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聖地巡礼記-西安 空海が手にした密教という宇宙

西安旅行に来て聖地巡礼旅をしている僕が
一番楽しみにしていたのは
空海に関する歴史でもあった

見どころが多い西安なだけに
いつの時代を切り取っても
何かあるのが西安でもある
日本の京都とよく似ている

そして
今回は日本仏教史に
大きな功績を残した僧 誰もが知る

高野山真言宗 開祖 空海の話

空海が歴史の表舞台に登場し
名を世に知らしめるの前の事

まだ沙門として一僧だった頃

空海は第18次遣唐使船に乗り入唐を目指す

空海が有名になるのは
日本に帰国後の話
それまでは無名の僧だった

そして、帰国までの行動には
ところどころ抜け落ちている部分があり
謎も多い

しかし、彼が神に選ばれていた
人物である事は間違いない

804年空海は入唐を果たす

4船が出発し 
第1船に空海が乗り
第2船には最澄が乗る

最澄は国家事業で国から選ばれ
資金を得て唐に学びに行く位の高い身分

一方空海は、無名の沙門僧
その一僧が国家事業である

遣唐使のメンバーに選ばれる事も
一つ目の奇跡であったが
莫大な資金が必要とされ
その資金をどうやって調達し
貴重なメンバーに選出された経緯は
正確には謎である

しかも空海に課せられた留学期間は20年
最澄とは扱いが全然違う

日本を出港した船は
嵐にあい遭難し中国にたどり着いたのは
空海と最澄がのる1船、2船のみ

残りの2船は遭難した
それだけでも十分運をもっていた

遭難し漂着した場所は福建省
目的地からかなり離れた地に着き
色々ありながらも長安へ
たどり着く事が出来た空海だった

当時 世界の中心とも呼べる都
長安は文化、経済、物、人、宗教などが
最先端をいき、中国史上もっとも
輝いていた時代だったかもしれない

長安には140年程前に
玄奘三蔵が持ち帰った膨大な経典が
漢訳され大乗仏教が成熟され
最新の密教も取り入れ
空海が学びたい宇宙の原理なる教えが
長安には揃い開化していた

密教というのは師から弟子へ
引き継がれる灌頂という儀式を通じて
継承されていく習わしがある

全てをマスターしたら
阿闍梨という称号を得る

当時、長安には
青龍寺に密教を極めた 
恵果(けいか)阿闍梨という僧が
実質密教の最高権力者であった
その下に弟子は1000人を超えていた

そして、恵果の後継者はまだ、存在せず
恵果は年老いて命の灯が
短くなろうとしていた時

日本から遣唐使でやってきた
名もなき沙門の空海と出会い
恵果は会うなり

「お前が来るのをまっていた早く準備をしなさい」と告げる

数か月の間修行を経て
大悲胎蔵、金剛界の密教の2大灌頂を
受ける事となる

そして驚くべき短い期間で
引継ぎを完了し阿闍梨の称号を
受けるまでになる

空海が入唐し
青龍寺に入るまでには半年ほどの期間があった
その間の出来事の詳細は謎のままだが
梵語(サンスクリット語)を習得し
恵果に自分の名が届くような行動を
していたと推測されている

元々、唐にくる前から
梵語を操れるようにまで知識を
得ていたとも言われ空海はわずか半年も
満たないうちに漢学だけでなく梵語も
マスターし難解な梵語で経典の原文を
理解しだしている

密教には、まだまだ原文のままの経典が多く
漢訳されていないものもあった

空海はなるべく原文を理解する事で
フィルターの無い密教を
知ろうとしたのだと思う

そしてそれを
短期間でこなした事は
驚異的な能力を持っていた事になる

恵果阿闍梨は初対面で空海に

密教の全てを継承するに
至った真相は驚くべき謎だ

普通に考えて絶対にあり得ない事を
空海は成している

多くの弟子は
日本から来たばかりで
よく知らない外国人である空海が長年

恵果の元で修行してきた自分達を
押しのけ、密教を引き継ぐ事に反対したが
空海の才能の前に自分たちが間違いだと
気づくエピソードが残されている

その数か月後
恵果阿闍梨は役目を終えたかのように
60歳で入寂

これ以上ないタイミングで
空海は密教を手にした事になる

密教は絶えることなく
空海に受け継がれる事になり
日本に渡る事となった

そして密教が教える宇宙の真理
大日如来による教えを手にした

宇宙というのは 
銀河系という意味ではなく
この世の真理を宇宙という表現に例えた言い方で
大日如来は宇宙そのもの

そして、あらゆる全てのものの中に存在し
大日如来こそが宇宙の根本原理でもある
という教え(簡単にはいうと)

非常に難解ではあるが
他の宗教には、中々みられない
精神世界の深い原理、自然界の摂理
この世の真理を解いているのが
密教の教えの大きなテーマでもある

空海が道教や儒教にはないといい仏教に
あるという世の中の真理を解くのが
仏の教えであり
密教はさらにその深い世界へ
もぐるようなもの
空海が引かれるのが解る気がする

そして20年という留学期間を
わずか1年足らずで習得し 
留学期間は、わずか2年で
遣唐使船にのり、806年に帰国を果たす

帰国した遣唐使船に
もし乗る事ができていなければ
恐らく空海は日本に戻る事が
なかったかもしれない

その船を最後に30年は遣唐使船が中断される

まさに、空海が唐に入り
唐を出るまでの中で
すべての歯車がかみ合い
恵果に出会い、密教を習得し
運命かのように唐を出る

まるで空海が仏たちに加護されて
日本に戻っていったかのような2年間になる

普通の僧では何一つ成しえていない
可能性があるような奇跡の連続なのだ

そして日本に帰り
空海は20年の留学期間を短縮した事で
福岡の太宰府で2年ほど足止めをくらう

平城天皇が譲位し
嵯峨天皇が即位したことで時代は動き
空海は入京を許され

その後の活躍は、皆が知るところである

世界遺産でもある
西安の巨大な城壁を出た南東に位置した

青龍寺
空海が恵果に灌頂を受けた寺

青龍寺は歴史の中で
廃寺になり消失している
近年、1982年発掘調査により青龍寺跡が
見つかり、再建され日本の寄付もあり
空海記念碑、恵果・空海記念堂を建てた

そして、ここが四国八十八個所の
零番札所と名付られた

そして現在は
高野山より密教を逆輸入し
1200年の時を超えて空海の魂は再び
青龍寺に灯をともしだした

こんな場所で遥か1200年以上も前に
この地まで宇宙の真理を解くために
密教を学びに来た一人の日本人

無名の沙門空海がいた事に
想いをよせて青龍寺を後にした

中国の歴史って面白い

世界はまだまだ不思議で満ちている

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