウイルスの感染が止まらず、首都圏の緊急事態宣言が出る予定の年明けになりました。世界のコロナウイルスでの死亡者が184万人を超えていると聞いて驚いているのですが、100年前のスペイン風邪では世界全土で5千万人も亡くなっているとのことで、その数字には愕然とします。スペイン風邪は、にもかかわらずおそらく世界でもほとんど記憶されてない感染症であったというのは、当時原因がウイルスだとわからなかったに

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今年を振り返って(個人的な感想)

やはり、今年は特別な年になったのは間違いがないことでした。
コロナウイルスにかかる可能性は万人平等だったのですが、この全く新しい種類のウイルスは長い潜伏期間を持つことと、高齢者や基礎疾患を持つ人を重篤化、場合により死に至らしめるという意味で、その戦略性の高度さは実に現代的としか思えないものでした。
「現代的」という意味合いをより説得力を持たせたのは、日本を代表に先進国の長寿化による高齢施設がかつて

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要介護高齢者と住む者として最近思うこと

要介護高齢者と住む者として最近思うこと

noteのテーマがこのところずっと認知症母の話で、くどいというか、大変さを強調しているようで申し訳ないところです。

⚫︎母親の近況
その母親の認知症は、ある種の帰宅願望とでもいうようなものが出てきていて、夕方から夜になると「明日は仕事で住んでいる寮に帰らなくちゃいけない」とか、「空き家になった部屋に帰らなくちゃいけない」とか。そこに、相変わらず我が家に住んでいると思い込んでいる祖母、祖父、叔母の

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また新たな母の認知症フェーズ

母の認知症が新しい進行のフェイズに入ったとしか思えない。
ここ3日ほど、夜になると我が家を「自分の家ではない」というように考え始めて、それが確信となって来ている気配だ。

「明日は帰らなければならない」とか、今日などは、こちらに相談があるといい、「仕事で寮に明日からから泊まらなければならないのだが、どうすればいい?」と言う。また、「この家の家主はどこか」とか、「明日は帰るので、宿泊料がどれだけかか

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緊急事態宣言下の認知症母と過ごすGW

緊急事態宣言下の認知症母と過ごすGW

オープニング

久しぶりにnoteを活用してみようと思う。見出しに記載したように、緊急事態宣言下においては人びとみなが何らかの被害を受けていると思う。それは被害を過大に評価するわけではなく、平等に訪れた不自由や、日常のなかで顕在化しそうだけれども、顕在化させずにすませたものごとかもしれない。

で、それは日常化にも何らか予兆があったことだと思うけれども、あるいは信じられない環境に急に置かれたという

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認知症について(続き)

情けない話だが、朝の一件で母親と今日一日相性があわない。

比喩的にいえば、致し方ない人を捕まえて、グイグイ肩を掴んで揺さぶる感じだ。「どうして?どうして反省機能が働かないのか?」と詮無いことを口走りそうになるのだ。いつのまにか自分が悪いことになっている塩梅のやりとりに対して。

この流れは何回か経験しているし、よくない方向だと思っても紛らわすことができない。

もうひとつは、ときおり感ずる、これ

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