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現代はプライバシーが実質的に存在しない社会なのだから

プライバシーはとても大切にされるべき。

本当に秘密とするべきことは、絶対に守られるべき。

不都合な事実はずっと直面することなく隠され続けるべき。

色々なものが見えないものにされてきた時代では、これはとても当たり前。

それによって守られているものが沢山あった。

隠すことやあいまいにすることは、優位性に働くことが多かった。

しかし、昨今はそのことが全くと言っていいほど機能していない。

油断していたら、全てが公開される。

ちょっとでも暴露されたら、大公開と大拡散の嵐。

カギをしっかりとかけていた重要機密も、あっという間に広がってしまう。

まさかそんなところから出てしまうとは思っていなかった。

そんなことが日常茶飯事。

暴露と大公開が当たり前となって拡散していくのが日常になる時代。

もはやそこにはプライバシーも何も存在していない。




そもそも携帯電話を持っているだけで、すべては筒抜けである。

電車の中でカメラがむき出しとなっている状態であること。

それは誰かが常にみているという事とほぼ同じ意味。

意図せず相手にレンズを向けている状態が、当たり前になっている電車の中。

そこでは音とか場所とか、その他さまざまな情報が当たり前に拾われている。

つまりオフレコも実質的には存在していない状態。

検索ワードや、AIによって調べた内容。

過去に見た記事は、常に足跡として残っている。

情報が甘いと言われているマイナカードで騒いでいることもあるかもしれないが、それ以前にすべてが筒抜けであることは知っておいていいかもしれない。

全てがあたりまえに晒される可能性に溢れている状態。

その中において、プライバシーを本当の意味で守るということはかなり難しいに違いない。

というより、実質的にプライバシーは存在していない。

何も隠すことが出来ない状態。

それについてはもはやどうしようもないかもしれない。




いっそのこと、すべてさらけ出してもいいと思える状態にしてしまえばいい。

何かを見られても、全く恥ずかしさもリスクもない状態。

ある意味何も持っていない状態であることの方が安全であるかもしれない。

隠すことも、秘密にすることも、財産すらも何も持っていない。

失うものがあっても気にしないし、後悔が全くない状態。

そのような状態に持っていくことが出来ているかどうか。

隠したいものがある、プライバシーとして見えない状態にしたいものがある、不都合なものがある状態。

それはいつかどこかで晒されて大爆発をするリスクを抱えている潜在的なもの。

何もかもさらけ出して、隠すものも何もないすべてを公開する状態。

それが出来る人は、どのような時代においても自由に生きていくことが出来るに違いない。

もしかしたらそのような人しか生き残れない時代なのかもしれない。

もしくは、誰とも接触せず文明の利器も使わない、完全にいない人として存在するしかないのかもしれない。

果たして人間として、そんなことは可能なのだろうか。




ありがとうございました。

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