見出し画像

アーティストのために、優しい革命を起こしたい。 〜アートとテクノロジーで世界の感性をアップデートする〜

2018年11月29日、アートブロックチェーンマーケットのB-OWNDを正式にリリースしました。これまでの人生の中で、ずっと考え続けて実現したいことの第一歩がスタートしました。

今回はこのタイミングで、今しか整理できないこれまでずっと溜め込んできた想いを、書き留めておきたくて、拙い文章ですがnoteにまとめました。


画家である父の存在

僕の父は元祖フリーターでした。
20年近く、バイトを転々としながら売れない絵を描き続けていました。

そして35歳になり、母と出会いました。

地位も名誉もお金もない父でしたが、そこに悲観のかけらもない圧倒的な楽観性に母は惹かれ、2人は出会って1週間で結婚を決めました。

そしてそこから、父をプロの画家にすることが母の目標になりました。

そんな家庭に僕は生まれたので、経済的にはとても貧しかった。
幼少期は生活するのが精いっぱいだった記憶があります。

ベネチアで起きた小さな奇跡

僕自身はというと、小さい頃はアートにはあまり興味がありませんでした。
小学校から高校まではサッカーに没頭し、大学では経済学部に入りました。

しかし大学1年生の春休み、人生における最大の転機が訪れます。

父を裏方でずっと支えてきた母が、今まで通りの仕事を続けていたら、父の創造力が枯れてしまうとの危機感から、べネチア個展開催を決意しました。国内で何十回と個展を行ってきましたので、海外で試す時期が来たとの直感でした。初めて海外で個展をするなら父が愛する街べネチアしかないだろうと。べネチア個展開催で新しいが絵が生まれるとの確信でした。

そのような想いで、父と母そして僕の3人でベネチアを訪問したんです。

画像1

ベネチア中のギャラリーをアポなしで突撃訪問して回ったのですが・・。
実績もコネもなく、片言の英語を頼りに遠い国からやってきた私たちです。
受け入れてくれるところなどやはりなかなか見つからず、片っ端から断られ続けました。

もうベネチア中にあるギャラリーを廻り切ったのではと諦めかけた時のことです。訪問したある小さなギャラリーで、オーナーのイタリア人のおじさんに突然言われました。

「君たち、昨日コンティニ・ギャラリーにも来てたよね?」

聞くと、前日行った有名なギャラリーで対応してくれたディレクターの女性が、実はその方のワイフだったそうで。「こんな人たちが来たんだけど」と夫であるその方にすでに話していたようなのです。

日本人の10代と50代の男が、無謀にもベネチア中のギャラリーをアポなしで回っている姿は、きっとなんだか滑稽で印象的だったのでしょう(笑)。

そのオーナーの方はその後も親身に話を聞いてくれ、見せた作品もとても気に入ってくれ、「絵を通して会話ができる」と言ってくれました。

そしてひととおり話し終わった後、その方は「情熱はまわりを、そして世界を動かすね」と言って微笑み、なんとそのギャラリーで父が個展を開くことを承諾してくれたのです。

自分の夢が見えてきた

1年後 ー。
ついに、念願だったベネチアで父の個展を開きました。

画像2

その1か月間僕は、その個展にかかわるあらゆることを手伝いました。

特に、いろんな国の人たちとコミュニケーションを取りながら父の作品の魅力を伝えていったのですが、その経験は本当に、最高に楽しくて。

その時実感したんです、「アートは世界をつなげる」って。

なぜつなげられるかというと、アートは言語を超えた表現だからです。
言語の違いはコミュニケーションの障壁になりますが、アートにはその壁がない。

つまりアーティストは、「非言語で伝えるプロ」です。
裏を返せば、言語化というものが苦手な人も多い。
素晴らしい作品をつくっても、それをプロモーションするということには長けている人が少ないんです。

アートは、その価値を伝えるということが非常に難しいものです。
だから僕は彼らに代わって、その価値を「翻訳」し伝えるということに挑戦したい。

ベネチアでの1か月を通じて、自分の夢が見えてきました。

没頭した先に見えた限界

もうひとつ、僕の原点となった出会いがイタリアでありました。

ルネサンスとの出会いです。

ベネチアで個展を開催した後、フィレンツェを訪問し、ミケランジェロやダヴィンチなどのルネサンス期の錚々たるアート作品に触れた時のことです。

身体が震え、全身の毛穴から衝撃が走ったような感覚を覚えました。

「なんでここまですさまじいアート作品が生まれたんだろう?」

純粋に、そんな疑問が僕の中を駆け巡りました。

このような素晴らしい作品を生み出したルネサンスのことをもっと知りたい。その思いから、それにまつわる本をとにかく読み漁りました。

そしてルネサンスについて知れば知るほど、それが起きる前の根底にあったもの ーキリスト教ー についてもっと知らなければと思うようになりました。

本格的に学ぶため、大学3年の夏には単身フィリピンに渡り、現地の神学校に半年間通うことに。

そこはトマス・アクィナスやアンセルムスなどのスコラ哲学*注1とプラトンやアリストテレスなどのギリシア哲学を同時に学べるところで、僕は神学者や神父である先生たちの研究室に入り浸り、ずっと質問ばかりしていました。

そのようにキリスト教やルネサンスなどの思想にどっぷりハマっていったわけですが、実は同時に、限界も感じるようになりました。

ー西洋思想はその構造から、どうしても分断を生んでしまうー。

そう思うようになったのです。

西洋思想は、聖書のヨハネの福音書の冒頭の言葉にあるように、
「はじめにロゴス(言葉)ありき」です。

世界の始まりの前に言葉・概念があったというのが西洋思想のベースです。

言葉というものは、表現できないものをあえて人間が便宜上理解しやすいように他のものと区別したものに過ぎない。たとえば「人間」と「動物」や、「アート」と「クラフト」などです。

そのように概念でくくってカテゴリーに分けると、そこに対比関係が生まれます。
自然は人間とは別モノ。だから開拓していい。たとえばそういう考えが環境問題に発展してきたと考えています。

“分断”から”調和”へ

一方、日本などの東洋の思想のベースにあるのは「調和」です。

人間と動物と自然を区別するものはもともとない。
人間が息をできるのは植物が光合成をして酸素を生み出しているからで。
その植物は太陽の光を浴びて水分を吸収し、養分を大地からもらって成り立っている。

すべてのものはそういった関係性の中にしかなく、人間と自然というものは一体であると考える。

つまり、この世に存在するものは全部「自分」なんです。
私たちはビッグバンでできた星のかけらからできていて、私とあなたの違いはほとんどない。
すべてが相互連関性のもとにつながっている。ある種、ブロックチェーンみたいに。

西洋の考え方が素晴らしいアートを生んだけど、環境と人、人間と人間など分断が顕著になりつつあるこれからの時代にはもっとより良い考え方が必要だと感じます。

現代アートなんかも西洋の思想がベースになっていますが、コンセプトありきのため、奇抜なものや突飛なもの、ウケがいいものばかりが重宝されていることには疑問を感じます。

僕は、今度のルネサンスは東洋から生まれるはずだ、と考えています。
それは僕の願いでもあります。

東洋の考えをベースにした作品を世に広められれば、そのエッセンスが凝縮されている作品が媒介物となって、世界中の人たちに調和を生む思想を広めていくことができる。

「実はすべてはつながっていて、すべてのものに感謝しなければならない」
「皆で助け合って共生の世界を築いていく」
 人々が自然や他人との関係性に目覚めていけば、そういう考えが生まれていくのではないかと思うのです。

言葉を介してだと反発を生んでしまいますが、文化の力=ソフトパワーからであれば、無意識的な領域から地球家族のようなものが生まれてくるんじゃないか。そう信じています。

アーティストが創作活動に専念できる仕組みを創る

イタリアでの出会いが導いた東洋思想への思いとともに、僕が今進めるプロジェクトの礎となった大切な考えがもうひとつあります。

それは、いい作品をつくるアーティストがちゃんと評価され、経済的にも安心して創作できる仕組みをつくりたいということです。

それは、これまで僕が出会ってきた素晴らしいアーティストの方々への想いでもあり、尊敬する父への気持ちでもあり、さらには過去の自分自身のためでもあります。

自らの生き方を貫く父のおかげで、僕は些末なことはあまり気にしない性格に育ちました。
社会の常識や周りの評価などといったことより、人間は何のために生きるかなど、本質的なことばかり考えるようになりました。両親のおかげだと思っています。

一方で、うちは経済的には非常に苦しく、つらい思いもしてきました。

自分が今実現しようとしていることが10年前20年前にすでにあって、父がもっと安定的に稼げる基盤があったらすごくよかったのに、という思いがあります。

他のアーティストの方々にも、家族や親類がいます。
本当の作品の価値が伝わり、経済的基盤ができれば、その家族や周りの人たちが苦しむということを減らせる。そう信じています。

分断ではなく調和を生む東洋思想を、作品を通じて世界に伝えていきたい。
そして同時に、アーティストの経済的基盤をつくっていきたい。

この2つの想いを実現するため、実際にそういう思想を持っているアーティストの方たちのプロモーションに携わってきました。

そしてたどり着いた確信

ノグチミエコさんというガラス作家がいます。宇宙をガラスで表現しているとても素敵なアーティストです。

「この人の作品はすごい!」と純粋に思い、プロモーションしてみようと思ったんです。百貨店で展示会をやったり、文章や動画をつかってwebページなどでブランディングをしていきました。

彼女の表現をかみ砕き伝えていくということは、彼女の世界・思想を伝えることであり、同時に作品を売るということを促進し、経済基盤も支えていくということです。それをプロモーションを通じてお手伝いしていきました。

そして父のプロモーションもベネチアから今度はニューヨークに足を伸ばし、チェルシー街に300件ほどあるギャラリーのうち100件ぐらいを回りました。(余談ですが今回もアポなしでのスタートです。(笑))

画像3

このために英語も磨きをかけ、父のアートの魅力を伝えるため東洋思想をベースに文章もしっかり作り込み、今回も1件、個展の開催を承諾してくれたのですが・・。

アートコレクターの評判と反応がとても良かったにもかかわらず、作品はまったく売れませんでした。
なぜ売れないのだろう?と考えた末に、アート業界の構造というものを知ったんです。華やかな経歴もなく、どこかにパブリックコレクションされている事実もない父の作品は、結局”売れる構造”の中にいなかった。

その時の失敗を生かそうと、今度は別のアーティストのプロモーションのため香港に飛びました。香港にあるギャラリーの99%は回ったと思います。

そこでも交渉が成立し、アートフェアに参加し、その時は作品も売れました。

そのように試行錯誤しながら、作品の魅力を伝え、経済基盤を支えるということに一定の自信は付いていったのですが、同時に、このように個々のアーティストのプロモーションに携わっていくだけでは、東洋思想を広めて文明を起こすというところまではたどり着けないと感じるようにもなりました。

次のルネサンスを起こすためには、プラットフォームをつくるしかない。

そうして、日本のアート・工芸作品のグローバル販売・流通プラットフォーム「B-OWND(ビーオウンド)」の構想は生まれました。

画像4

活版印刷や羅針盤の発明がルネサンスの誕生を促したように、今の時代では、インターネットやブロックチェーンのテクノロジーが新しいルネサンスを促せるのではないかと考えました。

すべてがつながっている、分散型のブロックチェーンというのは、東洋思想に非常にマッチしている。そこから、アート×ブロックチェーンをやっている東大初のベンチャー・スタートバーンと一緒に組むことになりました。

本当のアートの価値とは

カテゴリーに分けるのって、たしかに人から見てわかりやすくするためには必要かもしれないですが、現代の世界においては古い考え方だと思っているんです。上下関係や男女差別とか、ある軸で分けて考えるのって、これからの時代に合っていないなと感じていて。

同じように、「アート」と「工芸」で分けているのってダサいなと。
近代になって勝手に人間が分けただけであって、もともとそんな区別はない。

工芸がアートより下に見られたりということもあったりするのですが、まったく意味がない。

たとえば陶芸には、東洋思想の「地水火風空」というものがすべて含まれています。土と水を素材に使い、火と風で固めていく。その四つの要素によって、空間(場)がつくられる。そういう循環を常に感じながら、日々、人間と自然というものを溶け合わせる作業をしている。
それは表現であり、アートなんです。

でも、用途がある陶芸のようなものは「クラフト」として扱われてしまう。
そういう風にカテゴリーで分けて権威付けしているのって、カッコ悪いと思うんですよね。

だからこのプロジェクトで、工芸もアートなんだと世界に発信したい。
またアートの価値というのは、自然と人間、人間と人間、人間と生物などのありとあらゆるものの調和にあるんだということを伝えていきたい。

アートにおいては、新しい概念を生み出すことで名を残すという側面もあります。今まで誰もやったことのないものをやることで評価されるということもありますが、僕はもっと普遍性のある、人間への気づきを与えられるようなものこそが歴史に残るべきだと考えています。

人間は生きていればつらい時、悲しい時、どのように生きるべきかという問いに対峙するはずです。その問いに対し、ある種の解決策を与えられるものこそが本物のアートだと思うんです。

僕が今推し出そうとしているアーティストの作品の中には、その本質が散りばめられています。だから僕は、「人間はどう生きるべきか」という視点に立った、直球勝負のマーケティングがしてみたい。

個々のアーティストを支援する先には、文化を前に進めるという裏テーマがある。だからこそ、人間の考え方を調和・共生の方向に導くことができるアーティストを世界に発信していきたいと思っています。

最後に
〜応援してくれている方々へ〜

イタリアで覚醒したときからずっと、今もこのことしか考えていない。
これをやるためだけに僕は生まれてきたと本気で思っています。
一緒に走っていきたいし、実現するまで諦めることはないと思います。

来春にはブロックチェーンを搭載したオンラインアートマーケットをリリースし、そこからも今はまだ具体的にお伝えできないですが、とてもワクワクすることを考え、着実に進んでいます。もちろん、インターネットの世界だけに留まる気なんてさらさらありません。

今後も節目でnoteを更新していきたいと思うので、
これからもよろしくお願いします。

長文でしたが、読んでいただきありがとうございました。

石上 賢

注1: 13~14世紀の中世ヨーロッパにおける思想の主流となった哲学で、主としてキリスト教の教義を学ぶ神学を、ギリシア哲学によって理論化、体系化するもの。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?