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どんな状況であっても意味を見出す先に、次代の伝統が生まれる ~たった一度の出会いが人生を激変させるアートの力~

日本のアート・工芸作品×ブロックチェーンのプラットフォーム「B-OWND」を2019年の5月10日にリリースして、2年が経ちました。

あっという間の2年間でしたが、実は最初の半年についてはもうほとんど記憶がありません。あまりに強烈すぎて、脳がパンクを起こしたのかもしれません

今まで家族や本当に身近な人にしか話したことがなかったのですが、僕が打ち明けることで今苦しんでいる誰かの回復の糸口になるかもしれないという思いで、微かな記憶をたどりながらここに記しておきます。

また、僕がずっと掲げている「日本から新しいルネサンスを起こす」ということの意図も詳しく書いています。めちゃくちゃ長い文章ですが、暇な時に読んで頂き、何か少しでも気づきがあれば嬉しいです!


やっと動き出した・・のに。

サービスローンチの前後については、本当にほとんど記憶がなく、覚えていることといえば、無我夢中で働いていたということぐらいです。

僕にはどうしても実現したい世界や未来があって、それだけを原動力に、アーティストの方々や事業の関係者にご協力頂くために奔走してきました。

伝統のある分野で、しかも大企業の中で、まったく新しいことをやるということの難しさや、意味はわかっていたつもりです。


日本から新しいルネサンスを起こしたい

それを実現したいという気持ちは、きっと誰もが想像できる以上のもので、

今から思えば体力的にも精神的にも限界を超えていたかもしれないけど、気が付いたらローンチまで漕ぎつけていました。

プレイベントは成功し、たくさんのメディアにもご紹介いただきました。
(一例:Forbes JAPAN 
アートを「本気」でビジネスに ─ 日本の美の価値を世界のスタンダードへhttps://forbesjapan.com/articles/detail/28103)


やっと、動き出したー。

その瞬間浮かんだのは、アーティストの皆さまの顔だったと思います。

必ず、アーティストにとっていい世界にしてみせる。
だから、信じて参加してほしい。

そう伝えてきたことが、やっと一歩前進できる。少しほっとしたのを覚えています。
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しかし、現実は厳しかった。
最初の1か月は多くの作品が売れたのですが、、、その後は

売れなくなったんです。
全然。


ドキドキしながらECの状況を見に行っても、何度行っても、まったく動く気配はなく。たまに1作品売れたりして、そのことに一喜一憂した後、また動かない状況が続く。

もう少したてば、きっと動く。

そう信じたまま、2-3か月。
状況はまったく変わりませんでした。

こんなやり方で売れると思っているのか?

まったく動こうとしない数字を前に、いろんな疑念が頭をよぎってきました

「もしかして、Webデザインがよくなかった?」
「アーティストや作品の紹介の仕方は?」
「・・そもそも戦略はこれでよかったんだっけ?」


さらに追い打ちをかけるように、批判の声が内外から僕に聞こえてくるようになりました。

「ブロックチェーンなんて、ただの流行りものじゃないか」
「アートのことを、君は本当にわかっているの?」
「こんなやり方で、売れると思っているのか?」


覚悟はしていたつもりでも、数字が出ない中でこのような声を浴び続け、
否が応でも自信のあった心が揺らいでいきました。


「・・そもそも、この方向でよかったんだっけ?」

「事業って、本当になくてはいけないのかな・・」


自分の全てをこめ立ち上げたはずだった事業に対する疑念は、いつの間にかそもそもの存在意義へと膨らんでいきました

そして、

どうせ、この世のもののすべては消えてなくなる

そんな言葉が頭に浮かんでくるようになりました。

それは、僕がローンチに向けてがむしゃらに走り出す1年程前に僕の学生時代の友人が言った言葉でした

目の前のひとりさえ救えなかった

その友人は、B-OWNDローンチの直後に亡くなりました。

ローンチ直後のあわただしい中、僕は知人からの電話でそのことを知りました。

学生の時はいつも2人で一緒にいて、何でも一緒にやってきた最高の友人でした。

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事業の幕が切って落とされた直後、僕はこのことをどう受け止めていいのか全くわからないまま、走り続けていました

作品は売れなくても、やるべきことは山積みでした。
取材にくるメディア対応に、オウンドメディアのコンテンツづくり、サイトの改修に・・

次から次へと降ってくるタスクをこなしながら、僕はそれに没頭しているようで、考えていたのはいつもその友人の事でした


彼はとても努力家でした。
希望する優秀な大学に入り、卒業後は一流の大企業に入社、その中でも優秀な成績を収めていました。

それなのに思い悩んでいることを知り、その理由を尋ねた時、彼はこう言いました。


どうせ、この世のもののすべては消えてなくなる


競争社会の中で、彼は「何者か」になりたくて苦しんでいたのかもしれません。苦しめば苦しむほど、内側にこもっていき、やがて「虚無」の論理に落ち着いた。

すべての生命はたった一点から始まり、いつかはすべてが消えていく。
ーいつかは、消えてなくなるんだ。

そんな途方もない真理に、自分を納得させ、いったん落ち着く。
しかしその先、行き着くところは、死だ。

彼のたどった道がなぜ分かるかというと、僕自身、そういうところがあるからです。そうやって僕は、気づけば彼と同じような悩みを辿っていました


現実、ビジネスがうまく走り出さなかったことや、批判の声と相まって、
当時僕自身、なんだかすべてがどうでもよくなっていきました。


「俺は一体何をやってるんだ?」

   「目の前の1人さえ救えなかったのに・・


この頃のことはもう、いろんな前後関係がよくわからないのですが、

とにかく気づいたら、出張先の京都の駅のプラットフォームで文字が読めなくなり、目の前の看板が全て真っ白になり、倒れてしまいました


どうかなってしまいそうだった

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1時間か2時間程、駅のベンチで座り込みずっと呼吸を整えていました。
そしてわけが分からないまま、気づけば助けを求めるように母親に電話をしていました。

そのままの足で愛知の実家に行き、しばらくそこで療養することになりました。

結果としてその後3-4か月休むことになったのですが、
最初の1か月ぐらいは、ただただ寝ていたと思います。それしかできなかった。

何もやることがないので、本当にいろんなことを考えました


必死に事業を進める中で、いつの間にか、善し悪しの判断が「資本(お金)」になっていたこと。

その判断軸に絡めとられ、アーティストの皆さまや会社の同僚や先輩、周りのこれまで協力してくれていた方々に勝手に申し訳なく思うようになり、自分を追い込んでいたこと。


友人と過ごした日々のことも、たくさん考えました。

彼はいつも僕と一緒にいて、常に彼と良い意味でも悪い意味でも競争をしていたこと。
意味のない競争をして、張り合ってしまっていたんじゃないかということ。


彼はたぶん、自分自身と外(相手)との差異を敏感に感じ、そこから抜け出せなかったのではないか。

僕は、そんな彼に寄り添えていなかった


いまさら思ってもしょうがないけど、今まで彼と一緒に過ごしてきた中での関わり方を思い出しては、もっとこうすればよかったのにと、ひどく反省しました。


同時に僕は、それでも「この世界で生きている意味があると思える光を探していました
その光が見えなければ、僕自身どうかなってしまいそうでした。


人の命をも救えるアート

ふと思い出したのは、父の言葉でした。

父は裸一貫で絵を描き続けているアーティストなのですが。


僕が学生の頃、「お父さんはどうして絵を描いているの?」と聞いたことがあります。
お金になってるわけでもなく、なぜそこまで絵に心血を注いでいるのか聞いてみたかったんです。

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父の答えは、

今日自殺しようとしている人を止められる絵を描けるかどうか」 
というものでした。

その頃はよくわからず、「へー、なんかカッケー」ぐらいにしか思わなかったんですが。

今なら、その意味が分かる気がします。


圧倒的な美しさや感動する何かに触れたとき、人の心は歓喜します。

それは魂が震え立つような体験で、たった一度の出会いが人生を激変させうるほどのものです。

それはきっと、絶望の中にいても「この世にいよう」と本能が感じるもので、少なくとも「今日はやめておこう」と思わせる力がある。


実際、父の絵を見て「思いとどまりました」と言った方がいたそうです。

その方に直接聞いたことはないけど、きっと父の絵にそのようなものを感じたのではと思います。

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なぜ僕がその時、ベッドの中でそのようなことを思い出したかというと、
同じ「自死」に関わることだったからではなく、僕自身「何のために生きるのか」という答えを必死に探していたからです。

父は、芸大美大などを出ておらず、独学で絵を描き続けてきた人です。

なぜアートをするのか?

それに対する答えは、誰に教えられたものでもなく、
父がストリートファイトしながら自分でつかみ取ったものです。


そして人の命をも救えるアートを生み出す父は、
アーティストとして存在する究極の価値を持っている。
そう気づきました。


ミイラ取りがミイラになっていく


アートの価値、それは
「人類の幸福に寄与しているのかどうか

その一点に尽きるのではないかと、僕は思っています。


しかし現実では、そういった本来の目的が抜け落ち、何かしらのルールに乗っ取ったアートの価値基準、ジャンルやお作法や会派やといった些末なことに捉われ、人間のためのアートではなく、アートのためのアートとなっていく。

そういった主従の逆転が起きてはいないか


たとえばある会派に所属しないと賞をもらえないとか、権威に評されることが大きな意味を持つとか。そんなものは、アートの本質とは関係がない

そしてまったく同じことが、芸術の世界だけでなく、学問や企業などでも起きているように思います。


人類の幸福に資するという目的を忘れ、あらゆる学問なども、各々の分野に細分化され、学問のための学問となっていく。

何のために存在するのかという企業の理念を忘れ、お金を稼ぐという手段が目的になり、様々な職種が各々のポジションで発言し、仕事のための仕事となっていく。
つまり、人間のための社会ではなく、社会のための人間になっていくのです。


「群盲象を評す」というインド発祥の寓話があります。

盲人の科学者たちが大きな象の正体を捉えようと、鼻を触っては「これはホースだ!」、象牙を触っては「これはヤリだ!」、しっぽを触っては「これはロープだ!」と間違った分析をする話です。

この話は世界中で絵にも描かれていて、盲人(目隠し)の代わりに虫眼鏡で見ているバージョンもあります。このお話が世界中で語られているのは、細部に気を取られ、大きな真実を捉えられない様子に、私たちが少なからず共感を覚えるからではないでしょうか。


そのようになりがちな私たちに、アートは問題提起をし、「そもそも」を問い直す力があります

本物のアートは、人間の英知を超えた本質に迫り、私たちに根源を問い続けます

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なぜ問い続ける必要があるか。


その答えのヒントが、昔から伝わるヨーロッパのことわざにあります。

“The road to hell is paved with good intentions.”

「地獄への道は善意で敷き詰められている」


残虐なホロコーストを生んだナチス・ドイツ幹部たちは、家に帰れば善良な父であり、恋人であり、市民であったことは有名な話です。

ユダヤ民族の移送で中心的な役割を果たしたアイヒマンは、「私は、ただ命令に従っただけだ」と、最期まで反省することはありませんでした。

そしてドイツの社会心理学者のエーリッヒ・フロムは、「私たちは自分の中にアイヒマンを見ることができる」と記し、誰もがそのような過ちを犯しうることを指摘しました。

「善良である」こと、真面目に努力することだけでは、人は大きく道を踏み外す可能性があります。

ナチスドイツのような例は稀であっても、
本来の目的を忘れ、手段のために奔走し、
人を幸せにするはずのものが、人を苦しめ、
そんなミイラ取りがミイラになるような状況は、私たちのまわりにも溢れています


モノゴトの本質は、「間」にこそある


そんな時、アートは僕らにそっとやさしく時に激しく問いかけてくれます。

本当にいいアートって、なんだか「生きてていいんだよ」と叫んでるように感じるんです。

新しい生命が生まれたり、そういった根源的なものに対する喜びや祈りや、願い。その歓喜を届けようと、全身全霊で叫んでいるような

そんなことが、アートを含めた文化のすべての始まりだったんじゃないか。そう思うんです。

そして本物のアートや文化は、あまねくある方向に向かっている。
それは、世界を動かした思想家やリーダーたちがつまるところ目指した方向と繋がっています。


それは、「調和」です。

この世界は、森羅万象の絶妙な調和・ハーモニーの中で成り立っていて、
モノゴトの本質は、各々の事象にではなく、それらが繋がる「間」にこそある。

自分とその他すべてのものは、つまるところ一体で、
自分の些細な言動は、すべてそのまわりに波及し、繋がって還ってくる。

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しかし、人はその絶妙なハーモニーの中に生きている、いやむしろ生かされているんだということをすぐに忘れてしまう。

そうやって自分だけで生きているような錯覚に陥ると、人は心身に不調をきたすのだと思います。

僕自身、そのことに気づき、調和を取り戻すことでその後回復していきました

調和の中ですべては繋がっていることが見えたことで、「事業がたとえうまくいかなくなったとしても後悔はない」という心境になったからです。


実現したい世界への情熱の灯が消えてなくなったわけではありません。

むしろ、逆です。

倒れたって、しびれるぐらいに燃え続けていたから
たとえ事業はなくなったとしても、その炎がまわりにいる誰かに伝わり、回りまわってその人が世界を変えるかもしれない。そう思えたからです。


僕にとっては、その世界の実現こそが目的であり、事業はその手段のひとつに過ぎない。

そう思い出させてくれたのは、本当のアートを諦めない両親であり、
僕に生きる意味を問い直してくれた友人であり、
その意味に大きなヒントを与えてくれたアートでした。

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日本文化の根底には、結合への理想がある

もう、怖いものなんてなくなりました(笑)

あとは、引き続き「日本から新しいルネサンスを起こす」ために前進するのみです。

ちなみに僕が「次のルネサンスは日本から」と確信しているのには、理由があります

アジア初のノーベル文学賞受賞者となったインドの詩人・タゴールは言いました。
「人々の間に結合をもたらし、平和と調和を築くことが文明の使命である」

彼は、それまで分断されていた東洋と西洋の文学を統合させ、ハーモニーを生んだ革命者です。

まったく新しい価値観の提示に挑んだため、苦悩も多かったようですが、それでも文明や文化の本来の目的を見失わなかった人です。


その彼は、日本についてこのように言及しています。
「日本文明は人間関係の文明である。
 日本文化の根底には、結合への理想がある。
 人と人との結合そして人と自然との結合への理想である」と。

つまり、タゴールは、日本民族の奥底には、人と人、人と自然を結びつけようとする文明的使命があると言及したのです。

日本文化は、まさに文明の究極の目的である「結合と調和」を実現する要素を、本来兼ね備えているということです。

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考えてみれば、それを裏付けるようなことはたくさんあります。

「人間」、「時間」、「空間」のような日本語の中でも最も重要な言葉たちに、「間」という言葉を託したのはなぜなのか

たとえば日本の建築の空間設計には、境界線が曖昧なものが多い。
縁側、襖、障子など、どこまでが「内」でどこからが「外」なのか、ふんわりとしている。そこにあるのは絶妙な「間」です。

また仏教の考え方などにもこの要素が見られます。

例えば、仏教用語に「縁起」という言葉があります。
「縁起がいい」と日常でも日本人は使っていますが、本来の意味は、「全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなる」ということを指します。

つまり、縁起という言葉は、「間」やハーモニーとも言い換えられるのではないかと思っています。

その考え方は、一つの小さなパターンがその集合体の全体を表している「曼荼羅(マンダラ)」などの視覚芸術の世界観などにもよく表れています。

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人が自然と調和し幸せに生きていくために向かうべき方向に、日本文化は元来向かってきたはずなのです。

コロナ以前以後においても、人間と自然、人種・民族間や他者と私の「分断」という言葉が世界中で叫ばれている中、日本が大切にしてきたこの価値観が反映されたソフトパワーが求められている。そう僕は思います。

全ての人を、アートの当事者に

ちなみに僕がこれらのプロセスを経て、再びB-OWNDの旗を揚げて以来、
時代の追い風もあって、結果的にビジネスはすごく順調に回り始めました。

ECサイトの方は、総出品数の内90%以上はsold out状態となっており、また有名ブランドやホテルなど多くの事業者との連携もきまりB to Bでも結果が出始めております。

特に3年前から目を付け、B-OWNDのサービス開始から取り組んでいるNFTについては、今年非常に追い風を感じており、近日大きな発表を行う予定となっています!


向かう方向は2年前となんら変わっていませんが、炎は以前にも増して燃え盛っています。

今まで自分以上に燃えている人にあまり出会ったことがない僕ですが、それでもこの革命には、同じ船に乗ってくれる仲間が必要です。


アーティストやコレクターなど、これまでアートに真剣に向き合ってきた人たちはもちろん、さらに、今までアートに直接関わってはこなかった人にも参加してほしい

アートは限られた人たちだけのものではなく、より良く生きようとするすべての人たちにとって必要なものだと思います。
人や自然との繋がりを大切にし、幸せに生きようとする人の背中を、アートはやさしく時に力強く押してくれるからです。

そういう人に、ぜひ次代の伝統をつくる仲間になってほしい

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「伝統」というと、それまでの形式を脈々と踏襲し、ルールや型を守っていくような印象があるかもしれません。

しかし今に繋がる全ての伝統は、得てしてその頃の「異端」でした

たとえば500年近く前に侘び茶を大成した千利休は、時の権力者たちがこぞって中国から取り寄せたド派手な陶器を珍重していたのを横目に、暗い茶室で真っ黒な茶器を使うことで、その存在感を消しました。

茶碗を命のように大切にしていた目上の人たちに対し、大胆にもその装置としての存在を消し、「そのまま手で飲んでいるような感覚」を提案したのです。

そんな「今までの文化に対する反逆」といえるようなアバンギャルドを、今では「わびさびだよね」とずっと平和に続いてきているもののように私たちは受け止めています。

でも歴史を見れば、新しい文化はいつも「端」から生まれてきたのです
僕は、そんな5-600年後に「当たり前」となるカウンターを放ちたい。

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言い換えれば、世界の美の価値観が変わった瞬間が見てみたいんです。

戦争に勝ったり、経済ルールで勝ったり、そういうところが無理やり美の基準を決めていくのではなく、みんなが自身の美意識に照らし合わせ、「こういう価値観もあるよね」と豊かに広げていく。

みんなに人気なものや、権威におもねるのではなく、「自分はこれが好きだ!」と表明していく。

それだけで、美の基準は確実に変わっていくと思います。
そのために、評価する側にどんどん回って欲しい

B-OWNDは、そのためにブロックチェーンによるデジタル作品証明書を搭載しているといっても過言ではありません。

この仕組みは、誰が購入をし、どこで展示をしたのかなど作品にまつわる来歴の情報がブロックチェーン上に半永久的に記録されていきます。
自分の固有の美意識を信じて行動した記録が残り続けるのです。

それは、専門家や権威側に立つ人たちによる価値基準だけではなく、すべての人の美意識の集積が、新しい美の価値と信用を形成する世界を創り出す。そう信じています。

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日本の文化はこれまで世界から過少評価されてきたと僕は思っています。

ペストという逆境がイタリア・ルネサンスの誕生を促したように、これまで人類は、逆境に挑む過程の中で新しい文化を誕生させてきました

逆境を契機に、旧態依然とした文化に対するカウンターカルチャーが生まれ、それがメインストリームへと押しあがり、そうして新しい文化は伝統となっていく。

現在の状況はどうだろうか。世界中がコロナ禍という逆境に直面している。であるならば、新しい文化が生まれる足音が聞こえてくるはずだ。

これまでの「アート」や「工芸」といった矮小化された枠組みを乗り越え、次代の伝統を打ち立てる新しいルネサンスが今ここから狼煙を上げている。

まだ大海の一滴かもしれない。けれど、皆で力を合わせれば大きな波へとなっていく。そう信じています。

ここまでとてつもなく長い文章を読んでくださり、本当にありがとうございます。これからさらに加速させていきますので、どうぞよろしくお願い致します!!


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