見出し画像

ダイアナが死んだ で繋がる話

「ダイアナ妃が死んだ!」

1997年8月31日

その時
僕は一人ヨーロツパを旅していた
その2日前にミラノに入る為に
列車にのっていた
妙な胸騒ぎを感じ窓の外を眺める僕

サッカー開幕戦を見る為に
ミラノに向かうバックパッカーだった僕
サッカーを見れる興奮とは違う
妙な胸騒ぎ

しかし急に
胸騒ぎが遠くの誰かの元に
飛んでいった

僕には感じることができなかったけど

何かを感じれる人の元に
胸騒ぎが飛んでいったようだ

心は晴れた時
列車はミラノに着いた

ブラジルのスターロナウドが
インテルに移籍し迎えたシーズンの開幕戦
イタリア中がセリエAの
開幕の熱気に包まれていたミラノ

ユースホテルで知り合った仲間と
インテル開幕戦を一番安い席で見て
小さいロナウドが綺麗なインテルカラーの
ユニホームでピッチを走っていた

興奮しゲームをも終わり夜9時に
ホテルに戻り、僕は日本の友達に
生でロナウドを見た事を教えてやろうと
電話するが繋がらない
国際電話は当時、かなり高額で
カードを買って電話BOXで
1分数百円する電話をかけていた
しかし、どににかけたのか
間違えたのか繋がらず
ホテルの食堂に集まる昨日、今日知り合った
バックパッカー仲間と
僕らはサッカーの話をしていた

夜の11時頃に
食堂に置かれたTVは
サッカー関連ニュースから切り替わり
ダイアナ妃の事故ニュースが流れだす

ダイアナが死んだ!

と誰かが叫び

皆、初めはどのダイアナ?と
よく分からず
サッカー熱で興奮している
僕らは別の人と勘違い
ニュースを見てイギリスの元王妃
あの有名なダイアナ妃と知る

翌日、新聞の一面はサッカー記事で
裏面はダイアナ妃の死亡記事

当時僕は 詳しくなかったので
なぜ事故したのかは知らない
NETなんてない時代

ダイアナが死んだ

とだけ知りパパラッチに追われて
事故死との衝撃だけが残った

旅の終わり11月
最後はパリ戻って来た僕は
ダイアナが事故した現場によってみた

そこは橋の下がトンネルになり
狭いトンネルの中で
事故が起きた事を知る

橋の上にはフランスがアメリカに
送った自由の女神が持つ松明の
レプリカオブジェが飾られて
その周りに花がぎっしり置かれていた

そして皆 ダイアナ妃をしのんでいた

僕は、何故か不謹慎にも
トンネルを歩いて見たくなる

本来は歩行してはいけない
歩行する歩道はなく
壁際に少しだけ段差があり
なんとか歩く事ができる幅だけがあり
何故か、事故現場をみたく入ってしまった

ダイアナ2

警察に見つかれば怒られるので
急いで通り抜けるようように
無理やり歩いていく

緩やかなカーブになっているトンネル

事故現場前まで来て

ここで事故が・・・と
かなり気持が下がり
トンネルに入った事を後悔した

ダイアナ4

後ろを振りむき真っ暗なので
怖くなり急いでトンネルを駆け抜けた

ダイアナ3

事故に至る詳しい経緯は
日本に戻り知るけれど

彼女の死が世界的に大きな影響を
与えていたと知り

無くしてはいけないものを
必要のない力で
無くした気になった

美しいダイアナは
皆の心の中に刻まれ
今でも彼女は心の中で生きている

あの時、感じた胸騒ぎ
僕には受け止めきれなかったけど
誰かがテレパシーを受け取り
言葉にしてくれた

日本の友達にかけた電話は
何故かエジプトにつながり
寝てるあの人を起こしてしまったらしい

ダイアナの意思を感じる人に
発信された見えない力

ダイアナはこのトンネルを出る事なく
旅だった

僕はトンネルの出口に立ち
パリの空を見上げると

世界は変わって見えていた

ーー終わりーー

この話は
この二人の記事に関連しています
ので併せてお読みくださいネ



Loloさん の記事も
偶然とは思えない不思議に満ちてます。

Shiominさんの記事は更に不思議です

二人の記事が
とても興味深く面白く不思議に満ちてます
僕が経験した事が また何かの縁に感じました

全く違う出来事が世界で起きてましたよ😃

最後までありがとうございました!

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?