死ぬ直前が大金持ちという状態:それは価値あること?価値がないこと?
今日も毎日お金を稼ぐ。
コツコツと働く人、株で一儲けする人、不動産オーナーとして家賃を稼ぐ人。
それは生活のため、そして老後に備えるため。
若くして老後が心配という人が多い社会。
年金が自分の時代にもらえる自信がないからこそ起こる、未来の自分への仕送り。
誰も助けてくれることがないと思い込んでいる場合は、ある意味とても妥当な考えでもあるともいえる。
しっかりと堅実にお金を貯めることは、とても素晴らしいことでもある。
とはいえ、多くのお金を貯めすぎることについても考えもの。
実際に死ぬ直前に大金持ちになったところで、どうしようもないのだから。
とはいえ、その考えは本当に正しいと言えるのだろうか。
様々な観点から見る必要がある気がする。
お金を使うことなく、そのまま死んでいくこと。
折角ためたものが全く使われずに終わってしまう事。
それは、お金を使って楽しむという機会を失ったということ。
その分苦労して働く必要は無かったかもしれない。
我慢して節約する必要はなかったかもしれない。
時間をその労働に使用する必要がなかったかもしれない。
Die with zeroの観点からしたら、お金を使わないで死ぬことは機会損失として捉えられる。
ただひたすらもったいないの一言に尽きる。
本来ならお金をかけてもっと楽しめたはず、贅沢できたはず。
もっと生きたお金として有意義に「自分のため」や「周りのため」に使うことが出来たはずが、使われることなく終わってしまう。
それはとても悲しいことのように映ることもある。
もちろん、逆の考え方もある。
つまり、死ぬ直前にかなりお金があることによって得られることもある。
死ぬ直前であっても大きなお金を持っていることは、安心感という意味でとても幸せであるかもしれない。
自分の大切な人に引き継げるということで、幸せという人もいるかもしれない。
人によっては死ぬ直前に貯金が尽きたという状態こそが、最も不安になる状態なのかもしれない。
死に向かって毎日資産が徐々に減っていくことを眺め続けることは、ある意味とてもつらいこと。
そのような中で死に向かって突き進んでいくこと、それは果たしてどうなのか。
色々なケースを含めて、しっかりと考えていかなければならない。
人の死亡率は100%。
だれもがいつかは死を経験する。
正確には、死そのものの状態は意識がないので、もしかしたら死の経験というものはないのかもしれない。
気が付いたら死んでいたという状態は、他者からしか判断できない。
だから究極的にはお金を多く持った状態で死んでも、減るのに恐怖しながら使い切って死んだとしても、どちらであっても関係ないのかもしれない。
どのような状態であっても、全く変わらないのかもしれない。
気にするのは、生きている時の自分自身だけ。
死ぬ直前の大金持ちという状態、あなたはどのように考えていますか。
ありがとうございました。